東京大虐殺に関するやりとりの2

2005年3月17日 木曜日

 歴史や政治、思想について語ると色々と大変だなあ、と思うも、いかにもブログ活動らしくて楽しくもあります。皆様お付き合いいただきありがとうございます。宮本です。

 さてARTIFACT@ハテナ系で東京大空襲について

一つの戦闘として見れば、人道的に許されない軍事作戦なのだが、歴史の大きな流れでみて、それによって救われた人たちも多いのだろうと考え始めると、空襲や原爆の評価が難しくなる。

アメリカが人道的に許されない軍事作戦を実行したことは当然批判すべきなんだけど、当時の日本もまた、そんな圧倒的な軍事力の差を見せられても、まだ戦争を止めようとしなかった。そういう判断のできない国だったんだから。(「東京大空襲」を「東京大虐殺」と呼ぶ

と軽く触れられている件について、九十九式は超殺伐とした言及をしたのですが、それに対し詳細なフォローアップがありました。

アメリカが、都市空襲や原爆といった民間人を対象にした国際法違反の作戦を行わず、あくまで戦闘員を対象にする作戦を実行すべきだったと考えた場合、日本が降伏を受諾しなかったのですから、最終的に上陸戦になります。その時でも、塹壕などの軍事施設を爆撃するでしょうから、居住地近くにそういうものを作っていた当時、民間人の死者は避けられません。(中略)南京虐殺と同じような問題が、日本国内の各所で発生することは考えられます。

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あの比較で一番主張したかったかといえば、敗戦にいたる当時の日本政府の判断の問題です。開戦も当然充分無茶でしたが、戦争の目的をはっきり限定して、その目的を達成して交渉を始めれば、有利な条件で講和を結べた可能性はあります。第二次世界大戦時の日本の作戦をみるとわかりますが、目的がなし崩しに増えていった作戦がたくさんありますが、こういう無目的性が、悲惨な負け方に繋がったと思うのです。

あと、原爆投下に関しては、通常の都市空襲と異なり、当時のソ連への威嚇や実験の要素が強いのではないか?というのは理解しています。ただ、原爆がなかったら、日本政府は降伏を考えずに上陸戦が起きた可能性は高いだろうということを考えたのです。(「東京大虐殺」の続き

 まず、原爆に関しては、やはり必要だったとは思えません。当時の日本にはほぼ継戦能力はなく、ソ連の参戦で降伏は秒読み段階だったとも言われています。それでも「原爆がなかったら、上陸戦が起きた」可能性は否定しませんが、上陸戦の被害が原爆2個分より大きかったとは到底思うことはできないのです。(アメリカ兵の死者に関してはそうでしょうが)
 と一方では言いつつも、実際に上陸作戦、本土決戦が行なわれたとしてどのくらいの犠牲が出たかは、数々のシミュレーションがありますが、どれも前提や思惑によって随分変わりますし、そういう特殊状況下を考えるのはifの世界になってしまうので、“黙殺”させていただきます。

 代わりにもう一つの主題である「人道」について考えて見ます。
「人道的」とは何か。戦争は殺戮でありますから、そこに人道の介する余地は非常に少ないのですが、簡単に言えば「あまり残酷すぎることをしない」「苦痛や被害が無意味に増大したり、残ったりする兵器を使わない」ということでしょう。
すると、どうせ殺されるなら地上戦の巻き添え(かゲリラ戦)で血みどろになって死ぬよりは、短時間で焼き殺されるほうがマシなのではないか。いや、せめて戦ってから死んだほうがマシなのでは。という価値観の衝突になります。前者は加野瀬さん、後者は宮本。まぁ、相当乱暴な分類ではありますが。

