犬がいなくなった日

2005年9月30日 金曜日

 犬なんて飼っても何もいいことない。みんなNintendogsにしときなよ。悪いことは言わないから。

 実際の犬はずっと子犬じゃない。自然界では幼児期は弱者なので、動物はすぐにおとなになる。犬の場合、1年で成犬になる。

 成犬になったら、そんなにころころじゃれ付いてこなくなるかもしれないし、日々の世話はいつしかタスク化する。雨の日も風の日も散歩にいくのは面倒になるかもしれない。

 どんなに大事にしても、大抵の場合はまず自分より早く寿命が来る。

 犬が老いるのは悲しい。足が弱る。目が見えなくなる。耳が遠くなって、息が臭くなる。飼い主のことだって分からなくなる。そのうち立てなくなって、水も飲めなくなって、糞尿垂れ流しで臭くなって、病院に連れて行ったら腎不全で手遅れになる。仕事帰りに電話が入って、急いで駆けつけたら小さい箱に入って動かなくなってる。

 犬の飼育には、そういうことも含まれる。そしたらこんな自己満足の日記を書かずにいられなくなる。

 昨晩、マロンが死んだ。死んだ犬はブログを読まないので、こんなところに書いても単なる自己満足で偽善かもしれない。でも、やっぱりこの場で言わせて欲しい。

 ありがとう。俺を選んでくれて。一度、野良でうろうろしてるところを見つけたけど、そのときはすぐ別れた。でもその後すぐに、サッカー場に親切な人に連れられてきた。

 ありがとう。親を説得してくれて。おまえが白くてあまりに可愛かったから、親も「捨てて来い」とは言えなかったんだと思う。

 ありがとう。なぐさめてくれて。小学校の頃、僕はいじめられていた。おまえが唯一の味方のように感じた。泣いてたら顔なめてくれた。

 ごめんね。「受験勉強忙しいから」とかいうフザケた理由で、日々の世話を親任せにした時期があった。浮いた時間で何してたかというと、ゲームボーイやってた。

 ありがとう。好きでいてくれて。孤立したときもあった。おまえだけは僕が学校から帰ると、しっぽが抜けて飛んでいきそうな勢いでぴこぴこ振りながら出迎えてくれた。

 ごめんね。そそうだのイタズラだので怒って。僕はあんなふうに強圧的におまえに当たるべきじゃなかった。

 ありがとう。元気でいてくれて。おまえは病気ひとつしないし、無駄に吠えないし、本当に手が掛からない子だった。

 ごめんね。散歩に連れて行くのが1日1回になって。しかも真夜中の2時とか3時とかに連れ出して。

 ありがとう。お母さんに叱られて家を飛び出したガキん頃、でも遠くへは行きたくなくて、でも家には戻れなくて、犬小屋にいれてくれて。あったかかった。

 ごめんね。たまに餌をあげるの忘れた。1日1回なのに。

 ごめんね。毎年マダニの薬もフィラリアの薬もやり始めるの遅れて。

 ごめんね。2年くらい前から「仕事で帰り遅いから」なんていうフザケた理由であまり散歩にいかなくなって。年々弱っていくおまえを見るのが忍びなかった。向き合えなかった。

 ごめんね。病院連れて行くの遅くなって。月曜日に倒れたときにすぐ連れて行けば、今週いっぱいくらいはもったのだろうか。

 ごめんね。なんか現実感がなくて、「日記に何て書こう」とか考えてた。

 ごめんね。死に目に会えなくて。病院からの電話を受けたときはもう電車の中だったけど、その前にもっと早く仕事整理して駅まで走ってれば間に合ったかもしれない。

 ごめんね。毛布に包まれて箱に入ったおまえが運ばれてきたとき、どうしていいのか分からなかった。

 ごめんね。病院では「犬が死んだくらいで大の大人が泣かないよな」とか考えてて。帰りにサンドイッチ食った。今さら泣いても遅いよな。

 ごめんね。こんな俺が飼い主で。

 ありがとう。こんな俺と一緒にいてくれて。

 ありがとう。おまえは最高のトモダチだった。

 ありがとう。なんか最後はごめんばっかりになっちゃったけど。

 ありがとう。

 ありがとう。

 ありがとう。

 本当にありがとう。大好きだった。

コンビニでスタバ

2005年9月29日 木曜日

 チルドカップ戦線にスタバが参入した。*1

 日本上陸時は「なんか気取った喫茶店」のような目で見られていたスタバも、シアトル系コーヒーショップというジャンルを確固たるものにし、今では郊外でもたいてい駅前にある。とうとうコンビニレベルまで身近になった。

