ドラクエ3礼賛日記

2004年11月28日 日曜日

 4年半ぶりにドラクエの最新作が発売され、PSPやDSとあわせて、ゲーム業界は今年の年末の話題に事欠かない。インターネットもドラクエの話題でもちきりだ。しかし、僕はどうも今ひとつやる気になれないのである。

 個人的には、ドラクエの最高傑作は3だと思っている。その最大の理由は、感情移入度の高さではなかったか。ドラクエ3では、自分が主人公になれた。自分がドラクエワールドの勇者として冒険をしている実感があった。ルイーダの酒場では、クラスメートの名前を入れた。(パーティーの編成を遊びに来た友達に見られ、キャラクター名から好きな子がバレたりしたものだ。)仲間を自分で作り、行き先も自分で決める。物語を自分で作っている確かな感触があった。

 しかし、「仲間を自分で作れる」というのは3だけだったし、あれはある種の“鬼子”のような存在だったのかもしれない。4からはどんどん、“大作志向”が進んだ。FFほどではないにせよ、用意された物語を、ボタンを押しながら進めていくゲームになっていった。FFが「デジタル紙芝居」と揶揄されたように、ムービーやプレイヤー置いてけぼりのお話の展開を見るために何十時間も捧げるのは、ファンでなければ難しい。

 物語に奥行きを持たせるための結婚シナリオや、モンスターを仲間に加えるシステムなど、“ドラクエらしい”工夫も確かに多く見られた。実際それらは成功したかに見えたし、面白かった。しかしそれは表面的な物語と、ポケモン的な収集・育成ゲームの面白さを持ってきただけに過ぎなかった。ドラクエ3の、自分が物語に入り込んだときのような興奮はのぞむべくもなかった。

 しかし、最新のRPGがユーザー(というか僕)を置いてけぼりにしてしまう背景には、ゲーム機の進化のせい、という皮肉な現実がある。かつて堀井雄二が「SFCになって、ハードの表現力が上がった分、作りづらくなった」と言っていた。つまり、ファミコンのグラフィック性能なら、町の人のパターンなど4~5点用意して使いまわしていれば足りる。空白をプレイヤーが想像で補完するからだ。しかしゲーム機の性能が上がったら、上がった分だけ作りこまなければいけないのだ。

 というわけで、じーさんのように回顧してドラクエ日記を書く人々を冷淡に眺めつつ、キーボードを置こうと思っていた。が、昨日ファミマで肉まんを買おうとしたら、レジ横に「ドラクエあります 8080円」の貼り紙があったので、うっかり衝動買いをしてしまった。もう一度だけ堀井雄二を信じてみてもいいじゃない…? りせっとぼたんを押しながら電源切ってみてもいいじゃない…? DATE恋したっていいじゃない……。

—–

広告


この記事の評価は:

うーん…いまいち…ふつうですかなり良い素晴らしい (まだ評価されていません)
Loading...

コメントをどうぞ

コメント
Follow me on Twitter