孤独

2002年8月18日 日曜日

 ある人はいう。「誤読出来ない文章なんか、何の魅力もない」
 なるほど確かに家電の取扱い説明書の文章はつまらない。自分なりに考えながら読む文章は刺激的だし、そういう面では誤読はファンタジーなのかもしれない。
 そして実際に僕は、意図的に真意をぼやけさせて、解釈に幅を持たせる書き方をする時もある。
 それに対する「誤読」は誤読ではなく、「意外な解釈」であったり「独創的な見地」だったりする場合も多い。
 以前も書いたように、僕はこのサイトで文章の練習をしているのだから、作者の意図が100%正確に伝わる文章が理想的のはずだ。にもかかわらず、やはり誤読は刺激的なのである。自分の創り出したテキストが、書かれた意図とは違う読まれ方をする。そこにあるのは、読者と作者の対決であり、コラボレーションであり、文字の化学反応なのだ。

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 本音を最終段落まで明かさないから誤読されるのだろうか?しかし、僕らは小学校の頃から、「作者の最も言いたい事は最終段落に書かれている」と教えられてきた。それに、
「彼はいい奴なんだけど、そそっかしくてね。」と言うのと、
「彼はそそっかしいけど、いい奴でね。」と言うのでは、印象が違う。もちろん、後者のほうが「彼はいい奴」という事実を強調した肯定的なニュアンスに感じられる。

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 そういえば、五月を最後にメールの返事を書いていない。
 5月13日の憂国日記に対して、誤読者と言える人からメールをもらって、すっかり気分が萎えてしまったからだ。
 自分で書いた文章に後から注釈を加えるのは、ギャグの解説をする時のような非常にいたたまれない気分になるから嫌なのだが、ここは話が進まないのであえてしてみます。
 この日誌は九十九式おなじみの右翼ネタながら、「反日国家が頑張って活動してくれれば、日本の平和ボケ層も目がさめるんじゃない?」という自虐性をまじえた憂国日誌でした。
 しかし、この日誌に対して送られてきたメールは以下のようなもの。

反日国家を応援するだなんてとても日本人とは思えないし全然笑えない。不愉快だ。あなたは非国民ですか?
不審船で日本人の命が奪われかけてるのもっと過激に頑張ってほしいのですか?あなたは平和ボケしたアホ日本人ですよ。それとも日本人の皮をかぶった非国民ですか?(大意)

 この人は誰に何を言っているのか解ってたんでしょうか。
 大メール返信キャンペーンの最中にこのメールを頂いた僕はすっかり萎えてしまったのです。この人は結語の「九十九式は、反日国家を応援します!」しか読まなかったのかもしれない。

 このように、結論を最後に持って来ても誤読する人は誤読するのだ。
 ではそう言う人達はなぜ誤読するのだろうかと考えてみると、ひとえに「早とちり」のせいだと僕は考える。(身もフタも無いが。) 人は、執筆者が思っているほど他人の文章をちゃんと読んではいない。

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 多くの人に文章を読んで欲しかったら、フォントサイズはこのくらい、行数は5~10行程度が良いでしょう。


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