2006-12-31
テキストサイト『九十九式』の歴史
九十九式とはどういうサイトであったか。これを知るためには過去ログを読めばよく、6年間も書けばそれ以外に何か付け足すこともありません。しかしこれだけ続けていれば欄外や行間でそれなりに思うところもあり、個人的にも色々と変化や収穫もあったように思います。そこでこの最終エントリではこれまでの当サイトの軌跡を振り返りつつ、2006年を締めくくってみます。
2000年
それまでやっていた「ヴィジュアル系バンドのカリスマが自動車教習所に通う」という内容のネタドキュメンタリ日記(20hit/day)と、鳴かず飛ばずの文芸かぶれサイト(6hot)、批評サイトを閉鎖。「自分ポータル」的なメインサイトを作って全力を集中しようと思い立つ(この辺りの経緯は
テキスタイルポップ//インタビューでも語られた)。ちなみに「ヴィジュアル系~」には、なぜか掲示板に狂いキノコの人と赤線の人が冷やかしに来てくれ、ちょっと嬉しかった。あくまでネタ的に「こういうコテコテの人っているよね?」風にやったつもりが、リアルに作りこみすぎてマジ日記だと思われたのも敗因だった気がする。
11月29日、hoops(現在Infoseekに吸収)という無料サーバーで九十九式開始。記念すべき第一回目の日記は、
「全てのネットワークフレンドへ これからよろしく」というような単純な挨拶のみ。まだどんなことを書くかは考えていなかった。
12月、“大忘年会”と称して、日記サイト(テキストサイト)の人が集まる大規模オフ会が開催された。主催は当時の中心的サイトだったマフィアとコロスニッキ。ここに九十九式も参加し、まだ1ヶ月しか経っていない無名サイトだったが、昔の名前(カリスマの人)で受け入れられる。ちなみにこのとき、のちに「周辺」と呼ばれることになる面々と出会った。桃加護のハライチ君によって、初めて『ミニモニ』なる音楽ユニットの存在を知ったのもこのときである。彼らとは、休日にビデオを持ち寄って鑑賞したり、夜な夜なサイト論を戦わせたりした。大学サークルやバンド仲間のような空気で実に楽しかった。同時期にサイトを始めた同士としての連帯感があったように僕は思っている。
・2000年の主なテキスト
少年犯罪の元凶2001年
始めた当初から、「続く限り毎日更新してみよう」と思っていた。それは、まだ何の個性もないこのサイトに、わずかばかりの特徴を持たせたいという思いと、特に面白くなくても、毎日更新されていれば惰性で読者になってもらえるかもしれない、という期待を持っていたのもあったが、「
ムーノーローカルの作り方」の影響も大きかったと思う。
・勝手に更新を休まない。必ず毎日更新する。病気になっても仕事や勉学が忙しくても、絶対に更新し続ける。
・機械の故障などでも、友人などがインターネット接続環境を持っているなら、使わせてもらって更新するなどの努力を怠ってはならない。
・最低でも1年間は連続更新するつもりではじめる。どんなにヒットが伸びなくても、どんなに人生が辛くても続ける。できないのであれば、はじめからムーノーローカルを運営してはならない。軽はずみで始めることは悪くなく、むしろ好ましいが、軽はずみに辞めてしまうことはあってはならない。
大学のテスト松本人志の代打日記サイト批判に敏感になる人々風刺日記はじめてのはっぴーばーすでーささのはさらさら 隠しサイトのすすめ宇宙時代のテキスト系アクセス至上主義とは何だったのかすべての祭(フエト)のためにこのあたりで既に、「WEB言及」「凝りネタ」「時事」「創作(妄想)」という柱が形成されていることが見て取れる。ハロプロ(辻ちゃん)は、当時は創作の題材として使われているのみで、番組、曲、メンバーなどへの言及はない。WEB言及は、トラックバックもソーシャルブックマークもなかった時代の牧歌的な内容なので、今読んでもあまり意味は無いけど、当時をしのぶ資料として。“『G§フォース』事件”があり、その余波で「テキストサイト論」を書くことに張り切っていた時期でもある。
また、当時から「ブラウザからの更新(CGI)でWEBの話題や時事を扱う」スタイルで、今にして思うと今の九十九式よりもブログっぽかったと思う。
地中海に行った。不在の間は、ネットカフェで更新したり、複数の友人に頼んで大規模な代打日記を書いてもらったりした。
2002年
現実世界ではバーテンダーをやっていた。酒のことや店のことなど、現実と直結した職業経験日記を書きたいと常々思っていたが、「店がバレたらどうしよう」「店にバレたらどうしよう」という思いが強く、また読者に生粋のバーテンダーがいることなどを意識しすぎて自縄自縛に陥り、ほとんど書けなかったのは今でも残念。次の二点くらいか。
・
日記文体とFKの精度・
ジェダイ・バーテンダー(ちなみにこの年は日韓W杯があり、開催期間は毎日怒り心頭日記を書いている。南北朝鮮に対する不信感が決定的となった年。)
そのせいで書くことがなくなり、「vsくまプー(森下)編」など、形而上的なテキストサイト論(WEB言及)を振りかざす傾向が強くなっており、やや一般性を欠いていた時期と言える。
一時期、ネットラジオがサイト管理人の間で流行る。僕もうらやましくなって挑戦してみたが、この時期は仕事後の時間はほぼ泥酔しているアル中期だったので、毎回何を喋ったのか覚えていない体たらくで、相当非道い放送内容だった。いずれ喋りを練習し、完璧な台本を用意してリベンジしようと密かにタイミングを伺っていた。ちなみに練習はたまにねとらじでゲリラ放送という形で敢行している。
・2002年の主なテキスト
ミニチョコレートパイテキストサイト論とはテキストサイト依存度チェックまたこの年、
テキストサイト大全という本が出版される。編著はかまくらの雪男氏とコスモクルーズのくぼうち氏。「新時代の町人文化!」「今や10万ヒットも夢ではない!」というう煽り文句が趣き深い。
そちらに寄稿したのが以下の文。前述したような精神状態が如実に反映されたサンプル。
九十九式 -log-: 2002年4月某日 ぼくとわたしのリンク論九十九式 -log-: 2002年4月某日 たのしいリンク論この年の開設記念日に、
更新休暇宣言をして更新を1日休んでいる。
2003年
更新をBloggerに完全以降した年。バーテンダーを辞め、編集の仕事を始める。20代前半の頃と違って、毎日 日記のネタだけ考えて生きているわけにも行かないことに気付き、遅まきながら人生について考え始めた。
この年のヒットテキスト「個人差糸4年寿命説」はそんな気分が反映されているかもしれない。
また、この年には辻加護のモーニング娘卒業と機を一にして、看板創作シリーズであった「妹日記」が最終回を迎える。3年越しの長期連載に終止符が打たれた。
4月から、突然「体を鍛えて本物の忍者になろう」と思い立ち、各種武術道場やスタントスクールに通いだした。バク転や古流武術などを次々とマスターし、スクリーンデビューのタイミングを計る。
個人サイト4年寿命説せんこう花火日本式クリスマス全肯定論ハロプロ楽曲大賞2003・原稿フランスに行った。この年は大熱波で死にそうになった。
2004年
この年、日本にも本格的にSNSの波が上陸。mixiがサービスをスタートさせる。今までサイトで書いていた人がこぞってmixiに流れたり、手動更新サイトを閉鎖してブログサービスに移行したりするのを寂しく感じた。ブログへの移行はともかく、mixiは登録者じゃないと見られない。素晴らしい日記たちがWEBに開かれていないのは、日記界の損失である。この思いは今も変わらない。
スペインに行った。「スペイン滞在記」を書こうと思い、色々とメモや素材を集めてきたが、今に至るも未着手のままである。
