ミュトス

2001年7月6日 金曜日

 映画や小説などの物語の評価基準として、「独創性」というものがしばしばあげられる。
 しかし、本当にそれは大事なのだろうか?例えば実際問題として、世界中で興行的に最も成功を収める映画は、いずれもハリウッド製である。ハリウッド大作と言えば、いずれも班で押したように自己犠牲と英雄的行為と悲恋で「さぁ~泣け~泣け~」と言わんばかりの押し付けがましさが特徴といえる。
 タイタニックもアルマゲドンもAIもその例外ではなく、冷静に見ればちゃんちゃらおかしい「感動大作」。多少うがった視点で見ると、いちいち「涙腺刺激ポイント」が露骨に見えてしまうので興ざめなのである。「あぁ、ここで観客を泣かせようとしてるんだな」と。

 しかし人々はそれでも、「映画見て泣いちゃいたいわ」とばかりにこぞって映画館に押しかける。何故だろう。

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 神話学の述語に、「神話素」というものがある。これは、人文学者レヴィ=ストロースが神話の構造分析を試みる際に用いた概念で、全ての神話にはお話の元、骨子とでもいうべき共通のルートが存在するという考え方。神話のプロットを単純化し、突き詰めて行くとこれに到達する。
 有名な例をあげると、ギリシャ神話のオルフェウスとエウリディケの話と、日本古代神話のイザナギ・イザナミの話は、いずれも「死んだ妻を冥界、黄泉の国に取り戻しに行く」という共通のテーマを持っている。つまりこれが「神話素」。

 物語もこれと同じで、サンプリング的に「自己犠牲」や「ヒロインの愛」や「英雄的行為」などの物語素をかけ合わせれば、泣けるプロットなんて簡単に作る事が出来るのです。どのシーンが良かったとか。

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 なーんていうことを、「なかよし」7月号、モーニング娘。物語~辻希美編~を読んで目頭を熱くしながら考えました。
 ちょっと、これ絶対読むべきだって!マジ泣けるから!少女漫画買うの恥ずかしいとか言ってる場合じゃないって!泣くから!シャレならんって!
 (そして、絵になっても何故かやっぱりののちゃんが可愛いんです。絵なのに。これはまさに対象の真の偶像化・信仰化に向かう象徴的な第一歩なのだろーか。)

 やっぱアレですよ。難しくて面倒臭い話なんて誰も求めちゃいないんだ。少なくとも僕には前衛も純文学もいりません。わかりやすいの、たのしい。おやすみなさい。


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