 これが売れているらしい。スタバのコーヒーは、カップになってまで飲みたくなるほどおいしいものなのだろうか。僕はコーヒーだけをとってみれば、セガフレドのほうがおいしいと思うがなあ。

 物は試しということで、さっそくスタバの隣にあるコンビニに行ってみた。隣に行けば、60円の違いで普通にコーヒーが飲めるんだけど、スタバカップがあるコンビニは近隣でここしかないからしょうがない。

 売り場に大々的に陳列されている商品を手にとってみると、どうも感触が違う。
 
 !?

 
 マウント…?
 森永さんの商品でした。カップの形状に緑のロゴ。そっくりです。くっ、だまされた。マウントレーニア。これはスタバと同じくシアトル発のコーヒーショップチェーンだそうです。アメリカ人は、80~90年代に日本のことをさんざん「人まねばかりだ」と揶揄しましたが、彼らもこんな露骨なパクりをやっているんですよね。でもサイトで「いまブームとなっているシアトル系カフェのおしゃれなおいしさを、真っ先に日本にお届けした”マウントレーニア カフェラッテ”は、いわばシアトル系カフェのパイオニアです。」とかアピってるのですが…?
 日本ではエクセルシオールカフェでさえ、ロゴマークは青にしています。(エクセルシオールはドトールの系列チェーン店です。)

 そんなことより、スタバでカフェラテを飲むとき、どうやってオーダーすればマグカップに入れてくれるのかがさっぱり分かりません。なんで店内でホットコーヒー飲むのに、紙コップで飲まなあかんのじゃい。

Starbucks Coffee Japan -DISCOVERIES-
Mt.RAINIER Caff?Latte

クリティカルブログとフィーリング日記

2005年9月28日 水曜日

(読書感想文24)

クリティカル・コミュニケーションとフィーリング・コミュニケーション

『わかりやすく伝える技術』という本を読んだ。
この本では、「クリティカル・コミュニケーション」と「フィーリング・コミュニケーション」という概念が紹介されている。

わかりやすく伝える技術

藤原慎也

  • クリティカル・コミュニケーション
     …わかりやすく、正確。仕事をする上で有効。
  • フィーリング・コミュニケーション
     …察する、効率的。日常生活で使われる。

 “クリティカル~”は、多民族社会や取引相手など、背景や思考が共有できていない相手に、正確な言語表現でこちらの意図を伝えるコミュニケーションである。
対して“フィーリング~”は、日本社会や親しいもの同士など、雰囲気で意思の疎通を図るコミュニケーションだ。

 クリティカル~は、ちょうど論説ブログのようなものだろう。培ったデータや調べた情報を元に、多くの人が納得できる論理展開を駆使して的確に説明する。ちなみにここで使われている「クリティカル」は「批判的な」ではなく「正確な」という意味だ。

 するとさしずめ“フィーリング~”は日記である。著者の指摘によると、会話中に「そういえば…」でどんどん主題からそれていってしまう人はフィーリングタイプだそうだが、これはまさにWEB日記的手法である。日記系の場合、書き始めるまで何を書くか決まっていない人もいる。

 この2つのコミュニケーションは、どちらが優れている、劣っているというものではなく、両方必要なものだと思う。恋人に「私のどこが好き?」と聞かれていちいち論理展開を考えてもしょうがないし、時事ブログで「なんか小泉うぜー」だけ書いていても誰も相手にしてくれない。大事なのは、両者を適切に使い分け、あるいは適度に混ぜて意識的に利用することだろう。と自分を棚に上げて思うのである。

「○○かわいいよ○○」  「こんこんの事だからこんなに言うんだよ!」

2005年9月27日 火曜日

 皆さんは「○○かわいいよ○○」という表現を目にしたことがないだろうか。

 今ではすっかり“ネット慣用句”として定着しているこの言葉、出展はハロプロネタである。
もともと、明石屋さんまがラジオ番組で、共演者のあさみ(カントリー娘。)の名前を忘れてしまい、それをごまかすために「かわいい子、と覚えていたから名前忘れた」という滅茶苦茶な言い訳をし、番組終了まで「あさみかわいいよあさみ」と念仏のように唱えつづけたことに由来する。その後、モー板を中心に流行し、声優系にも転用されるなどして定着した。

 これと同じく、テンプレの予感をビシビシ感じるパワフルな言葉がドロップされた。

「こんこんの事だからこんなに言うんだよ!」

 それはちょうど1週間前のことだった。モー娘コンサートのグッズ売り場で、予定時間より早く販売が終了したことに激昂したヲタが仕切りロープや係員の制止を振り切って突撃して猛抗議。売り場まで到達した紺野ヲタは、呆然とする係員に向かって吼えた。

「なんでこんなに言うか、わかる?

