商業主義と本当の音楽と

2001年7月22日 日曜日

 商業主義に染まった音楽なんてウンコだ!と叫ぶのは格好良いですね。また、そうやって叫ぶ者を揶揄・攻撃するのも気が効いてて格好良いですね。

 ファック・ユー。ぶち殺すぞ…ゴミめら…。
彼らは大きく勘違いしておる。というか、世界と言うモノを取り違えておる。(利根川)

 そもそも、現代音楽ほど商業主義と密接不可分なものは無いわけで、その二つは元々相反するものではありません。対極に位置するなんて捉え違えもいいトコ。
 例えば現在「純粋芸術」という視点で捉えられている西洋古典だって当時は流行り廃りの浮き沈みの中で演奏されて来たものだし、ベートーベンだってショパンだってパトロンの存在がなければ、かつ彼らが気に入るような曲を作らなくては作曲活動なんてやってられなかった。

 「そんな事はない。世の中には本物の音楽というものがある!」という叫びが聞こえてきそうですが、例えば賛美歌だろうがブルースだろうが民族音楽だろうが、同じ事。 神の偉大さであれ民族的悲哀であれ、伝えたいメッセージを持つ時点で、音楽はそれが生まれた時からコマーシャリズムと無縁ではいられないのです。

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 しかしまぁ、かく言う僕も中高生の頃は阿呆面下げて「売れてる音楽はクソだ!」だの「自分で曲書いてないヤツがアーティストなんぞ言うな!」だのと格好良い事を言っていたのであんまりエラソウな事は言えませんが、この捉え方だと、あゆは詞を書いているのでアーティスト、平井けんは歌っているだけなのでクソ、とこういう図式になってしまう。そんな馬鹿な。(そもそも「アーティスト」という呼称がおかしい。ミュージシャンでいいじゃん。という意見もありますが、それは今回置いときます)
 創作の要素が無ければならない、というのなら、世界の指揮者カラヤンはどうなるのか。昭和のソウルシンガー美空ひばりはどうなるのか。
 お分かりでしょう。創作者=表現者=アーティスト、では無いのです。世の中そんな単純明快ではない。

 最後に、ある音楽家が語った言葉を紹介して筆を置きます。
 僕は、彼がここまで信念をもって音楽・創作活動に取り組んでいた事を知り、衝撃と感銘を受けた。

 

本当に良いものは、売れているものの中から出てくる。
 売れている音楽というのは、そのほとんどがすぐに飽きられてしまう消費音楽だが、その中から本当に素晴らしい、いつまでも歌い継がれていくような作品が出てくるはず。それが自分の信念だ。
 だから、まずは売れなくては意味が無いんだ。(要旨)

 また彼は、まだ自分が何者でもなかった少年時代、卒業文集にこう書いていた。

  「僕は、自分が死んでも残るような何かを創りたい。」

 その男、つんく♂。


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