そのほか、「W(ダブルユー)が松浦亜弥のカバーアルバムを出す」という嘘ニュースを作成したら、2ちゃんにスレが立ちまくり、純粋ファンサイト釣られまくり、の大惨事を引き起こした。
『Yeah! めっちゃダブルユー!』そのほか嘘ニュースネタでは「
犬モニに矢口激怒!」など。ちなみにこの年、こうしたアクセス集中ネタや動画ファイルネタが多く、ニンジャサーバーをデリートされ、サイトの連続性は一時的に寸断されている。同アカウントの再申請は何度か謝罪メールとともに出したが、もちろん全て黙殺された。
10月に多摩川で野外音楽イベント“RAVE窮”が開催される。ここでバーカウンターとDJを担当し、エアギターを使ったパフォーマンスに目覚める。これを見ていたNumeriのpato氏から、自身のファン感謝イベントへの出演オファーをもらい、HR/HM&HP(ハードロック、ヘヴィメタル&ハロプロ)のエアギターステージを行なう。さらにそれを見ていたロフトプラスワンの偉い人から「エアギター大会に出てみないか?」と誘われ、エアギタリストとしての道を歩み始めることになるのだった。
前年くらいから、毎年末にその年のベストテキストを振り返っている。
2004年九十九式ベストアルバム10月から毎日更新を開始している。
2005年
2004年から続く毎日更新も継続し、サイトも生活も、全てにおいてやたらとアクティブだった年。
エアギター大会(1) ~@新宿ロフト~を皮切りとしてエアギターも本格的に活動を開始した。
また、2002年から続けていたスタント修行の集大成として、遊園地のヒーローショーを体験したりもした。(
マジでグリーンの人になった)
上記作品を始めとして、精神、肉体ともに活動的になったせいか日記の冴えもあり、書かれた記事にもいい出来のものが多い。
第3回九十九式テキスト大賞2005 結果発表私生活ではニート・フリーターを脱し、正社員雇用を勝ち取った。海外出張、チームリーダーなど、初めての経験と環境の激変が多く目まぐるしい、節目の年だった。小学生の頃から飼っていた犬が死んだり恋人ができたりと、出会いと別れも多かった。
2006年
段々と「忙しくて更新できない」という人の気持ちが本当に分かるようになってきた。確かに、時間がなくても、脳のリソースがなくても、なければないなりに記事を書くことはできる。しかし、それは今まで全脳リソースと労力を投入して書いてきた文章とは明らかに違うものなのだ。しかもそこに、思うように書くことを難しくする、不可避の現実的障害が重なった。僕は絶望した。これ以降は当たり障りのない場当たり的更新しかできないだろう。
「それでもいい」と言ってくれる読者もいるだろう。しかしそれでは満足しない人もいるだろうし、何より自分がそれを許せない。また、ある種の窮屈さのようなものも感じるようになった。それでも続けていたのは何故か。
そしてもう一つ。九十九式は我が人生…。そんな風に思っていた時期が僕にもあったので、続けることに疑問を感じたことはなかった。しかし、その継続動機に「もったいないから」というものがあることに気付いてしまったのだ。
ブルーハーツ解散時のヒロトのインタビューに、こんな言葉がある。
「『あ、こんなにいいバンドなのにもったいないね』と自分の中で思ったり人から言われる時に『やっぱ解散すんのやめようかな』って思うかもしれないけれども。それって全部、後ろ向きな理由でしょう。」
「自分の人生とか自分の行動パターンを決定する時の理由が〝もったいない〟なんていうのはもう許せない!(笑)。そんなの全然ロックンロールじゃねえもん」
(ザ・ハイロウズ、活動休止を発表。 Narinari.com)
僕はロックスターではないが、ニッキスターになりたくてサイトを始めた。(ニッキスターになりたいだって?お前はもうニッキスターだぜ。テキストを一本書いただけでもうお前は立派なニッキスターなんだよ。)
そしてまさに、ヒロトが言うように僕にも書くこと、やりたいことは沢山あるのだ。しかしそれは今の九十九式には書けない。
九十九式が事故に巻き込まれて真っ白になっていた空白期間に、「夏の自由研究」と称して、別の場所でブログをやってみた。これは徳保さんの言う「リハビリ」にヒントを受けてはじめたことだけど、この体験はちょうど徳保さんとは正反対の結果を僕にもたらした。
徳保さんの言う「リハビリ」とは、自分のメインサイトの肥大化してしまったアクセスで自己を見失わないように、小規模アクセスのサイトをしばらく運営して、身の程を知ったり、アクセス数のありがたみを痛感したりする、というものだった。(
人気ブログ病のリハビリ:気楽に更新できる精神環境作り)
しかし僕は、始めたら始めたで、そのブログに本気で取り組み、夏休み期間だけで1000hit/dayくらいにまで育てた。これは、逆に僕に自信を植え付ける結果となった。まぐれではなく、僕はいつでも自分の努力に応じた結果を、希望通りのサイト(数値だけでなく)を手に入れることができるということに気付いたのだ。
僕は生き続ける限り、ニッキを書き続けるだろう。そうしているうちに、また皆さんの目に触れる機会もあると思う。10年後、いや20年後、九十九式というサイトに再び火をともす日だってあるかもしれない。
WEBサイトの成功とは何か。明確な答えはまだ出ない。しかし、九十九式というサイトは、僕にとって紛れもない成功だったと言える。
皆さん、6年間どうもありがとうございます。そして九十九式、どうもありがとう。
・2006年の主なエントリ
仮面ライダー響鬼 最終話僕が更新しない理由自分の過去ログは、神から与えられた福音だ「それ、知ってます」は禁句ブロガーと政治家は嘘をつかないこと最後までやりきること[site]
2006年傑作選
[書評] 『最強伝説 黒沢』について
『最強伝説黒沢』がとうとう完結した。その結末については賛否両論あるようだが、ひとまず物語の最初から最後までを振り返ってみたい。
・初期…現場編
建築会社で働く主人公の40代独身男・黒沢が、「山の現場」で監督として働く。仕事もあまりできず、人望もなく、自信もない。一生懸命自分を変えようとするもののいつも空回りしてしまう黒沢の姿は、滑稽に感じるにせよ哀れに感じるにせよ共感するにせよ、まんがの主人公としてはあまりに「リアル」だった。人間の感情、修羅場の心理状態機微を描き続けてきた福本伸行ならではの人間劇場が展開されていたが、連載当初のインタビューによると、このダメさ加減はあくまで長い助走であったことが分かる。
・中期…格闘編
ひょんなことから不良中学生と対決した黒沢は、フィジカルな闘争によって得るものや失うものの存在に気付く。仲根との対決シーンなどは、『ホーリーランド』などの実戦系格闘まんがと比べても遜色ないスリリングな描写となっていて、そうした視点からも楽しめた。(絵柄はアレだけど…)黒沢の考え出す策略、秘密道具などの独創性は、他のギャンブルまんがに通じるような意外性もある。
・後期…闘争編
黒沢の戦いは、まんがの常として次第にエスカレートしていく。しかし全体を振り返ってみると、これは決してインフレバトル的ないきあたりばったりなものではなく、物語として必然的に展開していったものであることが分かるだろう。中期で黒沢が不良中学生と「決闘」して得たものは、「ただ生きてるだけで勝ち」の動物とは違う、人間として最低限の自己の誇りだった。戦うことによってそのことを知った黒沢は、今度は何かを守ること、自分以外の存在のために戦うことを知る。
現実問題として見れば、ホームレスの公園を守って暴走族と対決しても、何もメリットはないはずだ。しかし、守るべき価値と、人間としての尊厳を勝ち取るために戦う黒沢の姿は、司馬遼太郎『坂の上の雲』で描かれている旅順攻略戦で死んでいく兵士たちの姿にも似て崇高である。
