[10] 俺は糸井重里を信用しない
そろそろ来年の手帳を決めなければいけない時期だ。僕はまだ「これ」という手帳がなく、毎年ふらふらと変えていたんだが、今年の手帳選択しから「ほぼ日手帳」は消えたな。
クマガイ式でも「超」整理手帳でも夢をかなえる手帳でも何でもいいけど、こういう個人プロデュースの手帳は、その人の思考法や人生観にいかに同調できるかが一番の問題なので、合わない人の手帳は合わない。今日の朝日新聞土曜版の糸井重里のインタビューを読んで確信した。この記事は、「ほぼ日手帳」の宣伝を兼ねて、いかにしてこのヒット手帳を生み出したかを糸井氏が語る内容だったんだが…。
【糸井重里さんのスキッ!】
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30過ぎのある時期、半年くらいの間、文庫本を持ち歩いて太いサインペンで書き、メモ帳代わりにしていたことがあったそうだ。
「ニーチェの『この人を見よ』でした。余白じゃなくて、字の上から書いちゃう。嫌味なことをしてたんですよ。つまり、文庫本の方がメモ帳より安いじゃないかって言う気がしてたんですね。牛乳より普通の水の方が高かったりするのと同じで、ちょっと逆説的な面白さがあったんです」
え…。それ面白いですか…?「嫌味な」っていうか単なる嫌な奴じゃないですかね、これ。
僕は昔から本が好きだった。大事なことは全て本に教わった。そのせいか、僕は本を捨てたり粗末に扱ったりすることができない。その本の著者や、流通の人、書店の人、本の登場人物のことを考えたりすると、おいそれと捨てたりもできないし、自分の本も人に借りた本も丁寧に扱う。他人の本を、折り曲げたり、背中が折れるほど開いたり、表紙に半月ができるような読み方をしたりする人を軽蔑してしまう。
この人のギョーカイ的なうさんくささがいまいち信用できんなー、と前々から思っていたけど、この象徴的な談話で決定的になった。俺は糸井重里を信用しないぞ。徳川埋蔵金なんてどこにもない。
2006年12月3日 at 09:13
私もそう思う