Short Skirt / Long Jacket

2001年10月15日 月曜日

 午前10時の半蔵門線は、座れないほど混んではいないが、座席に寝そべるほど空いてもいない、地下鉄としていわば理想的な状態だった。
 永田町を出た辺りで、突然横に座っていた中年女性が「きれいですねぇ」と言った。視線の先には若い女性が座っていた。どうやら「きれいですねぇ」は彼女に向けられた言葉であるらしかった。若い女性は慌ててイヤフォンを外すと「は?」と聞き返した。「きれいですねぇ」中年の女性はもう一度繰り返す。若い女性は愛想笑いとも苦笑ともつかない、歪んだ作り笑いを浮かべて小首をかしげた。
「美人ですよね」
「そ、そうですか」
「結婚してらっしゃるの?」
「え?いいえ」
「あ、まだなの。じゃ婚約者がいるのね」
「あ、はい…」
「だってアナタ、きれいだものねぇ」
「ありがとう…ございます」
 中年の女性はにっこり微笑み、若い女性は右手の薬指を左手で覆った。
 中年の女性は青山一丁目で「降ります、降ります」と言いながら降りていったので、奇妙な会話は途中で行き場を失い、しばらく漂って、やがて消えた。
 車内に喋る者は一人もいなくなり、乗客は再び列車の小刻みな震動音に耳を傾け始めた。
 若い女性はとても居心地が悪そうだった。女性は、Helloのソロシンガーに少し似ていた。確かに、美人と言ってもそれほど大きな反論は来ないくらいには美人だった。彼女はきぜわしくイヤフォンを耳に戻し、居心地悪そうに前髪を直している。その様子はぼくに、木に登ったまま降りられなくなってしまった猫を思い出させた。ぼくは読みかけの本に目を戻して、視界の60度で彼女を見ていた。
 その女性は表参道で降りて行った。

 この話はここで終わる。特に広がりもしなければ落ちもしない。ただ、もし万が一このささやかな光景から何らかの教訓が得られるとすれば、対話の難しさ…か?
 中東に早く平和が訪れるといいなぁ。そんな事を考えながらぼくは渋谷で降りた。

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