図書館を想う
現在は、ジェネラリストよりスペシャリストの時代と言われています。
例えばかつての日本型の雇用形態、出世パターンは、数年かけて色々な部署を回りながら少しずつ出世していくというものでした。しかし今は、一つの部署や一つの業務に特化した人材、スペシャリストが求められています。色々な分野を少しずつこなせる人が何人もいるよりも、それぞれの分野に特化した人の方が良い、という考え方です。
駅前の本屋が閉店しました。駅の真ん前という立地条件は決して悪くなかったのに、です。しかし、駅前の小スペースで店を構えるとなると、自然とラインナップは雑誌を中心としたどこにでもあるものになります。それらは、電車の待ち時間に少し立ち読みをされて終わってしまう。
僕もそうなのですが、今はみんな本を買おうと思ったら、ブックファーストや三省堂などの大規模店舗か、あるジャンルの本ばかり揃えてある専門書店に探しに行くのです。
立地条件を満たし、多用な品揃えをすれば成功が約束されたのは過去の話です。それは、ダイエーやそごうの業績不振からも明らかです。店が一つかたむくよ。
スペシャリストたれ、というのは僕らにとっても無縁の話ではなく、バイトだってサイトだって仕事だってそうです。受験でも、不得意分野をある程度捨てて得意科目で勝負するという戦略があります。
近頃、テキストサイト界隈では新興企画サイトの立ち上げラッシュがありました。
批評サイト、ネタサイト、純粋企画サイト、ウォッチャーサイト、etc…
それらに共通する成功要因も、やはり専門特化のスペシャリストサイトであったことです。
しかし、ここにサイト特有の落とし穴があります。多くの人は、サイトがある程度軌道に乗ると、手を広げようとしてしまう。小学生の頃に僕の近所にあった自転車屋も、ファミコンソフトを売り始め、お菓子を売り始め、電化製品を置き始め、廃れ、そして潰れました。
企画やネタに対する支持を、自分自身に対する支持と錯覚してしまうのか、あるいは企画者に徹しているうちに抑えていた表現者としての自我が噴出してしまうのか。
九十九式は初期の段階からむしろジェネラリストというか、あちこち気ままに手を出し過ぎで、特化した強みがない。そこが強みでもあり弱みでもあるんだろうなと思います。長所と短所は常に紙一重。
いや、未だに定職に就けてない所を見ると、どうも短所である模様。
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デマゴーグがサイト批評を中止してネット論を発表し始めた時、どこか危険な匂いを感じました。その予感は残念ながら現実のものとなってしまったわけですが、同種の匂いを感じさせつつもそれを乗りきったサイトとしては、アルヲの独り言があります。アルヲ氏は、「中堅テキスレ厳選リンク集」というリンク集を立ち上げたのですが、そこのスペースを使ってテキスレ、テキスト系全体の時事評論を発表し始めました。しかし彼は、ニュートラルの仮面と自我の脱色、リンク集との切り離しという方法で落とし穴を回避することに成功。これは恐らく稀有な成功例で、今ではリンク集よりも独り言の方がメインの人気コンテンツになってさえいます。
旧ベロス同盟は、当初のネタサイトからは随分軌道が修正され、バーチャルテキストアイドルの様相を呈して来ていますが、破綻せずに軌道に乗ることが出来るかどうかは予断を許さないと言った感じです。
このテキストサイトがすごい!(金子企画)も、「企画が始まるまで、このスペースを使ってテキストサイト史編纂でもしてみたいと思います」と書かれているのを見た時はどうなることかと思いましたが、とにかくも第1回コンヴェンションが行われたようで一安心と言ったところ。
企画は企画。ネタはネタ。己の力量とサイトコンセプトには常に注意深くありたいものです。
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