<以下ネタバレ注意>
最後の戦いで、黒沢は深刻な肉体的ダメージを負い、ラストシーンで息を引き取る(ように描かれている)。この結末に賛否両論があるのは分かる。こんな終わり方をしてしまったら、1~5巻あたりを気楽に楽しめなくなってしまう。白本屋で「三天セット」を頼む黒沢を見て、素直に笑うことができなくなってしまうではないか。
しかしそれでも、僕はこの終わり方しかなかっただろうと思う。批判派はおそらく、「何の伏線もなく急に主人公を死なせて終わり、ではあんまりだ」と言うのだろう。しかし、伏線ならあった。
1巻から振り返ってみると、黒沢はギャグまんがの装いをとっていながら、その実、全編が死の暗示で彩られ続けていたことに気付く。現場での事故死、交通整理での死、風邪で凍死、金属バットで脳挫傷…。黒沢は今まで一体何度死にかけたことか、数え上げればキリがない。光あるところに闇が生まれる。死の暗い存在を意識するからこそ、光り輝く生を送ることができる。この『葉隠れ』にあるような武士道的な日本人の死生観を体現してみせた作品ととることもできる。
次に、黒沢の人間的成長について少し考えてみたい。
「マズローの欲求段階説」というものがある。これは、人間の欲求を5段階のピラミッドで説明し、底辺の1段階目から始まる欲求は、常に1段階上の欲求を志すという学説だ。
生理的欲求…食事や睡眠など本能的な欲求
安全の欲求…人間が生きる上での衣食住等の基本的な欲求
親和の欲求…他人と関りたい,他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求
自我の欲求…自分が集団から価値ある存在と認められ,尊敬されることを求める認知欲求
自己実現…自分の能力、可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求
これに照らしてみると、初期~中期は「親和」「自我」の欲求、後期では「自己実現」の欲求がテーマになっていると見ることができるだろう。後期の黒沢は、2、3段階の欲求が満たされていないホームレスたちよりもより高次な欲求まで満たされているため、彼らの満たされない部分や、それが満たされることによって彼らがどう変わることができるかが分かっていたのだ。
現代社会にいきる我々は、1、2段階の欲求は比較的容易に満たすことができる。3、4段階までもある程度の努力によって満たすことはできるだろう。しかし、5段階目の自己実現まで到達できる人は、それほど多いとはいえないのではないだろうか。黒沢は最終巻によって、見事にそれを達成し、己が生を全うすることが出来たのだ。
『地獄甲子園』ではないが、最終話の黒沢の死に様で、福本伸行は我々に問いかけているのだと思う。
あなたはこんな顔で死ねますか…?[book]
2006-12-30
ブログの鬼!10則
貴様ら! ブログ更新しとるか! トラックバックしとるか! アルファでギークな話題をチェキっとるか! まさか1件もブクマされないようなぬるいエントリ書いておらんだろうな…?
ばっかもーん! この十カ条を毎朝唱和せい! 立派なブログになるために!
●ブログの鬼十則
一、 ブログのネタは自ら創るべきで、与えられるべきではない。
二、 ブログとは、先手先手と働きかけていくもので、受け身で書くものではない。
三、 大きなネタと取り組め、小ネタはブログのスケールを小さくする。
四、 難しいネタを狙え、そしてこれをいいエントリに仕上げるところに進歩がある。
五、 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは。
六、 周囲のブログを引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
七、 ブログ成長の計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しいアクセスと読者が生まれる。
八、 自信を持って書け。自信がないから君のエントリには、迫力も粘りも、そして厚みすらがない。
九、 頭は常に全回転、八方の情報源に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、人気ブロガーとはそのようなものだ。
十、 批判や炎上を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。~解説~
一、 ブログのネタは自ら創るべきで、与えられるべきではない。
常に人の作った議論に乗っかってちょこちょこトラックバックをするだけ、いつも他サイトからネタをコピペしてきて「○○経由」、これではいけない。他のブログのネタにされるような第一次のネタをどれだけ作り出せるかがそのブログの価値だ。
二、 ブログとは、先手先手と働きかけていくもので、受け身で書くものではない。
新しい事件や話題があったら、真っ先にエントリを上げていくつもりで。後追いでは注目度も下がるし、斬新な意見も出せない。
三、 大きなネタと取り組め、小ネタはブログのスケールを小さくする。
君の夕飯のおかずや体重の増減など、誰も興味を持っていない。
四、 難しいネタを狙え、そしてこれをいいエントリに仕上げるところに進歩がある。
調べるのが面倒、ネタとして昇華させるのが困難、整形に時間がかかる。だがそんなネタこそが良エントリになる条件を備えていることもある。
五、 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは。
企画を立ち上げて途中で放り投げるなど論外。書き始めたら最後まで書く。続き物は完結まで書く。企画は最後まで責任を持つ。
編集
六、 周囲のブログを引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
話題を追うのではなく、常に話題を作る、自分が話題になる気構えで更新すれば、確かな存在感を手にすることが出来るだろう。
七、 ブログ成長の計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しいアクセスと読者が生まれる。
ブログは1日ずつの積み重ねだが、積み重ねた先に何があるかを意識するべし。
八、 自信を持って書け。自信がないから君のエントリには、迫力も粘りも、そして厚みすらがない。
自分で面白いと思うことを書くこと。まず自分が自分のブログの最良の読者たれ。
九、 頭は常に全回転、八方の情報源に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、人気ブロガーとはそのようなものだ。
複数の情報源を確保、RSSリーダーは1日に最低3回は開き、RSSに対応していないサイトはアンテナでチェック。
十、 批判や炎上を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
自分が正しいと思ったら、100万件の攻撃コメントが付いたとしても我行かん、の気持ちで。批判されることを恐れて言いたいことも言えないこんな世の中じゃ…。
注:元ネタは「電通 鬼十訓」です。
エアギター日記 ファイナル(後編)
試合開始
この大会のルールでは、審査員ではなく、観客の投票によって採点がなされる。つまり素人のお客さんにウケるような、
盛り上がるエアーが求められるのだ。フィギュアスケートのような技術採点からは遠ざかってしまうが、宴会芸として発展したエアギターの歴史を考えると、これはこれで正しい姿なのかもしれない。しかし、これは悩ましいところだった。