『ウルトラマン』で、ジャミラという怪獣が国際会議の会場を襲うというエピソードがありました。実はジャミラは、火星探査船に乗っていたが、故障により地球に帰れなくなってしまった宇宙飛行士でしうた。火星の環境に適応するために突然変異を起こして進化(!)して怪獣となり、自分を見捨てた仲間に復讐するために地球にやってきたのです。この設定に関する細かいツッコミはさておき、対するウルトラマンは、元は人間、ということに配慮してか、スペシウム光線などの決め技を使いませんでした。人道的! 代わりに、ウルトラシャワーというマイナー技を使いました。これは手からジェット水流が出るという、単なる水芸なんですが、水のない火星で進化したジャミラは水に弱い。苦しそうにあえぎながら溶けて、ドロドロの液体となってしまいました……。人道的……? 苦しみもがいてのた打ち回るジャミラを見ながら、僕は子供心に「どうしてひと思いにギロチンや光線でやっつけてやらないんだろう」と後味の悪い思いをしたのだった。人道って難しい。

 次に日本の大戦略についてです。日本は昔から戦略や目的を考えるのが下手であると言われます。奇跡の勝利と言われた日露戦争だって、そもそも日本が継戦能力を失って進退窮まるときに、露西亜皇帝の厭戦気分と米国の仲介によって、タイミングよく判定勝利できたに過ぎません。(か、どうか、コメント欄に日露戦の講和と勝因に関する指摘あり)
 大東亜戦争に関しても、日米開戦前夜、勝算を問う近衛首相に対し「1年や1年半なら存分に暴れてご覧にいれましょう。」しかしその後のことは保障できない、と答えた山本五十六の言葉はあまりにも有名です。事実その通りになったわけで、前半の目覚しい進撃とは裏腹に、日本軍は2年目からガラガラと崩れ始めました。結局日本は「どのように戦争を始めてどのように終結(勝利、和睦)させるか」というビジョンを明確にしないまま、なし崩し的に戦争に突入してしまったわけで、戦争というよりも一つずつの戦闘をしていただけなのかもしれません。

 といったところが僕の考え方で、日本政府の判断や舵取りに問題があったとする指摘は最もですし、おおむね同意見です。「水に流す」のは日本の美徳ではありますが、もっとリアリスティックに研究し、教育していくべきでしょう。しかし、市民裁判で責任者を糾弾するというネタに夢は感じません。敗因の研究は、次にアメリカや諸外国と戦うときには決して負けないようにするためです! (戦争に限らず、経済でもスポーツでも文化でも)
 勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す。これが僕の反米です。過ちは繰り返しません!

 そして、あんな超煽り口調で文中しておきながら、名前の漢字を間違えててすみません。辞書登録しておきました。ハロプロ人名以外で登録するのは初めてなので、許してください。脳内校正機能を強化します。過ちは繰り返しませんから……。


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うーん…いまいち…ふつうですかなり良い素晴らしい (まだ評価されていません)
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コメント / トラックバック 5 件

  1. 匿名 Says:

    実際の個人名まで覚えていないんですが日本政府も停戦に向けて工作していましたよね。(これって、一発目の原爆投下後でしたっけ?)ところが日本に攻め入りたいソ連のスパイによってアメリカ行きの電報が書き変えられてしまい、「そろそろ戦争やめませんか?」という趣旨が「絶対降伏なんてするもんか!」という正反対の内容としてアメリカ側に伝わってしまったという。戦時中の軍人と政治家が無能であったにしても、「降伏なんてありえない」というのは単純な誤解なんではないかと思います。
    人権は守られるべきだし、出来る限り人道的な事をやるべきでしょうが、戦争というのは殺し合いで勝った方が負けた方を好き勝手に処分するという類のものですからねぇ。東京裁判でもアメリカを含む戦勝国側は「国際法違反」を盾にして日本人将校を断罪していくわけですが、中国人民軍によって日本人捕虜は拷問の上に惨殺されていましたし。(だから日本軍による戦争犯罪が許されるわけではなく、日本は戦後保障をちゃんと国単位でやっていったわけで)
    現在も当時の「力こそすべて」という延長線上にあって、アメリカがイラクを侵略するという段になったときに誰もそれを阻止できないわけですよね。(口では何とでも言えるけど)
    こういうことをいうと直ぐに「右翼だ、保守だ!」っていう話になるんですけど、いい加減目を覚ました方がいいと思うんですけど。
    因みに僕はアメリカの国立大学で研究をしています。(非国民!)
    これからも更新がんばってください。

