人は死んだら生き返らない 3割 ~佐世保同級生殺害事件の波紋~
長崎佐世保小学生事件、加害女子は、殺した相手に「直接会って謝りたい」と話しているそうだ。もちろんこれは感傷的な詩的表現、ifの話……。ではないかもしれないのだ。
日本女子大の調べによると、「人は死んだら生き返らない」と正しく答えられた小中学生はなんと3割だったらしい……! 裏を返すと、実に7割、ほとんどの小中学生は「人は死んでも生き返る」と考えているということだ! ドーンオブザデッド! (よくわからない、どちらとも言えない、もいるかもしれないが)これは実に恐るべき事態である。そんな子供たちに今さら「命の尊さを…」とか訴えても、無意味な気がする。
自分が小学生だった頃のことを考えると、「人は死んだら生き返らない」などというのは自明の理で、そんなこともわからない小中学生なんて少なくとも周囲にはいなかったように思う。(このアンケートの真に恐ろしい点は、これが中学生を含めた結果という点である) 今の子供たちがバカになったのか? 今と昔と何が違うのか。
月並みな展開になるが、屁理屈を練ってみよう。高度経済成長時代以降、都市の過密と核家族化がどんどん進んだ結果、子供たちは身近にあったはずの“死の体験”を喪失してしまった。昔なら同居しているじーさんばーさんがぽっくり死んだり、つかまえてきたバッタをカマキリに捕食させたり、犬が死んだり猫が死んだりと、身近に死の影があったはずだ。もっと昔ならば戦争や災害が大量に人を殺した。
しかし今では、じーさんばーさんはTV電話の中の存在になり、昆虫採集はポケモンゲットに変わり、戦争はモニタ上のユニットを動かして指示を与えるものに変わった。
今の子供は生き返りを信じている。しかしそれは古代呪術的なミイラ信仰ではなく、仏教的な輪廻転生でもない。きっと彼らは、教会で500G払うか、じゅもんを唱えるか、あるいはしばらくほうっておけば回復する、“死とはライフがゼロになった一時的戦闘不能状態”とでも捉えているのではないだろうか。象徴的な意味として、生まれたときからドラクエがあった世代の死生観は、我々とちょっと違うのではないか。そんな気がする。
おお ゆうしゃよ しんでしまうとは なにごとだ
—–
広告