 こんこんの事だからこんなに言うんだよ!

 愛ゆえに人は苦しまねばならぬ! 愛ゆえに! ドーン! 早速おなじみデスノコラとか北斗の拳コラとか出来てて楽しいです。(情報源:いつもお世話になっておりますパン菓子さん)

サイト更新って楽しい?

2005年9月26日 月曜日

優先順位とペナルティ

 今日もギリギリまで寝てしまい、家で更新する時間がとれませんでした。しかし、それでも職場にはネット環境があるため、こうして更新できてしまうわけです。こうして、環境によらずCGI未対応のサイトを更新できるようになったのは、Bloggerサマサマですが、それに甘えてしまってはいけません。(というか、業務時間に日記書いてはいけません)

 生活習慣を変えるには誘引が必要、と分析しましたが、なかなか有効なアメは用意できないものです。しかしそれでも、我々が毎朝起きるのはなぜかと言えば、学校や仕事があるからです。学校や仕事があるのに起きなかったら、遅刻してしまいます。遅刻すると、単位や社会的信用や給料や職を失ってしまいます。だから最低ラインでは起きられる。これは、誘引として、ご褒美(アメ)ではなく罰(ムチ)が機能した結果でしょう。

 それじゃあ僕も、何か強烈なペナルティを用意して自分にムチ打とう。何かないか、何か。

……しばらく考えたんですが「更新させない」くらいしか思いつきませんでした。しかし、それなら「早起きすれば更新できる」という風に、アメとして機能しそうな気もしますが、「更新しない」ことをムチとして考えてしまった。

 こうなると、果たして“サイト運営”というのが自分にとって何なのか? という根源的な問いにまで発展してしまいます。喩えはなんですが、僕は言ってみればサイト更新は仕事みたいなものなんじゃないかなぁ、と思います。これは、サイト更新に義務感がある、というような意味ではなく、楽しさの感じ方に関してです。短期的に見れば、「眠いなぁ」とか「月曜日はしんどいなぁ」とか「会議だりーなぁ」とか負の要素を感じることも多いのですが、いざやってみれば、1日の終わりには「今日もよくやった」という充実感があったり、成果を認めてもらったりといった報酬があり、長期的には自分のスキルアップや資本の形成などにつながっていくわけです。

 僕にとって、サイト運営はそうした、後から来るタイプの楽しさです。*1 こうして書いている今この瞬間は、とくに楽しくもつらくもありません。
(ただしこれは僕個人の話。文章を書いてるだけでドーパミンが出てきて幸せになる人や、日記を書くだけで癒される人(日記セラピー)、非公開で書いてる人など、世の中には様々な日記スタイルがあります。)

早起き生活

2005年9月25日 日曜日

早起き生活 おはようございます。ああ、それにしても早起きがしたい。したいけどできない。悶々としていたある日、こんなサービスを見つけました。

生活改善応援サイト『早起き生活』

 これは良いですね。登録すると、早起き支援が受けられます。

・起床時間をワンクリックで登録
・早起き日記を書ける
・自動でグラフ化。自サイトへの貼り付けもできる。

 禁煙にしろダイエットにしろ、困難な生活習慣改善に挑戦する人にとって、WEB日記はとても効果的なモチベーション維持の手段となります。そしてこのサービスは、機能を絞って、本当に早起き記録に特化しているところがまたポイントなのだと思います。

 早速僕も登録しました。がんばるぞう。—–

夏が終わると寂しいのはなぜ?

2005年9月24日 土曜日

 あー、昨日の気温は23℃だって。1ヶ月前とちょうど10℃くらい違う。もうすっかり秋ですね……。アンニュイ。

 というか、なんで夏が終わるとアンニュイになるん? 「もう夏も終わりだね…」なんつったりして。僕ってそんなに夏が好きだったかしらん。深層意識に理由を探ってみた。

夏が好きだから?