日本人の審査員と、フィンランド大会での外人審査員と、日本人の客席とでは、ウケるポイントも見せるべきパフォーマンスも変わってくる。しかも、この日はくじ運があまり良くなく、2番目の出番になってしまった。最初の方は、当然オーディエンスの数が少ない。
最初の出番は、「ダイアモンドパワー」と名乗る、絵に描いたようなA系だった。どこかのアイドルの曲でなぜかエアギターっぽい動きを超ハイテンションで行ない、なぜか「仮面ライダーの変身ポーズをやります!」と言って壇上で変身したりして、客席をさざ波のように引かせて帰ってきた。…俺は限界だと思った。
客席の温度としてはかなり厳しいものがあるが、ポジティブに考えれば、落差によって僕のパフォーマンスを客席に印象付けられるかもしれない。アイスを食べた後のお茶は本当に熱い。小学校のプールから上がった後のバスタオルのように、客席の氷を僕のプレーで溶かすのだ。
ジミヘンみたいにギターを燃やすようなまねはしない。今日の俺は、既に炎に包まれている。 この日は、名前との整合性と、世界大会でのウケを見据えて、上下を本物の忍び装束で決めていった。舞台袖から側転で中央に飛び出すと、客席から歓声が上がった。
「ニンジャー!」「ザックー!」 まさか、半閉鎖サイトでの
あんな直前になってからの告知で来てくれた九十九式ッズがいたのか? そう思うと嬉しくなった。後に、これは僕の思い過ごしで、この女性たちはたまたま会場に来ていたザック・ワイルドファンであることが判明するのだが、これによって多少緊張がほぐれた。
背中のニンジャソード(プラスチックにアルミ箔を塗ったもの)を逆手に抜き、柄の部分をマイクに見立てた。
「All right...This is a song caled miracleman!」
これぞ今回の隠しトリック、「
エアMC」だった。すかさずニンジャソードを放り捨て、イントロのリフを叩きつける。
「ジャガジャガジャー、ジャジャジャ ジャガジャガジャジャージャー!」…フッフッハッハッハッハッハー! イントロは心持ち丁寧に引き、ピッキングハーモニクスの部分では顔と体でキメることを意識した。Aメロではザックになりきった気分で仁王立ちで客席を右から左へと睥睨し、Bメロのチョーキングは足と腰を使って弾く。いい流れだ。
サビはギターのリフとドラムのキメが違うので頭の振り方に気を使いながらエアコーラスで客席を煽った。いつも通りにこなせている。
この後、ハードロック史上に残る名ギターソロパートがやってくるのだ。すかさず前に飛び出し、怒涛のエアペンタトニックスケールから、ダイナミクスの極端に大きなエアビブラート、そして一音ずつあがっていくエアピッキングハーモニクスがが恐竜の咆哮のように天に昇っていくとき……。ここだ!
僕はギターの残響が残る中、「miracle man...」のSEボイスを合図に、エアギターを大きく背中で一回転させ、まっすぐ上空に放り投げた。これが難度Cの大技、
エアギター・イン・ザ・エアーだ。しかしこれだけではまだ終わらない。着地点を一瞬ではかり、
すかさず180度後ろを向き、思い切ってバク転をした。着地のリバウンドで短いジャンプをし、空中でエアギターをキャッチすると、着地がちょうどギターリフの入りと重なった。キマった。
エアギター・イン・ザ・スカイ・バックフリップ。完璧だ。このギターソロが終わってリフが入り、すぐに2番が始まるのだが、今回はここですっぱり曲を切った。一瞬客席が静寂に包まれ、のちに歓声が上がった。
「今日の出来は何点ですか?」
司会の二人に今回の手ごたえを聞かれた僕は、こう答えた。
「九十九点です!」最新決戦
3番目以降は、本職芸人たちが続々と登場してきた。パフォーマンスの構成、MCとの受け答えなど全てそつなく、さすがにステージ馴れしている人間は違うな、と思わされた。
特に構成に関しては、この1年でシーンは大きく変化していた。2曲、3曲とつなぎ合わせるものもおり、曲もみんなフルコーラス、あるいは編集によってそれ以上の尺を取っており、パントマイム大道芸のようになっている演技もあった。
そんな芸人や半芸人の中にあって、お互い素人であり、
・インターネット出身 (2ちゃん⇔テキストサイト)
・バンドくずれ (ギター⇔ドラム)
・正統派スタイル (技巧派⇔競技系) という、ある種の似通いつつ相反するバックボーンを持つきんたま選手がどのようなプレイをするのか、非常に興味があった。何せ僕は彼のプレイ自体を見るのは初めてである。ヘタなもん見せられたら勝ち誇ってやろう。
曲はEXTREMEの『Cupid's Dead』だった。グルーヴィーかつトリッキーなリフが特徴のこの曲、イントロが始まるとすぐに僕は目を奪われた。これは相当、やる。本人が実際にギターが弾けるということを差っぴいても、技巧派を自認するに相応しいプレイスタイルだった。ベースはヌーノ本人の弾きまねではあるが、そこにうまく過剰さや思いいれ、自己陶酔が乗っている。これは…
ロックやな! 果ては「
エア・ラップ」まで飛び出した。これは正直言ってそれほど凄いトリックには思えないが、このために歌詞を暗記するという前準備が凄い。これは紛れもなくメタル的態度だ。スリーコードで弾けるパンクと違って、技巧的なプレイが求められるメタルには、事前の練習や、キメ部分の入念な打ち合わせ、ときには衣装や小道具の作成が求められる。僕は彼のエアプレイに、そうした
正統派HR/HMのエアネスを見たのだった。僕は心の中で完全なる敗北を悟った。
しかし、僕の胸に惨めさや悔しさは全くなかった。そこには、ただただ熱い空気だけがあった。僕は叫んだ。「我が心、すでに空(くう)なり!」
僕はステージをおりたきんたま選手のもとに足早に歩み寄った。彼は先ほどまでのステージ上での熱量を物語る汗をぬぐいもせず、笑顔で握手をしてくれた。
「宮本君、この間はごめんネ」
「そんな…僕の方こそすみません」
僕らは肩を抱き合い、健闘を称えあった。この握手は友情のシェークハンド。もはや形だけのエア握手ではなかった。
戦いを終えて
結局今回は結果を出せず、僕は選外だった。上位はモノマネ芸人とイロモノが独占していた。確かに「インパクト」「笑い」で見れば、彼らの優勝に疑いの余地はない。普通の人は、エアトリルやエアビブラートの出来など気にしていないのだ。8分間も曲をつないでモノマネとパフォーマンスの限りを尽くす本職芸人に、「ギターを弾くふりがうまい」だけの素人がどうやって立ち向かうか。最初期の成功体験のみを手に、シーンの最新動向を知らずに、旧態依然としたテクニックで立ち向かった僕は、まるで三十八式歩兵銃だけでソ連の戦車に立ち向かった帝国陸軍のようだった。
しかし、終演後に「一番良かったよ!」「普段は江戸村で働いてるんですか」と声をかけてくれるオーディエンスもいたし、総決算として出せるものは出し尽くしたので悔いはなかった。もし最新事情を知っていたからといって、僕が面白さを追求したコント的なプレイをする気になったとは思えない。
こんなことを言ってもあまり理解されないかもしれないが、僕は自分のエアギターを
滅茶苦茶カッコ良いと思ってやっている。それもカッコ悪さのカッコ良さではなく、純粋なカッコ良さを追求してプレイしているのだ。その結果として、それが傍目に滑稽なものに映って笑いにつながるのは別に構わない。単純に考えて、いい大人が何も持たずにダバダバ動いてカッコつけてる図っておかしいもんね。しかし、最初からヘンな動きやとりあえず脱いで笑いをとろうとする態度はどうなんだ、と思う。エアギター関係ないじゃん。お前ら本当にロックが好きなのか?
