1/3の感情

2001年5月3日 木曜日

 えー、1度でいいから見てみたい、キムココちゃんの、親の顔。
「"キムタク"使用禁止令」ってなんだよ!宮本です。

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 どうやら、CGIサーバーは完全にイカれてしまったようです。
 10回分の日誌が全部ネット海の藻屑と消えたわけか…。
 いや、大丈夫です。ヘコんでなんかいません。転がって行く道で少しイカれただけサ。乾いた風をからませ今日も更新するのサ。

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 多くの場合(あるいは意図的に)混同されてますが、論理的であるという事と、知的であるという事は違います。

 実例を挙げると…
 先週「真実のみを語る扉と嘘のみを語る扉があり、それぞれが天国か地獄のどちらかに続いている。1回だけ質問が出来るとしたら、何と聞けば天国への扉が解るか」という論理パズルをネタにしました。
 左の扉に、「私が右の扉に「左の扉は天国に続いていますか?」と訊いたら、答はイエスですか」と訊く、というのがひとまずの解答でした。(右、左は置換可能)

 これは論理的な答です。

 しかし、後でタイセー君から「1たす1は?と聞けば良い」という回答を聞いて、なるほどと思いました。
 yes/no式の質問をする、という前提条件が無い場合、確かに正答です。
 これは知的な考え方です。

 論理的であるという事と知的であるという事は、両立する事が出来ますが、論理=知ではないのです。
 特に論理学の分野では、論理が正しいかどうかが最重要事項なので、その為には一見阿呆らしい結論でも条件に合えば正答として導き出されます。この辺り、パズル的な理数系要素が強い由縁です。

 また、どこの世界でも、あまり論理を気にしすぎると「理屈っぽい」と疎んじられます。

 だからって訳じゃないけど、僕も論理の整合性を追求するよりも、何だか曖昧な気分や不合理な気持ち、割り切れない純情な感情などの方が、好きです。僕、文系。

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 同じような企画をやっても、サイトによって随分結果は違ってくるもの。
 4億とかハンサムとか。ウキウキのアンケートも、きっと沢山集まるはずです。こんな時、九十九式のような不人気憎まれっ子サイトは辛い所です。チェッ。でも、それはそれでラクなので良いです。
 そんな訳であなたへを少し更新しました。

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