 夏が好きか? と聞かれると即答できないことに気付く。だって夏は暑いし、汗をかくと不快だ。電車の中が汗臭かったりすると途中下車したくなる。

去り行くものが寂しいから?

 いよいよ明日で愛知万博が閉幕する。一度行ってみたかった。万博の自国開催なんて20年に1回くらいのレアイベントだ。別にそんなに行くつもりなかったけど(ちょっとあったけど)、いざ終わるとなると寂しい。3年くらいまえから「やる、やる」って煽られてたし。
 これと同じように、「終わる祭」に対する寂寥感が、夏に対してもあると仮定してみよう。

冬が来るから?

 夏は、太陽と生命と自然との象徴だ。北国の民は、春の収穫を祝い、短い夏を楽しむと、やがてくる厳しい冬の寒さを思って……。別に僕は北方民族でもないし、農民でもないのでこれはちょっと違うかな。あるいは、人類の進化の過程でDNAレベルに刷り込まれた、本能的な危機感があるのかもしれない。

夏休みがあるから?

 これを『“君と夏の終わり将来の夢大きな希望忘れない”効果』と呼ぶ。
 実はとっくに夏休みがある年齢を過ぎてしまっているんだけど、夏、と言えば夏休み!という15年以上に渡って培った記憶が、夏…夏休み…おばあちゃんち…海…スイカ…と芋づる式に連想させ、人を(僕を)うきうきとした気分にさせる。カンタンに言えば条件反射にすぎないのだけど、実際はもう社会人なのでそういう楽しいイベントが全くなく、普通の1ヶ月としてあっという間に過ぎてしまう。そこで「損した感」が喚起され、寂しくなるのだ。—–

PCは急には止まれない

2005年9月23日 金曜日

 最近、朝ブログ計画が揺らいでいる。この計画は、朝型生活に切り替えて時間を有効活用すると同時に、だらだらとネットにつぎ込まれる時間を短縮しよう、という計画だった。

 これは最初のうち、確かに効果があった。「更新しなくちゃ……」という意識がなくなったため、夜の時間をリラックスして過ごせるようになった。リラックスして、心置きなくネットができるようになった。……ダメじゃないか!

 そして朝はどうなったかというと、時間ギリギリまで寝ていて、起きて急いで身支度をして家を飛び出る生活に逆戻りである。そして電車の中で携帯をぷちぷちいじったり、仕事の合間を盗んだりして、どうにか更新している、といった状況である。これは完全に本末転倒だ。

 なぜこうなってしまったかというと、やはり「朝にサイトを更新する」というのが、自分へのご褒美として機能していないからだろう。早起きのように困難な生活習慣を身に付けるためには、何らかの誘引が必要になる。「サイト更新」はどちらかというとペナルティに近い。そこが失敗の元だった。人間は、罰では動けないのだ。

 ネズミを使った短眠実験でもわかる。

ネズミの場合、眠りそうになるたびにショックを与えて起こしていると、18時間から30時間が限度で、それ以上になると眠ってしまう。ところがネズミを歩かせたり、手で触ったり、えさを食べさせたりというような愛情のこもった方法で眠らせないようにした場合は、4日間全く睡眠を取らなくてもえさはよく食べるし、元気もよいのである。(『眠りを減らせ!』早起きをするコツ

僕の場合、睡眠を減らそうとしているわけではなく、早起きにシフトさせようとしているのだが、「朝早く起きなくてはならない」という点では共通している。何かご褒美を考えなくては。いっそ、夜はPCを起動させない、くらいまでやらないとだめかもしれない。

 PCを起動させたら、

起動→メールチェック→GNO2部隊チェック→タブブラウザ起動→サイトチェック(コメント、解析等)→mixi→アンテナ→はてなブックマーク→アンテナII→…

 という一連のネット行動が始まってしまう。そして、これらの行動を途中で中断するのはとても難しい。
 さらに恐ろしいことに、これらの行動は最後まで行ったらまた最初に戻ってループするのだ。

関連:
九十九式: [diary] 朝型プロジェクト

いいとも客のタモリいじり

2005年9月22日 木曜日

笑っていいともの放送事故

 え、『笑っていいとも!』が年内に放送終了!?
 昨日、そんなニュースが列島を駆け巡りました。というのはもちろんガセで、実際に見た方もいらっしゃると思いますが、21日の放送で、客が突然タモリと会話を始めるという軽度の放送事故がありました。

