K-1がダメな理由を改めて考えた

2006年1月3日 火曜日

 昨日の笑撃映像を見ながら考えたこと。
 メダルを嘱望されたレスリング五輪代表選手だった中尾。去年の煽りVTRで見た、“アテネを蹴ってプロ格闘家に転向する息子のことを心配する親”とか思い出すと切ない…。

 それはそうと、現在のK-1がどうしてダメなのかを考えた。
 マッチメイクもそうだが、試合の放映の仕方にも問題がある。いかに(格闘ファンの間で)評価が落ちぶれたK-1と言えども、注目すべき試合はいくつかある。例えば現チャンピオンのセーム・シュルトvs4回チャンピオンのホーストの試合だ。この試合は、ネームバリュー的にも試合の意味としても、放映してもいい、いや、放映されねばならない試合だった。

 しかし、地上波では丸々カットされた。代わりの時間を使って放映されたのは、その場しのぎで土壇場に組まれた魔娑斗の“練習試合”や、ボビー・曙の茶番、試合の他には英ちゃんのバラードと韓国俳優の意味不明挨拶、など。

 これらの茶番劇は、珍奇さや知名度などで、視聴率上は一定の効果を上げるものかもしれない。谷川Pは胸を張ってこういうだろう。「視聴率合戦で紅白、PRIDEに勝つためです。」と。確かに、それは一般層の目を引きつける戦略としては、一時的な効果があるだろう。しかし、この視点は非常に近視眼的だ。その場その場の移ろいやすい視聴者層、紅白を見る気はしないけど格闘技にもそれほど興味があるわけではない、そんな浮動票を獲得することは出来るかもしれない。

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 しかし、その人達はそれでK-1のファンになることはありえない

 10年前、どうして我々がK-1に熱中したか。

 それは、世界から超一流の立ち技格闘家たちが集結して、トーナメントで頂点を目指すという、シンプルでエキサイティングな価値観が確立されていたからではないか。どんなジャンルのものでも、一流のものを見せれば、ルールや歴史が分からずとも伝わるものである

 石井館長のプロデュースするK-1は、格闘技ファンを増やし、育てていた。しかし今、谷川のK-1は、過去の貯金で生きながらえているに過ぎない。谷川は、視聴者をバカにしきっている。考えているつもりの本人が得ているのは目先の利益だけ、食いつぶしたあとはやせ細っていくのみである。


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コメント / トラックバック 1 件

  1. Says:

    まったく同感です

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