ハロープロジェクト2002

2002年2月18日 月曜日

 努力!未来!ぁBeautiful
star!
 友情パワーにより、行って来ました横浜アリーナ。

 未だにオープニングアクトが祭りシャッフルだったのには軽く驚いたが、10人祭りのテンションはOP曲としてこの上ない威力を持つ。数千人のワッショイ。実に壮観である。

 面白いな、と思ったのは、童謡の春をハロプロメンバー全員でアカペラコーラスで披露するもの。ノーマイクの20人のハーモニーを聴く為に客席を黙らせての歌い出しとなった。壇上の20人は神々しい光を放ち、そのハーモニーは聴くもの全てを陶然とさせた。(しかし正直な感想を言えば、実際にあれがアンプラグドであったかどうかは確信が持てない。音の聞こえ方がスピーカーっぽかったような。)
 しかし、静かに聴けっつってんのに(ATSUKOが)、時おり入る野獣の咆哮はどうにかならんものか。聴けよ。いや、俺にちゃんと聴かせろよ。こっちだって咆哮を聴く為に耳を済ましているわけではないのだ。

 余談だが、友人達から見ると僕は今1つ盛りあがってない、ノってないように見えるらしい。
 しかし僕は僕なりに楽しんでいるのである。ただ、僕は会場での盛りあがりや一体感を求めるよりも、ステージで繰り広げられるパフォーマンスの全てを目に焼き付けたいと思うのだ。
 あとは、いささか恥ずかしい自己言及になるが、かつて表現者として音楽活動をしていた頃の記憶が甦る瞬間があるからである。僕は、音楽によって自分が踊るよりも、人々を踊らせたかったのだ。
 そんな気持ちを1番強く思い出すのは、なぜか中澤裕子の出番の時だったりする。最初にハロプロのコンサートに行った時から、これは変わらない。
 僕は、彼女が歌っている時に会場全体を見渡して、色取り取りのサイリウムが暗闇に浮かびあがっているのを眺めるのが好きだ。彼女は今、この会場をどんな気持ちで見ているのだろうか。これだけの人数の前で歌うというのは、どれほど楽しいことなんだろうか。いつもそんな事を考える。

 ステージのスポットライトというのは魔性だ。それは阿片のように、完全に足を洗ったはずの人間の心をさいなみ、誘惑する。市井紗耶香が結局芸能活動を再開したのも、むべなるかな、である。
(それ以外の時にじっとしているのは、ののちゃんの姿を探している時が多いです。衣装が似通っているので、遠目に識別するのが困難な時がたまにあります。見つけた!と思ってしばらく目で追っていたら加護ちゃんだったり。じっくり見ればポジションや動きで解るのですが、くるくる入れ替わるので、大画面モニターと見比べながら気合を入れて見ないといけない。)

 レフアが脱退を表明した。
 前々から、今回のハローでは誰かが抜ける、との噂が囁かれてはいたが、それがまさかレフアだったとは。
 仲間内で1番のココヲタである僕としては、この事件には心中穏やかではいられない。
 ココナッツ娘の中で唯一日本語が話せなかったレフア。ココナッツ娘の中で最も歌がヘタだったレフア。ココナッツ娘の中で1人だけ、童謡ポップスでソロパートがもらえなかったレフア。ココナッツ娘の中でただ1人、ソロでの活動が無かったレフア。CD、買ッテクダサイネー、しか日本語を知らなかったレフア。7人祭でも魔術師みたいなヘンテコな衣装だったレフア。
 あの三人で最後となった「情熱行き未来船」のパフォーマンスレヴェルは、信じられないほど高かった。キレのあるダンス、シャープなリズムに叙情的なメロディ。特にレフアはそれを実に堂々と完璧にこなしていた。
 18になり、ハイスクールを卒業して人生の転機を迎えるレフアの未来船が、願わくば希望へ向かう船でありますように、と僕は願わずにはいられなかった。

 松浦亜弥への歓声は、一際高い。
 ひょっとすると、モーニングの中の特定メンバーでは誰一人として勝てないかもしれない。
 逆説的に、モーニング娘という構造がチームプレイである事を証明する存在、それが松浦亜弥だ。はつ恋でマコ知も指摘している通り、今後のモーニングにとっての最大の敵は松浦である。
 しかもメドレーで3曲も歌うという推されよう。

 そしてモーニング娘の登場となるわけだが、中にはモーニング娘のためだけにハローに行き、他の出演者の時はボケーッと座っている人もいると聞く。しかし僕はむしろ単体コンサートよりもハローの方が好きだ。
 他の周辺ユニットを楽しめるというのは勿論のこと、僕はこの「真打ち登場!」という持って回った大トリ演出が大好きなのだ。映画や小説でも、引っ張って引っ張って最後にカタルシスがある作りには無条件で弱い。ザ☆ピ~スでは、総統閣下に敬礼する党員のごとく、手の平をステージに向かって突き出した。(我が好きな人がァァァッ!優しかったアァァァッ!世界一イィィィッ!)

 そしてモーニング娘はステージを後にする…。
 しかし、客電は落ちたままだし、席を立つ人間もいない。誰もその場を離れない。アンコールが必ずある事を知っているからだ。
 だがアンコールの声は小さい。突発的に、局地的に声があがるだけで、会場全体としてはただただざわついているだけの状態である。
 僕は、現状ではモーニング娘はアンコールに応じるべきではないと思う。 応じるどころか、それ以前にアンコールのコールが成立していないではないか。
 コンサートの参加者には猛省を促したい。いい加減、自分がやらなくても誰かがやるだろう、自分1人が何かしたってしなくたって大勢に影響はないだろう、という種類の考え方を変えたらどうか。
 余談だが、僕が昔心酔していたとあるロックバンドのライブでは、終演後に一万人がウェーブをやってアンコールを待つという慣習が出来ていた。あれなんか声出さなくてもいいし、なかなか楽しい趣向なんじゃないかと思うんですけど、どうだろう。(ウェーブは1人では出来ない。やろうとしても、ただ突然立ちあがってバンザイをする変人として見られる)

 とにかく今のままでは、「みんなー、アンコールありがとうー」と出て来てもお互いに居心地が悪いだけである。

 予定調和は、ロックの敵だ。

 色々書き連ねましたけど、僕が1番嬉しかったのは、一緒に行った非オタ、非ファンの友人達も実に楽しそうに盛りあがってくれたことです。なんだか、本当に嬉しかったよ。ありがとう。

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