2002年4月30日 火曜日

 やったぜ書き終わったー!とアップしようとしたら、メンテナンス中で全くネットワーク接続が出来なくなっていたので、今の今までスパチカねんねですよ。
 ネットバトルが花盛り。巷じゃ、ZenhiteiVSLLLだの、ナミVSマサムネだの言ってるようですが、今キテるのは宮本VS森下。これぞホラーショウ!

 んじゃ三夜連続のVSクマプー篇の最終話、行ってみようか!

くまプー解読
 泥棒は他人を見ると泥棒と思う。全て人は自分を基準に考える為、自分がはたらいている悪事は相手もはたらく、あるいははたらこうとしているものとして見てしまうのだ。それと同様、他者に対する批判は大抵自分に返って来る。人を呪わば穴二つ。2ちゃんねるにおける、「オマエモナー」は、前世紀ネット社会最大の発明であったと言って良い。たった六文字で全てを相対化し、相手の主張を無効化する事が可能な、魔法の茶々。
 クマのプーさん Mugcup Collectionは、僕がテキストサイト=くだらないと断じ、その上で心的優位性を獲得しようとしている、と指摘した。しかしあの文章において僕が断じようとしたのは、「テキストサイト論なんてくだらない」と冷めた目をしている観客すなわち初めてのロックコンサートで言うところのB席の観客の態度であった。そのように座っている観客を、A席の熱狂に招き入れようとする為の、あれは一種のアジテーションだったのだ。それは当時のテキストサイト界の状況を併せれば容易に理解できただろうが、彼は誤読した。おお、なんとくまプー森下こそが誤読者であった!いや、違う、彼は意図的に解釈をずらしたのだ。何故か。それは、彼もまたテキストサイトがくだらないという事実を認識し、何の得にもならない事に時間と労力を割いている自分を自嘲的に眺めていたからではなかろうか!
 しかしそれは、例えばテキスレで名無しさんが呟くような疑問であり、僕らテキストサイト者がサイト上で発して良い疑問ではなかった。そんなある種の内部事情を暴露された事に対する怒り。共有幻想を破壊された失望。それが彼をして「九十九式再読」を書かしめた要因なのかもしれない。
 ただ、ここで注釈をいれるならば、彼の意図的な誤読をも責められたものではないのかもしれない。日記は日記単体としては成立し得ず、必ずそれが書かれた時の時代性に支配され、テキスト単体では存在することが出来ない。現に、1月3日の当日誌は、巷間に流布されていた「テキストサイト論はみんな馬鹿」という仮定に対するアンチテーゼとして書かれたものであるから、その過程にあえて目をつぶって取りだした時、そこには論者の意図に呼応して新しい解釈が成り立ってしまうのだ。かつてガダマーが『真理と方法』において指摘した通り、この不安定性こそが日記文化の特質なのである。
 あるいはこんな解釈も成り立つ。彼は「テキストサイト=下らないこと」として見ている宮本」に対して、憐憫の情を抱いている。この構造もやはり単純である。彼は「何の得にもならない草野球に本気になっている俺」に酔っているただの道化だ」、と宮本を糾弾する事によって、草野球の本当の楽しさを知っているとする自らの優位性を獲得したつもりになっているに過ぎない。九十九式は確かにミラーサイトである。 しかしそれは一般的テキストサイトのそれではない、解読を試みる者の無意識のミラーサイトなのだ。

 彼はアクセス数所有への意思を否定的に見ていると主張する。しかし僕らは今まで、彼が何度となくアクセスへの飽くなき渇望を文章中に覗かせるのを目撃してきた!例えば彼は、テキストサイト戦争が勃発すれば良い、とする冗談の中で「どうせ、負けたつて構つたものぢやねえ、一戦争のるかそるかやつつけることだ。勝てば勿論こつちのものだ、思ふ存分アクセス数をひつたくる。まけたつて大手ならそんなにひどいこともやるまい。」と語る。
 しかし、もしもそこを指摘されたなら、彼は「ネタだよ」と平然と返すだろう。当然、これがネタである事は僕らにもはなから解り切っている。しかしこの、過剰なまでのネタ姿勢が、彼の本質を見えにくくしている。
 恐らく実際にアクセス数が欲しくはないのだろうが、しかし全くそれを欲しくないとしたら、www上にアップロードしなければ良い。サイトを閉じて、それで終わりだ。OFF。パチン。だが彼はとにかくもサイトの更新を止めない。それでいて、「ふるい落とし」と呼ばれる技法をもってあえて読者を遠ざける。彼はアクセスの所有を否定しているのではなく、誤読者や悪質読者の存在可能性を消去した上で「真の読者」という名の共感者だけを獲得しようとする、テキスト選民思想という幻想の肯定者だったのだ。

 端的に言えば増えたアクセス数には必ず責任がつきまとうものである。相互主観性闘争に勝ちつづける者の肩にのしかかるのは、見のこなしを大きく制限する鋼の鎧。勝てば勝つほど装備は重厚になり、いつしか刺客に隙間を貫かれることだろう。過剰なネタやめまぐるしい(そして難しい)ネット言及を繰り出すくまプーの身軽さの本質は、闘争を最初から放棄する無責任に由来するものだったのだ。

 ならば僕は認めよう。相互主観性闘争において常に勝利をおさめ、獲得しよう。逃げまわって死角から毒矢を打つよりも、鎧を身につけたままでも上手く立ちまわる訓練をしよう。
 そして、時には鎧を脱いで素早さをも獲得しよう。僕らが愛した伝説超人・ロビンマスクのように!

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おわり


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