観客「タモリさん!」
山崎「え?」
タモ「うん?」
観客「いいとも」年内終了するって本当なんですかね?」
山崎「ちょっと待って下さい!物凄いビックリしてんけど」
観客「終了するって本当なんですかね?」
タモ「いや、聞いてないですよ」

 こちらに動画があります。VIPPERが犯行予告をしていましたwwwwwwwww
【2ch】ニュー速VIPブログ2:【速報】いいともで放送事故

ダウンタウン松本『遺書』より

 かつて、ダウンタウンの松本人志さんがその著書でこう語っています。

 確かにファンは少ないより多いほうがいい。でも、そいつらに踊らされないようにしなくてはならない。頭の悪い客を無理して笑わすこともないし、こうすればもっとファンが増えるかもしれないとか、こんなことをしたらファンが減るかもしれないなどと考えるようになったら終わりである。
 いまだから言うが、オレが『笑っていいとも!』を降りたいちばん大きい理由がそれで、あそこの客はまるで自分達が出演者であるかのようにギャーギャーうるさく、このオレ様が天才的なボケをかましているのに、変なタイミングで声援したりしやがる。(『遺書』P27)

 今回の件は、ファンが騒いだのとは少々毛色が違う事件ですが、根本にあるのは同じ問題です。会場参加型のオープンな雰囲気が招いた事故とも言えます。今回ほど露骨に進行を妨げる発言でなくても、「えー」や「そうですねー」などの合唱以外にも、単独発言をする観客はたまにいますよね。

客扱い

 観客の扱いには気をつけなければいけないな、と思ってから気付いたのは、実は『いいとも!』は非常にブログ的だったということです。
 ブログにはコメント欄やトラックバックが設けられ、エントリを読んだ観客はその場で声をあげることが出来ます。それらにどう対応していくかは運営者の一存に任されていますが、これは今までの一般サイトとブログの大きな違いの一つです。
『いいとも!』で、タモさんが観客に声を出させたり、アンケートボタンを押させたりと、積極的に参加させていく様はまさにブログ的です。その参加の輪から離れた視聴者の立場から見ていると、たまにシラけてしまうこともあります。

ブログとテキストサイトを分かつもの

 こうしたブログのコミュニケーション機能を歓迎しない人も確実にいて、そのためブログ的なシステムが文章を書くサイト全てに適用されることはありませんでした。
『いいとも!』がブログ的なら、おそらくそれを拒否する松本人志のような態度が“テキストサイト的”なのだと思います。テキストサイトの笑いに対する先鋭化や、ブログのある種のぬるい面白さなどの違いは、そうした立ち位置の違いから来るものなのかもしれません。

 ところでこのVIPな男性客は、CM空けには退出させられて熊のぬいぐるみに変わっていましたが、これまた「コメント削除」「IP規制」を連想させられました。あぼーん。

ポリティカルコンパス宮本版

2005年9月21日 水曜日

 僕がここで“J-右翼宣言”をしてからもう5年近く経ちます。当時、僕は大学生でしたが、学園では学生運動の嵐が吹き荒れ、会話で東条英機の名前を出しただけで相手の顔が引きつり、学内には下品な立て看板が立ち並び、大学施設前では革命の闘士がシュプレッヒコールを挙げるという状況でした。

 なのであの宣言文を書くのは割とドキドキものだったのですが、「ここでこれをポストできるかどうかが、今後このサイトで好きなことを書けるかどうかの分水嶺だ」と強く意識したのを覚えています。例えそれで総スカンを食らってもいい、好きなことを書こう、と決意したのです。(当時はまだ、ネットでも現在ほど保守系な論調が幅を利かせていませんでした)

 言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、これが“POISONメソッド”です。

 さて、そんなこんなで月日は巡って、一体宮本の思想的立場はどの辺にあるのでしょうか。

日本版ポリティカルコンパスの最新バージョンをやってみました。するとこんな結果が。

判定結果は下記の通りです。

政治的な右・左度(保守・リベラル度) 7.2
経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派) -2.78
あなたの分類は 保守左派 です。

 政治的にはガチガチの保守派ですが、経済的には左派である、と。僕もやはり一介の労働者だったということでしょうか。—–

Follow me on Twitter