決断

2006年5月21日 日曜日

 決断するということ。人生は常に決断の連続体である。しかし、決断にはエネルギーがいる。決断は、結果に対する責任を伴う。

  • 床屋で「どうしましょうか」と聞かれ、「適当に…」と答える。
  • 恋人に「何が食べたい?」と聞かれ、「何でもいいよ」と答える。
  • 友人に「今度会おうよ」といわれ、「今度ね」と答える。

 これらはいずれも、答えているようでいて、実は何も答えていない。判断を留保するのみで、状況は全く好転しない。それでも我々は時として、否しばしば、上記のように決断を回避し、保留してしまう。

 2006年、僕は今年を決断力と判断力を研ぎ澄ますための修練の年と位置づけた。そこで、以下のような訓練方法を採用している。

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  1. 飲食店ではメニューを開いて10秒以内に決める。
  2. 一度注文したら変えない。
  3. 複数人で昼食の店を選択するとき、最初に自分の意見を述べる。

 あ、れ…? 何だか、はりきってリスト化したのに食べ物関係のことしかないのが気になるが…。しかし常住坐臥、生活の場はこれ全て修行の場なり。どんな大成功も、元は小さな積み重ねなのだ。どんな凄い奴も、孤独は寂しいのだ。

 しかし、一回限りの昼飯なら10秒の判断で充分だけど、一生を左右するような選択をも10秒で出来るか? そこでこそ日頃培った決断力が問われるのだと思う。僕には今、1ヶ月かけても決断できない問題がある。こういう問題の選択が正解だったかどうかは、それこそ一生を終えるときにでもならないと分からないものかもしれないな、とも思う。

“決断”については明日もう少し書く。(と思う)


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