  2. 宮本 Says:

    1945年 スイス・バーゼルでの日米秘密和平工作の全容
    アレン・ダレスと日本の終戦工作

    日本政府による和平交渉、この辺りの話でしょうか。スイス経由で和平を働きかける動きがあったものの、政府はソ連を仲介役とした交渉にこだわってしまった。しかし当のソ連は条約破りの参戦準備を進めていた、と……。

    また、ポツダム宣言に関しての「黙殺する」という回答も、日本語として微妙なニュアンスの含まれる言葉だと思うんですが、これが外電で「無視する(Ignore)」と訳され、さらにアメリカで「拒絶する(Reject)」と超訳された、という経緯がありました。翻訳って難しい。(『歴史をかえた誤訳』に詳しい)
    今だと、「ノーコメント」という便利な言葉があるんですけどね……。

    敵国での勉学、大いに結構じゃないですか! 戦に勝つにはまず敵を知ることからです。僕もがんばりますので、アノニマスさんもがんばってください!

  3. 宮本 Says:

    WEB資料として

    >>
     ポツダム宣言が出た後の閣議で、東郷茂徳外務大臣は「これを速やかに受諾すべし。」と主張した。これに対して、陸軍はそれをすぐ呑むわけはない。阿南陸軍大臣は「現在ソ連に仲裁を頼んでいるので、その出方も考えなくてはならない。」と言う。一般閣僚もだんだん「ソ連の出方をみようじゃないか。」となり、それで「ノーコメントだから黙っている。」ということになった。

     2日後(7月28日)になると、陸軍の前線から「政府は何故黙っているのか。強固な意志表示をせよ。」と迫ってきた。そこで米内光正海軍大臣が「政府は公式の声明をしなくても、政府の考えが漏れてくるようなうまい方法はないか。」と発言。吉積正雄陸軍軍務局長が「今日の総理大臣の記者会見の席上で言わせろ」と提案し、「まぁ、それはよかろう」となって、そこでそれとはなしに発表することになった。当時の内閣記者は、われわれの言うことをよく聞くからあんまり大袈裟にはこれを取り扱うな、小さく取り扱えと条件を付してやろうとなった。

     記者会見の場で、鈴木貫太郎首相は「ポツダム宣言をどうするのか」という記者の質問に「黙殺するのみ」と答えた。陸軍部内では「黙殺」は「黙って言う」ということなので、そのように言った。

     ところが、同盟通信(政府から独占的特権を与えられていた)は、それを「Ignore」と誤訳して世界に報道した。アメリカのラジオはこの「Ignore」を「Reject」と放送した。訳文というものは全く難しい。アメリカは「Reject」を原子爆弾を使う口実にしたと思うし、ソ連は「奇貨おくべしとして」日本への宣戦布告の理由にしたと思う。#
    <<

    「迫水内閣書記官長証言」に見る敗戦前夜

  4. 匿名 Says:

    日露戦争の時は、長期戦になればロシアが有利なことは判っていて、優勢になれば少しでも有利な条件で講和しようという方針で、特使として金子堅太郎を送ったんじゃなかったんでした? 金子堅太郎はルーズベルト大統領とハーバード大の同窓。軍部の暴走は元老が死んでしまった後で、それまでは高度な外交戦略が取れていたんではなかろうか?と思います。その頃は開戦&終戦を政治的に考えることが出来たんでわ。
    日露戦争の勝因と思われるもの↓
    政治1:金子のルーズベルトとの縁及び世論の誘導
    政治2:明石元次郎によるヨーロッパにおけるロシアの革命勢力の援助
    軍事1:下瀬火薬を用いた新砲弾(海軍)
    軍事2:機関銃の導入(陸軍)

  5. 宮本 Says:

    >>5
    なるほど。本文に注釈でアンカーを入れておきました。日露戦争に関してももっと勉強する必要がありそうです。

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