聖者の更新

2002年9月12日 木曜日

 生物兵器を称して「貧者の核兵器」と言ったりするが、さしずめテロは「弱者の核兵器」といった所か。

 9.11。言うまでもなくアメリカで大規模なテロ事件が発生した日付けだが、募金もしなかった僕は黙祷をするでもないし、それほど感慨のない日付けだ。
「ああ、ちょうど1年前のこの時はこうしてたなぁ」「もうあれから1年も経ったのか」と過去を振りかえる、歳時記のような意味合いしか持たなくなってしまった。(季語は晩夏。)
 あれは僕にとっては、あくまでもTVを通してみる海の向こうのできごとで、まさしく対岸の火事だったのだ。アメリカのアナウンサーさえ「まるでハリウッド映画の1シーンのようです」と言っているところで、どうして無縁の僕らに涙を流すことができようか。

 でも、これはこれでまぁいいんじゃないだろうか。こうやって多くの人にとってただのメモリアル・デイになって、やがて年表にのる出来事になって、歴史に埋もれて行く。150年も経てば誰も生きていない。

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 僕はあの日「海の向こう」にいたけど、日本をはさんでちょうど反対側だったから別に何事も無かった。ただ、英字新聞の怒りトーンの激しさには驚いた。
 皆さんはあの日は何してましたか。僕は海外にいたというのに、日本のネッ友にこのニュースを教えてもらったのが思い出ぶかいです。(ネットカフェでメッセをインストールしていた)

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 でも、まだ「終わったこと」にはなっていない。今夜TVでとりあげられた映像はほとんどがNYのもので、確かに被害は甚大だし、犠牲者はいたましく、遺族には気の毒である。しかし、文明的に弔われたNYの犠牲者の裏で、虫けらのように駆除されていく異教徒の犠牲はどうなるのか。
 彼らの思考は「民家も全て軍需工場」と称して東京大虐殺を正当化した頃と変わっていないのか?
 「正義の爆撃」は、裏を返せば、戦争屋ブッシュの『新型兵器お披露目実験会』でしかないように思える。
 見えない飛行機から打ち出される、60km先の目標に正確に命中する爆弾。上空を通過しただけで強烈なジャミングで対空兵器を破壊しながら飛んで行くミサイル。次はバトル・ドロイドか、スター・デストロイヤーでも作るんだろうか。
 こんな悪魔的兵器をもってして、手を汚さずに、わずかな旧式歩兵と大量の市民を殺戮するってんだから、核兵器とどっちが非人道的なのかわからない。
 誤爆スマソ!

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 「戦争について」考えてみるのもいいと思うけど、やはりここは「テロについて」考える方が適当な気がする。日本には、戦争について考える日は他にいくらもある。


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