きんたま選手も、自身のブログで以前こんな風に語っていた。
本当にこんなもんがこの程度で浸透していって面白いブームになるのでしょうか。ただ単に「ロックの人ってバカだよね」的な誇張表現でキレた感じでギターを弾く真似が流行って、「あーエアギター!ギャハハハハ」みたいに笑われて、5年後くらいに振り返ったら頭が痛くなるモノで終わりそうな気がします。
ロックの人は確かにバカですが、ロックが好きなバカなのです。「バカ」の意味を取り違えて、「バカになってロックする」のではなく「ロックをバカにする」姿勢でエアギターやる連中が増えたって何の意味もない気がします。金になるんだったら何でもいいのは知ってますが。
(きんたま空間)
実際、一昨年と昨年は、サイトを見た複数のテレビ局や番組製作会社の方から、出演のオファーがあった。しかしそのどれもが、最初から人を笑いものとして扱うことを前提としている企画だったため、お断りさせていただいた。僕はエアギターでバカだと思われてもいいが、バカにされるためにエアギターをやっていた訳ではない。
だいたい、そんなことで日本のエアギターが世界に通用するものか、と僕は深刻な問題意識を持っていた。
…が、表彰式の壇上で僕は驚くべき事実に気付く。
この大会は、フィンランドの世界選手権とは何の関係もなかった! 世界大会出場のための日本予選は別のところで行なわれていて、これはそちらとは全く何の関係もない、サブカルイベント企画だったのだ…! 愕然としているうちに、今年は日本人が世界選手権で初優勝を遂げてしまった。じゃあもういいや…。
これからは、現役を引退して解説者かトレーナーの道を歩もうと思います。
[airgt]
エアギター日記 ファイナル(前編)
プロローグ
2006年8月9日午後8時45分。その瞬間、僕はこの手で確かにエアギブソン・レスポールの重みを感じた。ありがとうランディ、ありがとうダレル。これで僕は普通のニンジャに戻ろう。
話は約2週間前にさかのぼる。普段あまりチェックしないメールアドレスに、エアギター決勝大会への出場依頼が届いているのを見つけた。かつての予選大会の上位入賞者に対し、決勝大会への出場を求めるそのメールは、5月から何通も届いていた。(すみません)それはあたかも、
キン肉スグルによるタッグマッチの誘いのような、切実なメッセージだった。
そう言えば僕はエアギタリストだった! 思わず走馬灯のように、昨年までのエアギター活動が頭をよぎった。僕は何でも自分で体験してみないと気がすまない性質ではあるが、それなりに体験するとそれで満足して追及しなくなってしまうフシがある。エアギターも、昨年の大会で予選三位になった頃をピークとして、いつしか練習もしなくなり、自慢のエアギターは部屋の片隅でホコリをかぶるばかりとなっていた。
今でもやれるのか? 僕は…。ためらいはあったが、押入れから、フィンランドのエアギター大会オフィシャルTシャツと会長からの感謝状(日本でのキミのエアギター活動に感謝する)を引っ張り出して眺めていると、世界への憧れと、まだ見ぬ強豪との戦いに、ふつふつと闘志が湧き上がってくるのを感じた。
「やってみるか。もう一度……!」 決勝大会まで、あと1週間だった。
それからと言うもの、僕は再びエアギターの鬼と化した。最初はパワーリストをつけてのストロークから徐々に重くしていき、右手は6kgのダンベルを使ってピッキングができる様になるまで鍛えぬき、左手はスチール缶を3秒で握りつぶせるまで握りこみを続けた。会社の行き帰りの電車の中でも、常にエアギタリングを続けた。時と場所を選ばないのが、この楽器のいいところだ。会議中でも寝ているときも、僕の右手はエアピッキングを刻み続けた。(もちろんエア彼女とのベッドの中でも、だ。)
選曲
練習と同じくらい大事なのが、当日の選曲と演出だ。日本の審査員と、オーディエンス、そして海外の審査員にもアピールできる選曲を目指して、眠れぬ夜が続いた。
『仮面ライダー響鬼』の初代OPインスト曲の、轟鬼ギターバージョンでオリエンタルに渋く決める、VFカゲの曲を流しながらエアー殺陣を盛り込んでいく、KAT-TUNでエアーラップ……。などと色々とパフォーマティブな選曲を考えたが、最後に行きついたのは、やはりこの曲だった。
オジー・オズボーンの『ミラクルマン』。 思い起こせば、僕のエアギターキャリアはこの曲とともに始まり、大事な局面ではいつもこの曲に助けられた。この曲を弾いているとき、僕はいつも奇跡の男になれた。大道芸的パフォーマンス色の強いこの大会、このあまりに正統派のハードロック的な選曲は弱いかもしれない。だが、それでもいい。エアギターキャリアの締めくくりとして、これ以上に相応しい曲は思いつかなかった。自己満足の世界だが、それでいい。エアギターというのは、基本的に自己陶酔と自己満足の世界である。逆に言うと、どれだけ自己陶酔に浸れるかが演技自体に影響する、芸術系競技種目なのだ。
曲が決まったところで早速運営事務所に問い合わせ、曲の時間制限を聞いてみた。エアギターの世界統一ルールでは、大会のスムーズな運営と公平な試合を期するために、一人の持ち時間が1分以内と決められている。選曲と同様、この1分以内で盛り上がれるようにする編集も勝負の明暗を分ける。
「曲が決まったんですけど、持ち時間何分ですか。」
「え? はぁ……まあご自由にというか。」
どうも要領を得ない答えが返ってきた。この人、ちゃんとルール知ってるのか?
