横浜アリーナ4・8

2001年4月9日 月曜日

改めて、横浜アリーナについて言及します。
 I WISHの全文掲載なんかしてしまったので、開き直ってまたモーネタです。すみません。許して……(ドリアン)
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 一番衝撃的だったのは、モーニング娘が実在した事。
生身の肉体を持ってそこに存在し、動いていた事。
…本当に当たり前の話なのですが、やはり肉眼で確認すると、少し混乱した。歌い、踊り、跳ねるモーニング娘。
 あれ、やっぱり天使…?(波形パターンは青?)

 モー娘。は、やはり神だった、天使だった、目が潰れるかと思った。…と書いて終わりに出来れば、それはそれでいいのですが、そこまで単純な話ではありませんでした。
 負の部分にも触れておきます。ちょっと気になったのは、一部オーディエンスの態度でした。明らかに、音楽を聴くことよりも騒ぐ事、リズムに身を委ねる事よりもみんなで同じ動きをする事を主目的にしている輩が多すぎる。
 そういう輩はいずれも「紙袋持ってそうやね」と松っちゃんに言われる人達、HEYx3のスタジオなどで、「オイ!オイ!」と怒号をあげて騒いでいる人達です。

<いいか、何でも手拍子して騒いでりゃいいってもんじゃないんだよ>

「オマエ何様だ」という声が聞こえてきそうですが、勿論これは僕個人の考え方であって、自分が正しいなどとは全く思っていません。僕があのコンサートで音楽を聴いて楽しむ事を"快"とすれば、僕の横で騒いでいた連中の存在は"不快"だった。それだけの事です。しかし恐らく、彼等にとっては、集団で騒ぐ事こそが"快"なのであり、彼等から見た僕は「何だかノリの悪い奴(=不快)」なのでしょう。

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 ああしかし、誰に彼らを責められようか。あんな物を見て、正気を保っていられる方がおかしいのかもしれない。
おかしいのはきっと僕だ。(だが一つだけ問う。そのマスゲームは自分の意思か?)

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 コンサート中、たまに僕の両眼に"超視力"が宿る事があったのですが、流石に表情までは見えませんでした。
 こんくらいの大きさだった。

 初めての、そして最後のモーニング娘10人のコンサートが、僕にとって不完全燃焼気味に終わってしまったのは、この距離もそうですが、前もって「泣く、泣くかもしれない…」という姿勢で望んでしまったのもいけなかった。「泣ける泣ける」と評判の映画を心して見に行ったらそうでもなかった、そんな経験をした事がある人もいると思いますが、まさにそれと同じ事。
 そして何よりあの、10女神と僕との間に存在する物理的距離が、過度に高まった期待の盃を完全に満たす事を許さなかった。
 僕は、「同じ空間を共有出来ただけで仕合わせだ」等と物分かりの良い事は言えない。きっと、彼女達の発散する霊性も物理的距離と無縁ではない。さながらストーブの放射熱に似て。

 (金。金が無いと、この距離を縮めることは出来ない…。金ッ…金ッ…!)

 でも、ラストのI WISHと、その後の中澤ゆうこの言葉と涙は、激しく僕の心を揺さぶり、確かな何かを残した。
 一生懸命な彼女達を見ていたら、明日から、もっと頑張ろう。頑張って、生きていこう。そんな心持ちになった。

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 やっぱり行って良かった、という気持ちが一番大きいです。
 コンサート自体の、総合エンターテイメントとしての完成度が尋常じゃないくらい高かった。
 我を忘れて叫びまくったり、実物を目にして思わず涙が溢れたりする事は無かったけど、終わってからはしばらく放心状態で無口になった。
 それを"感動"という言葉で表現するとしたら、多分そうなのだろう。

 最後に一言で総括するなら、「感謝」。
 あのような素晴らしいものを知っておきながら、それを崇めず、感謝もしないとしたら、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなるのです。
「目をさまして,感謝をもって,弛みなく祈りなさい。
       (新約聖書・コロサイ人への手紙第4章)」

ありがとうモーニング娘。 


。万歳

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