ブログ・イズ・デッド

2005年5月29日 日曜日

 某カリスマはてなダイアラーに「九十九式は元々ブログですよね」と言われ、「いやぁブログですかねぇヘヘ」と照れて見せたのが先々週のこと。九十九式のブログ化は迎合ではなく適応だ! とかなんとか言ってる間に、「ブログは死んだ!」と哲学者みたいなことを言う人が現われ、“ブログ終焉論争”が勃発していた。

 どれどれ、と該当ブログを読んでみると

日本のブログ界がリアル世界において生み出した成果とは何だったんだろうか。
思いつくまま挙げてみると、梅田望夫を媒介にして米国のブログ・ムーブメントの思想をネット住民がリアルタイムで受け止め、山本一郎や真鍋かをりという端くれ者を突然メディアの寵児に祭り上げ、磯崎哲也や湯川鶴章という新たな文化・知識人を生み、藤代裕之や伊藤春香というニューウェーブのライター、あるいは現役女子大生タレントを生んだ、そんなところか。([R30]: ブログブームの終わり

とある。どしぇー。俺、ここに出てくる人名、2人しか分からないよ! と、遠い……。ブログ界が遠い。申し訳ない。九十九式はブログなんつって、全然ブームに乗れてなかった。知らないところで始まって、知らないうちに終わってた。九十九式無しでも、日本のBlog創成期は語られていた。(当たり前) というか僕にとって“ブログ”というのはあくまでツール(形式と手法)であって、こういうムーブメントとかコミュニティとは全く無縁だったわけですけども。
 それにしてもこの記事は面白いなあ。「終わった!」と感じたきっかけは「アクセス数が伸びなくなったから」ってのがまた。

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 で、この話題は1ヶ月もかけてじわじわとブログ界を練り歩きつつ、その“ブログブーム終わった論ブーム”も一回りして収束しつつある。どうせ誰かが「終わった!」なんて言ってもブログが無くなるわけじゃない。そんなこと言ったら、ロックなんて何度終わったんだ。人が求めるものは、いつの時代も意志の疎通、交換、伝達だ。

 さて僕はブログ(という単語や現象)に連帯感とか愛着とか一切を感じていないのでドライに抱きしめますが、この2~3年の一連の動き、つまり狭義のブログブームは、「ブログ」が現代用語、普通名詞として定着する過程だったんじゃないでしょうか。

 要するに、「今話題のブログ」とか「新しい個人発信ツールのブログ」とか「新時代のジャーナリズム・ウェブログ」とか、そういうマクラことばがいらなくなって、ただ「ブログ」で通用するようになった。気負いとか気恥ずかしさとかを伴わずに。そういうことだと思ってます。

 2年以上前に、某PC雑誌編集部の採用面接を受けたとき「えーっと、宮本さんはサイト運営をしているとか。日記サイト?」「いえ、テキストサイトというか、まぁウェブログ、ブロッグですよ。」「ブロッグ……。それはどんなもの?」「毎日時事ネタやサブカルについてハイパーリンクの文章を更新します。」「うーん。要するに日記サイトじゃないの?」「あ、はい、まぁそうです……」というやりとりをしたことを思い起こせば、隔世の感である。その1年後くらいに、どこのPC雑誌でもブログ特集が当たり前に組まれるようになった。もちろんその雑誌でもだ。

参照サイト
[R30]: ブログブームの終わり
ガ島通信:「ブログ」の終焉
「ブログの終わり」? それは「キャズム」を越え、一般化・大衆化によって薄まった時代の到来 [絵文録ことのは]2005/05/26
ARTIFACT ?人工事実? | 昔書いたブログ論ピックアップ


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