「自由にって…。他の出場者はどうしてるんですか」
「皆さんかなり自由に色々つないでらっしゃるんで、はい。」
全く意味が分からないまま電話は終わった。とりあえず僕は曲を1分半にカッチリと編集して持っていくことにした。
宿命の対決
また、今大会にはもう一つ、僕が出なくてはならない理由があった。亀田vsランダエタ以上の宿命の対決、因縁の相手が出場しているのだ。第一次予選大会で僕の前に敗れ去った
きんたま選手だ。大会の公式サイトを見ると、当時無名だった彼は、その後研鑽を積み、毎回予選大会に出場し続け、ついに第三次予選で優勝の栄冠を手にしている。
また、第一次大会では僕は彼の出場時間に間に合わず、最後に行なわれた宴会芸的な箸にも棒にもかからない粗末なパフォーマンスしか見ていなかった。しかし、彼も実は競技志向、正統派プレイのエアギタリストというではないか。面白い。第三次大会優勝の腕前とやらを見せてもらおう。どちらが競技系エアギタリストの頂点か、正々堂々決着をつけてやる。
闘志は充分だった。
選手入場!
いよいよ大会当日がやってきた。会場のロフトプラスワンは、平日の夜にもかかわらず、相当の熱気だった。僕が完全にエアギターから遠ざかっていたこの1年の間に、ブームが育っていたというのは本当だったのだろう。着実に1年前とは違う熱い空気が漂っていた。
「全選手入場ッ!!」
バーリ・トゥード(なんでもあり)ならこいつが怖い!!
生粋のアニメ&アイドルオタ介護師 ダイアモンドパワーだ!!!
競技系エアギターはすでに私が完成している!!
九十九式、宮本“ザ・ニンジャ”勇次郎だァ――――!!!
アニメの世界から炎のマッスルマンが登場だ!! キン肉マンの物マネ芸人 しんちゃんず!!!
身内の前でならオレはいつでもギターヒーローだ!!
バーテンダー、スパイダー斉藤 白塗りメイクで登場だ!!!
成り上がりたいからここまできたッ キャリア一切不明!!!!
長渕のモノマネ芸人 春田和幸だ!!!
正統派エアギターはこの男が完成させた!!
本大会の良心!! きんたまだ!!!
エアー対策は完璧だ!! エントリーNo.7 進藤涼一!!!!
全米プロゴルフ選手権は3回制覇だがエアギター優勝もオレのものだ!!
本職モノマネ&エアギター芸人 ふじきみつぐだ!!!
自分を試しにロフトプラスワンへきたッ!!
アマチュア自虐女芸人(?) 岡千晴!!!
超二流芸人の超B級のパフォーマンスだ!! 生で拝んでオドロキやがれッ
性別不明のキワモノ芸人!! ゴー☆ジャス!!!
(リザーブ選手)
仕事はどーしたッ ニートの炎 しももとあきらだ!!!
オレはエアギター最強ではない脱ぎ芸で最強なのだ!!
御存知変態素人芸人 おがりゅう!!! 競技場の控え室に入ってから気付いた。こいつら、ほとんどが芸人じゃん…。
控え室での会話は、どこそこのお笑いライブに出てどーした、事務所のギャラがどうこう、と言った話題が主だった。「桜塚やっくん」という人名を僕が初めて知ったのもこの場だった(遅い)。
火花
そんな中、一人の人のよさそうな30絡みの男がいた。男はなぜか妻を連れてきていたが、一心不乱にアイポッドで曲を聴き続けていた。歌詞カードを見ながら、リズムを取りつつ口で小さくシャドウイングをしている。これはただものではない。
僕もアイポッドを取り出し、談笑する他選手達を尻目に練習を始めた。今回の構成は、途中にアクロバットを挟んでいるので、タイミングの取り方が難しい。
そのまま無言で練習していると、他の出演者達との会話によって、その男こそがきんたまであったことが判明した。こいつが…!
「宮本さん、リハどうぞ」
きんたまの眉がぴくりと動いた。向こうも気付いたようだ。しかし、お互い目は合わせない。向こうも分かっている。これはもはや遊びではなかった。全日本代表の座を賭け、いや、競技者としてのプライドと、己の全存在を賭けた、男の戦いなのだ。負けられない。
全国エアバンドバトルYouTube - Ozzy Osbourne- Miracle Man (LIVE 1989)[airgt]
2006-12-12
満腹と芸術
[18] 新橋の高い和食居酒屋に行ってきた。新橋というと、ザ・オヤジシティというかサラリーマンの聖地、一杯飲み屋、立ち食いそば、みたいなイメージが勝手に僕の中にあるけど、考えてみればサラリーマンにだって上流から下層まで超分厚い層があるわけで、ザギンでなくても高い店はあるわけだ。

今日はそんな、「新橋の高級店」を堪能した。雀荘の看板のような、100cm程度の蛍光灯看板が所狭しと立ち並ぶ飲み屋街のあるビルに、看板すらなく、メニューすら提示されず、ひっそりと閉まったドアがあった。席に着くと何も言わずに「おまかせ」が始まり、うまい魚が出てきそうだったので2年ぶりくらいに熱燗を飲んだ。
隣に座った男女二人連れが一目でそれとわかるTVギョーカイ人風で、「VTRは俺が撮るから…」「放送作家2人つけて」「TV東京が…」とかずっと話してたので、耳がダンボになった。それも含めて異世界を堪能した師走の夜だった。
僕らはと言えば、「な、何ちゅうもんを食べさせてくれはるんや…!」(京極さん)等と美味しんぼごっこをして楽しんだ。他愛もない。本当に美味しいものを食べると、特に面白いものとか凄いこととか気の利いた話とか考えなくても満ち足りてしまう。だから、ロシアの貧困層は偉大な文学を著わしたし、ルネッサンスの貴族は芸術に没頭できた。前者は満ち足りないがゆえの渇望を芸術の糧とし、後者はあまりに満ち足りたがゆえに、それでも芸術が迸るほどキャパシティの大きいものが台頭したわけだ。
2006-12-11
マレー半島バキン肉
[17] 先月、出張で東南アジアを旅していたある日、どうしてもネットがやりたくて(というか結局毎日ネットをしてたけど)、散々歩き回った挙句、深夜に場末のネットカフェにたどり着いた。
そしたらそこが日本語フォントがインストールされていないPCで、日本語の表示はできるけれどもタイピングが出来ない、つまり一方的に読むことしか出来ない状態になってしまった。サイトの更新もmixiも、メールもできない。
仕方なく、無目的にフラフラネットを見ていてたどり着いたのがバキン肉だった。
バキン肉 - Woshare Wiki君は『バキン肉』を知っているか!?まあ知らないと思うので説明します。バキとキン肉マンをフルスキャンした後、バキ、肉、それぞれの背景及びキャラごとのポーズなどを整理、二つの漫画を巧妙に融合させたオリジナルストーリーを編み出して、スキャンした画像を巧い具合に配置しつつ台詞も巧い具合に挿入、という企画を進めて行こうと思っております。恐らく長期連載になるでしょう、単行本30巻分以上の分量は最低続けたいです。本家を超えるクオリティのREMIXを作る、くらいの気構えで行きたいです。
このプロジェクトのことは随分前に銀閣寺で読んで知っていたけど、こんな風に順調に立ち上がっていたとは気付いていなかったのだ。(
さよならテリー・ザ・キッド - 再開!プロジェクト・バキン肉!の巻)どういうわけかそこまで注目されていないように見える(はてブの数などより類推)けど、バキとキン肉マンでコラボ・コラージュネタというのはある年代のあるカテゴリーに属するオシャレキッズにとっては身もだえするほど面白い組み合わせなんじゃないだろうか。
ラーメンマン - もはや拳法に見えぬほどのオリジナル。テリーマンVS斗羽あたりで悶絶しました。あと
城が非道すぎる!
