ちょっと 生意気っぽい 聖絶!
こんばんは。宮本・オーガ・勇次郎です。
最近、PCモニタからの電磁波を浴びすぎて目の健康を害しているので、今日からストップウォッチ片手にインターネット。現在、3時間15分です。これが多いか少ないかは解りませんが、昨日9時間だったのに比べれば、まあ…。
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・初詣に行った時の話。
毎年不快に思うんですが、あれなんなんですか。
大きな神社のある駅前には、正月には必ず「布教者」がいる。
黄色い旗に「キリストの血は罪を清める」だの「神の復活は近い」だの掲げている外国人です。
我々日の本の民が古来から続けている習俗に対して、「正しい道に、悔い改めなさい」とか言ってるわけです。全く大きなお世話である。でも、日本人は寛容だから、何も起こらない。平和平和。
もし、同じような事をクリスマスの教会や、イード=ル=アドハーの時期のモスクの前ででもやってみたら、絶対石を投げられます。
彼らは不寛容だから。
わざわざ初詣客に布教せずにいられないのも、この「不寛容」のなせるわざです。
(大体、演説がテープレコーダーなのが一番気に食わん。おまえら何の為に立ってるんだ。旗持ってるだけか。)
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・筋金入りの不寛容
ここで話は、明治神宮から遠くアフガニスタンへ飛びます。
皆さんもニュースで爆撃の映像を見た事が一度はあるのではないかと思いますが、あれは凄い。すごく怖い。
トマホークミサイルだのクラスター弾だのが飛びかい、炸裂し、地をえぐり、噴煙をまきあげ、建物はこっぱみじん。
で、あれを見てて思ったんですが、ラディン氏もオマル師も実はもう死んでるんじゃないでしょうか。オマル死。
多分本当は、米国の首脳クラスはそれを知っている。でもそれが知れてしまうと、攻撃の口実が無くなるから続けているだけ。
それどころか、いつのまにやら「アルカイダを根絶するまでやめない」と、攻撃理由が大幅にシフトしているし。
本音は、イスラム教徒を「聖絶」するまで止めないつもりなんじゃないか?
この「聖絶」というのは旧約聖書に書かれている言葉で、「完全に滅ぼして神にささげる」という意味。それにしても凄い言葉だ。
例えばヨシュア記を引用すると、他部族の街を征服したら…
「主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。 この町と町の中のすべてのものを、主のために聖絶しなさい。」
…こんな事になってしまう。ヒィー。
この「聖絶」の概念、実はアメリカもタリバンも根っこの部分で共有しているからタチが悪い。共有って難しい。
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辻ちゃんありがとう。君がいなければ、テキストファイトに絶望した俺はテムズ川の藻屑と消えていた…。
祭りは終わる。されど、議論は進む!(テキスレ)
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