おむらいっすぅー

2001年12月3日 月曜日

・テキストサイトってなぁに?チョコより甘いってホントなの?

 テキストサイトなんつぅものをわざわざ語るなんてナンセンスだ、という批判がよくありますが、いきなり結論を言ってしまえば確かにそんなものは、超ナンセンス。無意味。テキストサイト界なんてどこにあるんだよ、という声もよく聞かれますが、まぁ確かにどこにも無い。
 しかし、ナンセンスなもの、どうでもいいものをあえてネタとして大袈裟に語るから楽しいってのもあるのでは?

 テキストサイトをサブカルチャー的な物の一種とするならば本質的にそういう部分を持っているだろうし、パロディが最も効力を発揮するのも、元ネタがいかにも真面目なものを物凄くくだらないネタに例えた時です。
 …という考え方のもと、僕は日記系言及は半分冗談でやってます。真面目にサイト論とか書いてる人はちょっと危なっかしく見える。アクセス論なんてのは論外。

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・自由ってなぁに?どうしてドキドキするの?

 僕は、現在のABOUTの所に

>このサイトは、自由なサイトです。リンクをするのも閲覧するのも、
>日記に反感を覚えるのも共感を覚えるのも、掲示板に書きこむのも
>批判するのも、全てが自由です。そして、それらの行動に対して僕が
>どのような反応を返すか。これもまた自由です。
           

 と書いています。これは「リンクフリー」を極限まで延長するとこういう事になるんじゃないかな、という意味合いも持っていますが、自分が好き勝手やってるのに閲覧者には制限を強いる、というのもおかしいと思うからです。自分は人を批判しておきながら、いざ自分が批判されたらキレたりするのは格好悪いしね。その代わり、相手の言い捨てや言い逃げも許さない、という事。

 自分の意見を公表する時には、常にある一定のリスクを負わなければなりません。自分以外の存在に対して言及するような場合はなおさらです。(匿名ならばリスクが無い、というのは間違い。こうしてサイトで公表する場合は批判と向き合う義務が、匿名掲示板等で行なう場合は、前提条件として信憑性が低い、まともに読まれないというリスクが存在する)
 この「リスク」は、常に「自由」に付きまとうものです。

 しかし、そもそも自由とは一体なんなのでしょうか。
 ホッブスは、いかなる法的・道徳的拘束もない状態を「自然状態」として仮定しました。この状態では人々は完全に自由で平等です。しかし同時に、人々の間に果てしない闘争が生じます。万人に対する万人の戦争状態。
 世の中に、「無制限の自由」は存在しないのです。ある人間が「無制限の自由」を行使しようとしたら、それは必ず他者の「自由」を侵害することになるからです。

 僕がアバウトで唱えた「自由」に付く制限。
 それは、その「自由」がここでだけ適用されるという制限です。僕はあそこで自分の文章への免罪符を得ようとしたわけでもなければ、ネット界の心得を説いたわけでもありません。このサイトでのみ適用されるローカルルールを設定しただけです。
(九十九式にリンクするのは無制限だよ!どんどん貼ってね!)

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 ああいう形で言及した以上は、更新再開に際してももう1度言及するのがスジだろう、と言われたので。
 いささか遠回しながら、G∽FORCE言及。

 そして私信。今回の1件で火傷を負ってキツイとは思いますが、だからって「こういうネタは書かない」「○○については言及しない」とかガチガチに決めて「縛り」を作ってしまうと、かえってキツくなってしまうような気がします。文章なんて、書きたい事を書きたい時に書きたいように書くのが一番だと、僕は思っています。これが僕の行使する自由。
まぁ、「書かない自由」というのも勿論あるわけだし、ほとぼりが冷めたら。

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『はつ恋』もかつて「自由」について書いてたっけ。
 →メタファー批判「フリーダム」

ああ、明日は答えが解るかな。テキストサイト。
まだ、深い謎だらけ。未来はまだまだ続く。

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