サイト批判に敏感になる人々
2001年4月30日 月曜日
批判というのは人間活動のあらゆる分野にくまなく存在している。
しかし、ことテキストサイトにおける「批判」というのは往々にして他分野でのそれよりも重大な意味を持つ(、かに見える)。
いや実際はそれほど深刻にとらえなくてもいいんだけど、ご存知”愛・蔵太“に辛い批評をされた人の過剰反応や、下火になったとは言え今でもどこかで繰り広げられているバトルを見て思ったこと。
日記系・テキストサイトは、その特質上「サイト批判=人格批判」に受け取られやすい、という事だ。
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日記サイトは大抵、内容が製作者の主張や日常生活について書かれている。つまりその「自分自身」とのシンクロ率の高さゆえに、サイトの主張・手法その他を否定されると、自分という人間自体が否定されたかのような錯覚を受けてしまうのだ。
そこに生じる困惑の度合いが大きい場合、感情は時として閉鎖や攻撃衝動などの暗黒面として表面化する。
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僕は自分に対するディス、批判を読むのは結構好きです。
この、好意的でない他人の意見に触れられる機会というのは、実はかなり貴重なものなんじゃないかなぁ。
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こんな人もいる。
が、頑張ってください。(不毛だけど。)