2005-12-31

[dyary] 2005年を振り返って

 2005年もあと数年で終わります。今年も1年、ご愛アクセスありがとうございました。2004年10月から再開した毎日更新も今日で454日目。2005年も、戦ったり倒れたり世界を旅したりしながらも、毎日更新を達成することができました。
 これを第2期毎日更新期として一旦キーボードを置き、2006年はまた気まま更新にしようと思います。

2005年1月の目標をもとに2005年を振り返ろうのコーナー。

・虫歯にならない【×】
結局なってしまった。来年はいよいよ親不知を抜かなければいけないかもしれない…。

・琉球空手か少林拳を習う【○】
琉球空手を始めました。後半は月2回くらいしか行けなくなったけど、9級→8級→7級と順調に昇級を達成。

・さとりのしょを見つける【○】
・てんしょくする【○】
成功しました。レベル1からのスタートになったけど、今までに覚えたじゅもんも使えるので、満足です。てんしょくしたてはレベルアップも早いし。

・アクセスを500/day増やす【×】
・良い日記を書く【○】
アクセスは増えませんでしたけど、良い日記は書けたんじゃないかと思います。いくつかの日記は、あとあとまで残る物になったと思う。1年書き続けて、あれくらいに納得できるものがいくつか書ければ、それは成功と言っていいと思う。

・フォームは即レスする【△】
そういえば去年の年末は一生懸命年内のフォームの返信をしていたのだった。今年はフォームよりもコメント欄がフィードバックの中心になってきている。かと思えば最近では、はてなブックマークのコメント欄に持っていかれてしまった。返信の方法/必要がないのはいいんだけど。

・バク宙と前宙をマスターする【△】
前宙はあまりできるようにならなかったけど、バク宙は少しできるようになった。でもまだきれいに着地できる余裕がない。

・スペイン語を話せるようになる【×】
・TOEICか英検準1級を受けてみる【×】
スペイン語は完全にやめてしまった。今はマレー語の時代である。目標を「英語以外の外国語を…」にしておけばよかったかな。

・月2冊以上本を読む【○】
この目標は完全に達成した。
でも本来読みたかった本は、64冊。(読書リスト)うち読んだのは14冊。達成率はわずか21%に終わってしまった。これは仕事が変わって勉強すべきこと、読むべき本が増えて、純然たる趣味としてエンタメ小説を読む時間が取れなくなってしまったためだった。
来年は、読みたい本も読むべき本もあわせて、100冊読むことを目標にしたい。

・早寝早起き【×】
「早起き日記」のグラフを見れば一目瞭然だけど、満足できる結果は達成できてない。起きる時間は変わったけど、仕事に間に合うギリギリの時間におきる生活、という意味では全然変わっていない。

・太極拳をマスターする【×】
しばらくやってみたんだけどダメだった。やっぱり20代の動きたがりの若者にはあのスローな動きは練習自体が苦痛だ。そういえばイブキが公園でやってたな。あれで「鍛え」られてるのか。

・筋トレであと5kg増やす【×】
174cm60kgのまま平行線で推移してしまった。意外と無茶な目標だなー。どんなに頑張ってもアイフルのCMみたいなことにはなりませんよ。

・楽しく過ごす【○】
何と言っても楽しいのは大事ですね。これが達成できたので、2005年は全てよし、としましょう。

 思えば2005年は、ぼく個人にとって大きな転機となる年でした。環境が変わり、師となる人との出会いを得、愛する犬との別れがあり、愛する人と出会い、色々な経験をし、1年で随分成長できたのではないかと思います。古いものが終わり、新しいものが始まる節目の年として、この2005年という年は僕の中に記憶されることと思います。
2005-12-30

[net] 「ふつうの人」と「2.0な人」の違い

 先日、はてなブックマークはおかしい!という意見がありました。はてなブックマークユーザーの行動は、ソーシャルブックマークの利用者として適切ではない、という論旨です。ここでははてなブックマークの是非自体については触れないんですが、その言及周りで『趣味WEB』徳保さんが
「自分」からみて「つまらない」ものが人気上位に登場すると、即座に「このランキングはおかしい」と断定する人が出てくる。そして「ランキングをおかしくしているのは**だ!」みたいな犯人探しが始まる。ReadMe! でも何でもそうなんですけど。(はてなブックマークはここがすばらしい!
と仰っています。この辺にちょっと反応するんですが、これって以外とふつうの反応なんですよね。例えばテレビで嫌いな芸能人が出てきた時だって、「何であんなやつに人気があるのかわからん!」と怒る人はよくいます。徳保さんのように達観できる人は、実はそれほど多くないのではないでしょうか。

ふつうの人の思考プロセス

  1. 変化がおきている→何かが間違っている!
    ふつうの人は、まず変化に際して「何かが間違っている」という認識を抱きます。自分が面白くないものが「面白い」と誉められているときなど、ですね。

  2. 何かが間違っている→誰かが悪い
    何かが間違っているとなると、犯人探しが始まります。「あいつが悪い」「社会のせいだ」など。先日発生した電車脱線事故では、毎日新聞の社説が「風の息づかいを感じられなかった運転士が悪い!」とまで言い放っています。FF3の風水士か。

  3. 誰かが悪い→自分は正しい
    誰かが悪い、というのは裏返せばこういうことでしょう。ふつうの人には、まず自分が正しい、という意識が根底にあるから「直せ!」になるのです。はっきり言って不毛です。