それと、書いている人たちもこういう日記遊びなら超一級どころ、いわば全選手入場な人たちなんじゃないだろうか。
ってことで失礼して…
ルールの無い日記が書きたいから日記者になったのだ!!
プロの日記を見せてやる!! 刺身!!!
キン肉マンネタなら絶対に敗けん!!
大手のネタ日記見せたる さよならテリー・ザ・キッド 松本だ!!!
特に理由はないッ この人が面白いのは当たりまえ!!
銀閣寺! 銀閣スグルがきてくれた―――!!!
まんがいじりはすでに私が完成している!!
インターネット殺人事件 xxだァ――――!!!
というわけで、何故か僕の中ではバリ島とバキン肉が記憶の中でコラージュされて結びついてしまった。
8期メンバー
[16] モーニング娘の8期メンバーが決まりましたね。
光井愛佳さん(13)。
うーん、何というかクセのあるタイプではあります。個人的には、吉川友さん(14)のほうが可愛くて良かった。しかし実際、今のモーニング娘はある意味「単なる可愛い子の集団」であり(これはこれで凄いことなんですが)、こういうフックがあってもいいのかな、ロックなんちゃうかな、と思います。
あと、結果は実は二の次で、オーディション特番自体が非常に面白かった。やはり夏先生(振り付けの先生)と菅井先生(ボーカルの先生。ゲイ)が出てくると非常にアツくて面白い。
途中、振り付けを教えている夏先生がモーニング娘の曲をちょっと踊っているところが見られたんだけど、その動きたるや非常にシャープかつダイナミックで、本当にちょっと体を動かしているだけなのに、その奥に圧倒的な動きの質量を垣間見ることが出来た。すごい。かつて板垣先生(バキの人。狂人)が、矢沢栄吉のステージリハーサルを見て、そこに達人の動きを見て鳥肌が立った、という話を書いていたけど、まさにそんな感じだった。
あとは菅井先生。今回もボーカルレッスンで「ニャァ~~オ!はい、ニャ~~オ!」をやってくれた。あと、「ニャアァ~~~~~~~~。………ウォウ」などの外しテクも死ぬほど面白かったので、ここはやはり毎回言っているけど、新メンバーは夏先生と菅井先生でいいと思うのだった。
2006-12-08
ブログが死ぬとき
[15]
形あるものいつか壊れる。命あるものいつかは滅びる。
ブログも生き物なので、いつかは死んでしまうのです。という与太話です。
ウサギは寂しいと死んでしまうそうな。嘘か本当か知らないけど(嘘だけど)、むかし酒井法子がそう歌ってました。
では
人はどうなると死んでしまうんでしょうか。僕は、
やることがなくなったときだと思っています。やることがないと、人は生きていけない。福本まんが『銀と金』でも、地下の牢獄に閉じ込められて10年経った大学教授が発狂する様子が描かれています。僕も学生時代にインターネットと出会って救われました。
ではでは、
サイトが死ぬときはどんなときでしょうか。これは簡単、更新を止めたときです。サイトは歩みを止めたとき、老いていくのだと思います。例えば情報サイトなどの種類によっては、1年も前に行進が止まっていると半分くらいの人は戻るボタンを押すと思います。
じゃあ、
ブログが死ぬときは? これは実にあっけない。ブログの場合は、その基本システムが開放姿勢だからか、反応(コメント、TB、はて部)がないと死んでしまうんですねー。僕は「コメントが付かないので閉鎖します」と宣言して閉じたサイトを見たことがあります。まあそこまでいかないにしても、皆さんも大好きなブログがあったら、たまには反応を返してあげるとそのブログの寿命が延びていいと思いますよ。(ここはもう延びませんが)(死にもしませんし)
手術日記
[14]
普通の日記です。会社を休んでシウツしてきました。部位は、物心ついたときから足の裏にあるほくろです。このたび切除することになったのです。最近、同じく足の裏のほくろをとった知人がことあるごとに「宮本さんはいつ行くんですか」と、早くしないと死にますよとでも言わんばかりの勢いで勧めるので、夏の妙な雰囲気で、つい頷いちゃったのでした。
彼の場合は「1週間前に突然できた」という、なんだかヤバげな発生の仕方なのでまあわかるんですが、僕の場合は多分生まれつきなので良性だと思うんですけどね。診察した医師の話によると、「良性のものが突然変異して悪性(ガン)になった症例は、まだない」とのことでした。つまり、悪性は最初から悪性であった、と。しかしここが医学の難しいところで、診断は常に帰納的推論(現象を沢山集めて、共通項から法則を導き出す)なので、あくまで「まだない」であって「ありえない」にはならないんですね。
しかし今日はわざわざ会社を休んで切りに来たので、「先生、本当のことを言ってください!」「それでも切ります。」と強硬姿勢のうざい患者になりました。
絶対泣きますよ、と予告されていたぶっとい麻酔注射を、平然と本を読みながら耐えた俺。えらい!(セルフイメージは関羽)
手術は30~40分かかるということなので、本を読ませてもらうことにしました。手術台の上で。なんだか美容室で髪を切ってもらってるみたいですが、手術です。
手術前には、もちろん麻酔注射をします。知人から「麻酔注射がとにかく痛い」「絶対うめき声が出る」「麻酔注射のための麻酔が必要」とさんざん脅されていたので、絶対ぇ平然とした顔で受けて立ってやる!と闘志を燃やす俺。
本を読みながら涼しい顔して受けましたが、確かにかなりいたかった。しかも四方から打つので、痛み×4。痛みの質としては、歯医者の麻酔と全く同じでした。きゅーーっという染み渡るような痛み。
これが俺の生涯初しゅじゅちゅ。しゅじゅちゅちゅうに、「そういえば背中にアテローム(粉瘤)があって、それもいつかとりたいんですよね」と言ってみたら、「じゃあとっちゃいますか?」と、その場でついでにとることに。本当に美容室みたいになってきました。カットのついでにカラーリング、的な。
