指揮官の責任

2006年6月15日 木曜日

 プロジェクトマネジャーに任命された。

 3ヶ月ほど前から、社運をかけた乾坤一擲のプロジェクトに取り組んでいる。しかもその一切の運営、責任を命じられた。非常にやりがいと高揚感を覚えると同時に、相当な重責を感じる。そして今期、このプロジェクトは当初に立てていた数値目標を3%も達成できなかった。惨敗である。この結果に対して、僕は深い責任を感じている。

 もちろん、実際に現場へ出撃するのは営業部隊だし、製品を作るのは開発要員だし、直接「僕の失敗」というわけではないかもしれない。しかしそこには、采配を振るう者として、全体に的確な指示を出すべきマネジャーとしての責任がある。そういう意味では、やはり「僕のせい」ではあるのだ。

 昨日今日と、僕は自分一人でできる作業に没頭したりしていた。この作業は僕が一番うまくできるし、やればやったで確かに成果は出る。しかしこれではいけないのだ。僕が一人でやる間に、三人の人間が二倍の成果を出したほうが、また出せるように動かすことのほうが大事なのである。ありふれた言葉だが、実感した。

 結果を出すのは難しいが、人を動かして結果を出させるのはもっと難しい。

 サッカーで言えば、自分でシュートを決めるのは難しいが、人にシュートを決めさせるのはもっと難しいということ。しかもボールに全く触れず、ピッチの外から行なうとしたらなおさらである。この点において、僕は深くジーコに同情する。失敗した指揮官に向けられる世間の目は厳しい。敗軍の将は兵を語らず。しかしそれでも僕はこうして兵を語る。負けてこそ見える勝機もあるし、それにまだ全滅したわけではないのだ! 最後に決定的な勝利を収めれば、局地戦での敗北はチャラなのだ。日露戦争時、おびただしい犠牲の上に、二百三高地制圧を成功させた乃木大将のように。

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