歴史や政治、思想について語ると色々と大変だなあ、と思うも、いかにもブログ活動らしくて楽しくもあります。皆様お付き合いいただきありがとうございます。宮本です。
さて
ARTIFACT@ハテナ系で東京大空襲について
一つの戦闘として見れば、人道的に許されない軍事作戦なのだが、歴史の大きな流れでみて、それによって救われた人たちも多いのだろうと考え始めると、空襲や原爆の評価が難しくなる。
アメリカが人道的に許されない軍事作戦を実行したことは当然批判すべきなんだけど、当時の日本もまた、そんな圧倒的な軍事力の差を見せられても、まだ戦争を止めようとしなかった。そういう判断のできない国だったんだから。(「東京大空襲」を「東京大虐殺」と呼ぶ )
と軽く触れられている件について、九十九式は
超殺伐とした言及をしたのですが、それに対し詳細なフォローアップがありました。
アメリカが、都市空襲や原爆といった民間人を対象にした国際法違反の作戦を行わず、あくまで戦闘員を対象にする作戦を実行すべきだったと考えた場合、日本が降伏を受諾しなかったのですから、最終的に上陸戦になります。その時でも、塹壕などの軍事施設を爆撃するでしょうから、居住地近くにそういうものを作っていた当時、民間人の死者は避けられません。(中略)南京虐殺と同じような問題が、日本国内の各所で発生することは考えられます。
あの比較で一番主張したかったかといえば、敗戦にいたる当時の日本政府の判断の問題です。開戦も当然充分無茶でしたが、戦争の目的をはっきり限定して、その目的を達成して交渉を始めれば、有利な条件で講和を結べた可能性はあります。第二次世界大戦時の日本の作戦をみるとわかりますが、目的がなし崩しに増えていった作戦がたくさんありますが、こういう無目的性が、悲惨な負け方に繋がったと思うのです。
あと、原爆投下に関しては、通常の都市空襲と異なり、当時のソ連への威嚇や実験の要素が強いのではないか?というのは理解しています。ただ、原爆がなかったら、日本政府は降伏を考えずに上陸戦が起きた可能性は高いだろうということを考えたのです。(「東京大虐殺」の続き)
まず、原爆に関しては、やはり必要だったとは思えません。当時の日本にはほぼ継戦能力はなく、ソ連の参戦で降伏は秒読み段階だったとも言われています。それでも「原爆がなかったら、上陸戦が起きた」可能性は否定しませんが、
上陸戦の被害が原爆2個分より大きかったとは到底思うことはできないのです。(アメリカ兵の死者に関してはそうでしょうが)
と一方では言いつつも、実際に上陸作戦、本土決戦が行なわれたとしてどのくらいの犠牲が出たかは、数々のシミュレーションがありますが、どれも前提や思惑によって随分変わりますし、そういう特殊状況下を考えるのはifの世界になってしまうので、“黙殺”させていただきます。
代わりにもう一つの主題である「人道」について考えて見ます。
「人道的」とは何か。戦争は殺戮でありますから、そこに人道の介する余地は非常に少ないのですが、簡単に言えば「あまり残酷すぎることをしない」「苦痛や被害が無意味に増大したり、残ったりする兵器を使わない」ということでしょう。
すると、どうせ殺されるなら地上戦の巻き添え(かゲリラ戦)で血みどろになって死ぬよりは、短時間で焼き殺されるほうがマシなのではないか。いや、せめて戦ってから死んだほうがマシなのでは。という価値観の衝突になります。前者は加野瀬さん、後者は宮本。まぁ、相当乱暴な分類ではありますが。

『ウルトラマン』で、ジャミラという怪獣が国際会議の会場を襲うというエピソードがありました。実はジャミラは、火星探査船に乗っていたが、故障により地球に帰れなくなってしまった宇宙飛行士でしうた。火星の環境に適応するために突然変異を起こして進化(!)して怪獣となり、自分を見捨てた仲間に復讐するために地球にやってきたのです。この設定に関する細かいツッコミはさておき、対するウルトラマンは、元は人間、ということに配慮してか、スペシウム光線などの決め技を使いませんでした。人道的! 代わりに、ウルトラシャワーというマイナー技を使いました。これは手からジェット水流が出るという、単なる水芸なんですが、水のない火星で進化したジャミラは水に弱い。苦しそうにあえぎながら溶けて、ドロドロの液体となってしまいました……。人道的……? 苦しみもがいてのた打ち回るジャミラを見ながら、僕は子供心に「どうしてひと思いにギロチンや光線でやっつけてやらないんだろう」と後味の悪い思いをしたのだった。人道って難しい。
次に日本の大戦略についてです。日本は昔から戦略や目的を考えるのが下手であると言われます。奇跡の勝利と言われた日露戦争だって、そもそも日本が継戦能力を失って進退窮まるときに、露西亜皇帝の厭戦気分と米国の仲介によって、タイミングよく判定勝利できたに過ぎません。(か、どうか、
コメント欄に日露戦の講和と勝因に関する指摘あり)
大東亜戦争に関しても、日米開戦前夜、勝算を問う近衛首相に対し「1年や1年半なら存分に暴れてご覧にいれましょう。」しかしその後のことは保障できない、と答えた山本五十六の言葉はあまりにも有名です。事実その通りになったわけで、前半の目覚しい進撃とは裏腹に、日本軍は2年目からガラガラと崩れ始めました。結局日本は「どのように戦争を始めてどのように終結(勝利、和睦)させるか」というビジョンを明確にしないまま、なし崩し的に戦争に突入してしまったわけで、戦争というよりも一つずつの戦闘をしていただけなのかもしれません。
といったところが僕の考え方で、日本政府の判断や舵取りに問題があったとする指摘は最もですし、おおむね同意見です。「水に流す」のは日本の美徳ではありますが、もっとリアリスティックに研究し、教育していくべきでしょう。しかし、市民裁判で責任者を糾弾するというネタに夢は感じません。敗因の研究は、次にアメリカや諸外国と戦うときには決して負けないようにするためです! (戦争に限らず、経済でもスポーツでも文化でも)
勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す。これが僕の反米です。過ちは繰り返しません!
そして、あんな超煽り口調で文中しておきながら、名前の漢字を間違えててすみません。辞書登録しておきました。ハロプロ人名以外で登録するのは初めてなので、許してください。脳内校正機能を強化します。過ちは繰り返しませんから……。