(アテロームとは!簡単に説明すると、皮膚の一部分の遺伝子情報がエラーを起こして裏返ったような状態になり、皮下に袋状の部分ができる。そんでそこに分泌物とか古い角質(要するに垢)がたまり続ける、という絶対に死なない奇病。俗に「しぼうのかたまり」と呼ばれたりもするけど、別に脂肪ではない。無理に潰したり自分で切ったりしようとすると、化膿して炎症を起こし、袋が破裂して周囲の組織と同化、二度とちゃんと摘出できなくなってしまうと言う…。知らずに自分で何とかしようとしなくて良かったー。)
麻酔をしてても、皮膚を引っ張ったりなんか刺したり切ったりしている「感触」は伝わるので、なんだか変な感じ。でもこれで見ないで済んでいるからいいようなものの、体の前面とかだったら大変だな。目だったら発狂してしまうかもしれない、と思った。
摘出したブツを見せてもらうと、予想より大きく、ソラマメ大の新円の白い物体だった。つるんとしていて、珍しい魚の内臓みたいな不思議な質感だった。記念にデジカメで10枚くらい激写させてもらった。考えてみれば、これに最初に気付いたのは高校生のころだったので、豆粒大だったころからかれこれ 10年も背負っていたわけである。そう考えると感無量であり、思わず「記念にください」と言ってしまうところだった。画像は載せません。
しかし今はとにかく痛い。考えてみれば、皮膚を3cm幅、深さ1cmに渡って切り裂き、糸で縫い合わせているわけだから、麻酔が切れれば痛くて当たり前なんである。傷と同じだもんなぁ。
しかし10年来の懸案事項が解消されて、非常に晴れ晴れとした気分。この勢いなら親不知も抜ける! …かな…。
2006-12-07
ナイス・アイドル・マスト・ピュア
[13]
モー娘。好きな男の子に告白したいので対策を教えてくれませんか? これは良スレだなぁ。ある高3の女の子が、同じ予備校に通うモーヲタを好きになってしまった…。という物語。
物語の展開とか、殺伐とした狼なのになぜかみんな本気で心配したり和んだりしてしまうという『電車男』ライクな展開。個人的には、題材が身近なせいか、電車男よりも入り込んで読んだ。
「青春について」とか、「男にとってアイドルとは…」とか深く考え出すと樹海に迷い込んでしまうんだが、スレッドの主人公である“子羊”がひたすらピュアで可愛いので引き込まれる。こんな書き込みをする子です。
恋に悩んで食欲がないので…
295 名前:迷える子羊 投稿日:2006/11/25(土) 23:16:58.36 0
飴ばっかり食べてしまって虫歯になっちゃう…。
484 名前:迷える子羊 投稿日:2006/11/26(日) 00:34:41.44 0
相談したらおなかがすいちゃいました(笑)
お母さん怒ってるだろうけどごはん食べてお風呂入って勉強して寝ます。
今日は本当にありがとう。
優しいんですねモーニング娘ファンって。
成績も恋も頑張ります。
おやすみなさい!!!
終盤の長文になっていく書き込みと、大団円を迎えるラストには一読の価値あり。最後にはモー娘の曲が段々好きになっていったりとか…。「ハンカチ用意して読め!」なんていう押し付けがましい物語よりよっぽどいい気分になれた。
あと、女の子が「オハヨー」って挨拶してきてんのに、無言で田中れいなの下敷きを見せてニンマリ笑ったり、モー娘の話になると目を輝かせて話し続けたりする不器用で真性なオタっぷりに背筋の寒くなる思いをしたりもできます。わは…。
2006-12-05
[12] 今日のおやつ:チロルチョコパンきなこもち

ファミマでおやつを物色していたら、人気チロルチョコのきなこもち、を模したパンが売っていた。
チロルチョコパン発売! そもそもがきなこもちを模したチョコレートをさらに模した別のお菓子。キムタクの物真似をするホリの真似をする友人のような、竹中直人が演じるミルヒーの物真似をしている俺のようなおかしみを感じて、つい買ってしまった。あと、このきなこもち君(仮名)はかわいいのでずるい。
中身はきなこクリームとぎゅうひの入ったパンでした。あと、形がま四角なのも心憎い。
2006-12-03
[11] あのルイージはニセモノだったのか
いよいよ任天堂新ハード『Wii』が発売された。これまで別段興味もなく、「ゲームボーイの新しいやつ?」くらいの認識だった僕も、ここまで周囲で騒がれるとそれなりに気になりだしている。
発売日のニュースを見ていたところ、ある量販店にルイージの着ぐるみがいて、くすだまを割ったりWiiを購入者に手渡したりしていた。「なんでルイージ単体なんだろうなー」と思っていたら、単なる不審人物だった説が…!
伝えられるところによると、どこからともなく現われ、報道陣や行列の人に愛嬌を振りまきいていたルイージだったが、しばらくすると急に警備の黒服に引っ張られてどこかへ連行されていったとか。
44 番組の途中ですが名無しです 投稿日:2006/12/02(土) 16:14:12 ID:1wfISTsE0 ?PLT(10001)
俺この場にいたぞ。
ルイージ、実は、任天堂社の企画でもなんでもないっぽい。
つまり、正体わからぬだれかが、勝手にきぐるみ来て現場まで
来たって事。で、現場担当は、「ああ、これは企画なんだよね。
じゃ、ルイージに渡してもらおう」と、1番目のひとに渡した。
ところが、そのあと、警備関係がざわつきはじめて、現場も
そのルイージが「ただの正体不明のきぐるみ」であることに
わかったみたいw
【2ch】ニュー速クオリティ:ルイージ、マリオを装ってWii販売会場に忍び込むもバレて連行退場。
写真見ただけで笑った。
関係者のふりしてバックヤードでWiiなどをくすねようとしていた知能犯説、とかもあるけど、どう考えても目立ちすぎるだろう。ここはやはり、愛のある任信の素人だと思いたい。きっと、本物のマリオがいて、バッティングする危険性を予想してルイージをセレクトしたのだろうか…。
などと想像は尽きないのだが、これはネットの勝手な面白がりで、実際は次のイベント会場に行くために急いで移動していただけ説もある。
"どうやらルイージ