東京大虐殺

2005年3月10日 木曜日

 イラク戦争では、多数のハイテク機器が投入され、軍事施設だけを狙い打つ“ピンポイント爆撃”が喧伝された。

 しかし、実態は民間施設への誤爆も多く、多数の民間人が犠牲になった。結婚式を祝っていた集落が、テロリストの巣窟と勘違いされ、一瞬にして殲滅された悲惨な例もある。イラク・ボディーカウントによると、開戦から今までで、1万6000人以上の市民が殺戮されたとされる。
ブラウン管には、連日イラクの市民が瓦礫の山の前で泣き叫ぶ様子が映し出された。全世界が同情し、アメリカに非難の目を向けた。

 ブッシュは「たかが1万ちょっとで、ガタガタ言ってんじゃねえよ」と思っただろうか。だが、僕もそう思う。たかが1万ちょっとだろう?

 今から60年前、昭和20年3月10日。東京上空に、それぞれが6トンの焼夷弾を搭載した344機からなるB29の編隊が現われた。彼らは計6,908トンもの焼夷弾を投下し、東京を文字通りの火の海にして、非戦闘員を虐殺した。
この作戦は、たった一晩で、約10万人もの犠牲者を出した。これは非戦闘員の殺戮のみを目的とした蛮行で、戦闘行為を逸脱した国際法違反の作戦だった。原爆投下、ナチスのホロコーストにならぶ、人道上の罪である。

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 アメリカは、わざわざ演習場に日本家屋を建設し、中にはちゃぶ台や火鉢やタンスまで置いた精巧なモデルを作り、焼夷弾のテストをした。全ては、日本の民間人を大量殺戮するための計画的な犯行だった。まず、江東区・墨田区・台東区にまたがる40kmの周囲を、ぐるりと炎の壁で囲み、退路をふさいだあとで住民をなぶり殺しにした。家屋は全て焼き尽くされ、逃げ惑う市民には機銃掃射が待っていた。

 この作戦を指揮したカーチス・ルメイ将軍(鬼畜ルメイ)は、「日本の民家は、全てが軍需工場だった」とうそぶいた。戦後、鬼畜ルメイは、勲一等旭日大綬章を贈られている。

 本日、3月10日は、東京大空襲記念日。米国が日本にした残虐無比の仕打ちを決して風化させることなく後世に伝え、復讐の牙を研ぎ、雪辱の決意を新たにする日である。


ずっと子供を背負っていたので、背中の部分だけ白い母親。
人々はボロボロに炭化するまで焼き尽くされた。


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コメント / トラックバック 3 件

  1. 匿名 Says:

    東京大虐殺の名称に賛成!
    人数不確定な南京のは捏造してまで一生懸命なのに、こっちには地球市民のみなさんは無関心なようですし。

  2. 宮本 Says:

    まぁこの呼称が定着することはまずないでしょうけど、「大空襲」だと、なんだか大変な事件だった、くらいの印象になってしまう気がしたのです。
    1都市で10万人を意味なく殺すってとんでもないことですよね。

  3. 匿名 Says:

    支那だと10万でも問題なさそうですが

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