  4. 自分は正しい→被害者意識
    自分が正しくて、誰かが(周りが)悪い、間違っている、となると次に来るのは被害者意識です。この意識の怖いところは、中毒性があって、しかも便利なところです。仕事がうまくいかないのも、試合に負けたのも、恋人と別れたのも、あらゆる場合に自分を被害者にして逃げることができてしまいます。

  5. 被害者意識→主体性を失う
    被害者意識に陥ると、周囲の状況や環境に反応するだけの、主体性のない人になってしまうおそれがあります。自分の不幸はすべて外的環境のせいにして、行動や態度は自分以外の何かに決定づけられてしまうという危険性です。

 多かれ少なかれ、こういう要素は誰の中にでも潜んでいると思います。ではこれとは逆に、すごいOS/主体的な/効果的な/2.0な人はどう行動するのでしょうか。

2.0な人の思考プロセス

  1. 変化が起きている→何が起きているのか?
    主体的な人は、まず変化がおきているとき、「何が起きているのか」事実を客観的に調べます。

  2. 何が起きているのか→では何が可能か
    何が起きているのかが分かったら、次にそれに対して何が可能かを検討します。

  3. 何が可能か→どんな行動をとるべきか
    行動の可能性が決まったら、それに対して具体的なアクションを設定するだけです。実にシンプルです。

 以上、最近読んだ本『すごい考え方』を参考にしましたが、名著『7つの習慣』でも「反応的な人/主体的な人」という対比で同じ異様なことが説明されています。というかクリティカルシンキングでもマネジメント系でも戦略系でも、ビジネス啓発の本は大抵共通してこのような態度を紹介・推奨しているようです。
 仕事上の問題でも、私生活の問題でも、感情的な問題でも、こうした根本的な問題解決型思考アプローチをとることによって解決するケースは多いのではないかと感じています。
2005-12-29

[diary] 2005年 東京ミレナリオ

 そういえば、いささかミーハー的で恥ずかしい告白が許されるならば、先週末に東京ミレナリオを視察してきた。「今年で終わり」という惹句にまんまと釣られた。ついカッとなって行った。イルミネーションならどこでも良かった。
「終わりとかいって、どっかのサイトみたいに、どうせ来年には名前を変えてリニューアルするんじゃないの?」と思っていたら、どうやら本当に今年でひとまず打ち止めらしい。「ミレナリオ」は、イタリア語の千年祭、ミレニアムの意味をもつことと、東京駅周辺の開発工事で資材が置かれたりして美観が損なわれることが理由らしい。美観の損なわれた街にこそ、こういうキレイな飾り付けが生きるのではないか。

 まあそれはさておき、行ってきてしまったわけだ。最終年・初日・クリスマス、土日、という麻雀で言えば超役満、リーチ一発小四喜ショウスーシーくらいの条件がそろった結果、地獄の大混雑が展開されていた。主催側の発表によると、24日は約40万人という過去最高の来場者数を記録したそうだ。

 あらかじめネットで前年の様子(開始と同時くらいなら1時間待ちで云々)などをリサーチしていったのだが、全く役に立たなかった。17時開始のところを、16時半くらいから東京駅出口にいたにもかかわらず、わずか1キロ程度の道のりを進むのに3時間かかった。恐らくあれは、我が生涯最大の混雑となるかもしれない。大きな神社の初詣の上を行く混雑だった。朝8時半の中央線をイメージしてもらおう。…あの、東京の満員電車が見渡す限り延々と続いているような感じだ!

 途中、参拝路として鉄柵でしきられている車道から横に抜け出し、向かい側を迂回して行列をショートカットしようとする人がいた。しかしこれは少数だった。なぜなら、この巨大人数が無秩序な行動を取れば、統制がとれずに大惨事になることを皆が知っているからだ。実際は、ショートカットした人は何らペナルティを受けることもなく、そのまま列に横入りしていたが、大多数の人はじっと耐えていた。

 もう少し進んでから、メインの車道を抜け、横の歩道を歩こうとする人もいた。これも少数派だった。警備にあたる警察官が「この柵を出ますと、先へ行ってから見ることができません」とアナウンスしていたからだ。しかし実際は、メインの車道を歩いた人は光のアーチをくぐれるというだけで、横の歩道を歩いた人もそのままアーチの横を歩いてじゅうぶん鑑賞することができていた。大多数の人はズコーッとなった。

 しかしこの光景を見て、日本人は本当にすごい国民性を持っているという事実を再認識した。恐らく、諸外国でこんなイベントをやったらほとんど暴動になっているだろう。将棋倒しで数十人が死に、スリが横行し、あちこちで殴り合いの喧嘩になり、機動隊が出動していることだろう。イルミネーションは3日ともつまい。人によっては、この寒空の下にじっと並んで耐えている光景を「だから日本人は…」と自嘲するかもしれない。しかし、これは間違いなく日本人の特性であり、ほとんどの場合は美徳として発揮される性質である。大航海時代に日本を侵略しようとした列強を躊躇わせたのも、この統制のとれたモラルと道徳・教育水準の高さがあったればこそである。これほど統制のとれた行動を自発的にとれる人々が、専門的戦闘集団を組織していたのだ。苦戦を予想しないはずはない。

 日本はインカやアステカのように滅ぼされることはなかった。宣教師たちがキリスト教を隠れ蓑にして日本の植民地化を狙う、侵略の橋頭堡であることを看破して鎖国したために、西欧列強に植民地化されることはなかった。

 しかし今、丸の内にはイタリア人の祝祭モニュメントが屹立し、日本の若者たちが「クリスマスってロマンチックー」と喜んでいる。