23の瞳

2001年1月30日 火曜日

新大久保駅のホームに酔っ払いが落ちて、それを助けようとした二人の勇気ある若者が死んだ。この事件には僕も哀悼の意を表したいし、二人の行動は立派であると思う。
片方の若者は、韓国籍だった。
しかしまぁ国籍が外国人だったからと言って、何も特別な事はない。二人の勇気ある(少し無謀な)若者が命を落とした。ただそれだけである。
だが、世の中にはそこにムリヤリ重大な意味を見出そうとする者がいる。

ニュース23で、筑紫哲也がこんな感じの事を言っていた。
「彼の勇気ある行動を前にした時我々が考えなくてはならないのは、彼が韓国人だった、朝鮮人だった、日本人だったなどという事を超えて、みんな同じ人間なんだ。という事なのです。」
(彼は期待にたがわずこういうオモロ発言をかましてくれるので大好きだ。特に、ジリジリとカメラがズームしていく所なんかは最高だ。)

この発言には、逆差別が潜んでいる。
『人間はみんな人間である。』
こんなアタリマエの事を、さも独創的な意見であるかのように得意げにかたる筑紫氏。彼の頭の中では、朝鮮人は特別なのだ。
「朝鮮人が、日本人を助ける為に死んでしまった」
という、その事実が何かとんでもなく重い、特別な事件のように感じているから、「みんな同じ」などとあえて発言してしまう。自分が、ありきたりとは違う、独創的な意見を言っているつもりになっている彼の顔は、誇らしげに卑屈だった。

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僕は、電車がホームに入ってくる時、毎日(ここで落ちたら…こうよける。ここに入る…)とイメージトレーニングをしています。ははは。

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