2002年4月27日 土曜日

 暴力と差別を肯定し、軍国主義の復活を唱える極右ファシストの宮本です。こんばんは。良識派とはまさに僕のことだ。聞け、めくらども。

 かつて、ジオン・ダイクンは「人類の革新は宇宙の民たる我々から始まる」と言った。そして、僕はかつて「このサイトに対してどのような反応を示すか、それは自由だ。」と宣言した。それは、「僕が自由だから君も自由で良いよ」という交換条件としての宣言ではない。

 僕は「ミラーサイト」を作っている。いわゆるミラーサイト、そっくり同じデータを置いてあるサイトとしての意味ではなく、九十九式はカガミのようなサイトでありたい、という意味だ。
 僕らが鏡を見る時、それは自分の姿を確認したい時だろう。鏡を見る事によって初めて、自分を擬似的他者として客観的に知覚することができるのだ。

 海水浴をしていて、こんな経験をした事はないだろうか。何もせずにぷかぷかと波に漂っていたつもりが、ふと陸地を見ると随分流されてしまっている。自分は動いたつもりがないのに、陸地がさっきより遠くに見える。しかし当然陸地が動いたはずも無い。
 僕らが外部の変化を知覚する時、そこには必ず基準となる指標が必要になる。その対象からの差異をもって、自分の置かれている場所や姿勢を確認するのだ。

 99式は雑多なテーマを扱い、気ままに書いている。しかしそれは表面上の変化で、内部構造つまり僕の自我は非常にゆっくりとしか動かない。僕は虎のような激しさを持たなければ、猿のような素早さもパンダのような可愛らしさも持たない。おそらく象のような、ほとんど動かぬ皮を被った何かだ。あるいは、指輪物語においてサムはフロドに「おら、じゅうを見ただ!」と言った。それでも良いだろう。

 僕は僕の主張をするが、それは決して読者に共感をせまるものではない。あくまで提案。読者一人一人の思考の触媒で良いのだ。それが例えウォッチであっても敵対者であっても構わない。宮本はこう考えている。しかし俺(漏れ)はこう思う! それで良い。
 それは解釈に幅を持たせるためのささやかな小細工によって引き起こされる効果でもあるかもしれないが、それだけではない。

 僕が文章を書く時に伝えたいと思って想定している対象は、限定的な特定少数の他者である事も少なくはない。しかしその場合も不特定多数に向けある種の翻訳のような意匠を織り込みながら部分的にでも伝わるよう試みている。解る人には解る人なりの、解らない人には解らない人なりの。友達には友達の、アレな人にはアレな人の、ウォッチャーにはウォッチャーの段階的解釈が存在していい。それが九十九式の自由である。あの大きな生き物は、サムにとっては「じゅう」であったのだ。

つづく

↓くまのプーさん『九十九式再読 』を受けて

九十九式再読

伝えたいことがある。

 ナフ周辺とは何であったか。敢えて今、この言葉を口にしてみる。その記号の指し示す対象が、現実には空虚であったとしてもだ。僕等はそれに、何を感じ取ったのか?

 表現立脚点としての自嘲。それは社会に対する心的武装、だとか、そのような象徴的固定を無尽蔵に拡散させていく (今、この瞬間の言及さえ!)。 違う違います私がそうです駄目ですデスそうじゃありません、と無限に逃げ去り続けるスタイル。既成の価値順列上で踏み潰されたが故に、既成他者からの 「自縛」 をキャンセルし、自由を獲得する形式。これを 「ナフ周辺」 とするなら僕等は歓迎する。した。(次が見たい!) 無価値故に他者に所有されず、他者に領属化されない。何故なら 「ナフ周辺」 は無価値だから。既成価値順列に組み込まれる他者は、価値無きものを所有しようとはしない。そして 「ナフ周辺」 自体は価値を求めない。所有しようとしない。

(ナフというサイトは、これをさらにズラし、転倒させた処に特殊性があるのではないだろうか?) (ああ!今、この瞬間の言及さえ!)

 九十九式はナフ周辺だろうか? 確かに彼の中には自嘲が垣間見える。しかし彼は 「伝えたいことがある」 と言う。これはまさに 「所有」 である。読者へ伝え、理解させ、相互主観性闘争に於いて主導権を握ろうとする意思。それが九十九式とナフ周辺という記号を合致させない。それどころか、この所有への意思はテキストサイト一般性を表象するものであり、僕等は決して一般性を否定するわけではないが、それが否定的に表れることを知っている。例えばそう、「アクセス数」 所有への意思!とか!

(彼は現実生活でも 「所有」 特に金銭の貸し借り等への姿勢に問題があるようだが、僕等は正確な情報を持たず、言及する資格がない)

 さらに彼は ある日誌 で 「テキストサイトなんていう下らないものを、ワザと大袈裟にすることが楽しい」 と書いている。致命的宣言である。この場合、経験的作者の 「本当の意図」 などは全く問題にならない。つまり、彼が実際に何を考えていようと、この宣言はまさに 「テキストサイトは下らない」 ことの確認としてあり、それをワザと大袈裟に捉えることのできる 「彼」 の心的優位性の表明なのだ。

 構造は単純である。テキストサイト=下らない、と断定し、下らないことを大袈裟にする彼=下らない、とナフ周辺的な自嘲を臭わせつつ実は 「ワザと」 であり、彼のコントロール内に在る。下らないことを大袈裟に 「できる」、そのためにエネルギーを浪費 「できる」 彼のポトラッチ的風景。「何の得にもならない草野球に本気になっている俺」 と表明する者が、草野球の楽しみを知っているだろうか? さらにその表明は、現実の草野球の価値を不当に貶めてはいないだろうか? 彼の優位性の獲得 (所有) と引き換えに!

僕等のテキストサイト界は、彼の踏み台にされた!

 正直に言おう。 「下らないことを本気で、大袈裟に」 とのスローガンは、宮本氏と僕等を交えたMSNメッセンジャーで確認されたものだった。しかしそれは、公表された瞬間に物語の価値を奪う、弱き思想立場だ。そんなものを読まされたくはなかったが、公表するからには別の、新しい思想が用意されているものだと期待した。しかし今だそのようなものは表れない。読み手の読解力不足だろうか? そうでないとすれば、九十九式と僕等自身に次の言葉を捧げよう。

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 彼は僕等のオピニオンリーダーに堕した。九十九式は 「テキストサイト界」 のミラーサイトとなったのだ。

諸君! 九十九式と決別せよ。

 それと、クマのプーさん Mugcup Collection は正論にして王道、バイブル的なものだから、みんなで過去ログ全部を音読したうえ、2000字程度で感想文を提出すること。明日までに。そのあとテキストサイト論とか、実況解説とか批評とか、そういうメタ言及つうの? そういうのやってるサイトは全部閉鎖ね。もしくは許可制。 詳しくはここ参照。わかったな?

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クマのプーさん Mugcup Collection


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