“最初から症候群”と『シンケンジャー』の話

2010年2月19日 金曜日

最近、自覚症状があるのだが、僕は物心ついた頃から、ある持病を抱えている。
『最初から症候群』という。 どうやら治らないらしい。

例えばマンガでもTV番組でも、第一話から順序よく見ないと気が済まない。例えばキン肉マンだって、最初の方のキン肉マンが巨大化したり屁で空を飛んだりする部分は別物だ。しかしあれに耐えて読み進めてこそ、悪魔超人が出てくるあたりからの流れが面白くなる。

食事でも順序は大事だと思う。コース料理がいつも前菜からデザートまで、決まった流れがあることからも、この考えが間違っていないことが分かる。僕はたとえパック寿司を食べるときでも、味の薄いネタから順に食べていって、最後に穴子を食べて締める。あと好きなものは最後にとっておく派。

今月、惜しまれつつ大団円した『侍戦隊シンケンジャー』。脚本は『電王』の小林靖子で、侍という設定で和風モチーフにこだわり抜いたドラマで、アクションエンターテイメントとして、青春群像劇として、一話完結人情ものとして、もちろんチビっこ向けのヒーローもの(本来これがメイン)としても、非常に完成度が高くて面白かった。

「侍」で「戦隊」なんて、まさに僕がハマるために用意してくれたような設定だけど、実はちゃんと見始めたのは結構遅くなってからだった。それでも録画は撮り溜めていたので、1日1話ペースで第一幕から見ていき、怒濤の終盤を駆け抜け、最終回でようやくリアルタイム視聴が出来た。
キン肉マンとは違い(失礼)、最初から最後まで緻密に練り上げられたストーリーで、実に面白かった。見続けた甲斐があった。

しかし、こういう人もいる。

今までは朝起きれた時に見る程度だったんですけど、物語が終盤に近づくにつれ「最近やばい」っていう話をいろんな人から聞いたので、ちゃんと見はじめよう、と思いまして。その見始めた回からがまさに神展開でした。

「侍戦隊シンケンジャー」終盤の展開が神すぎる – さよならテリー・ザ・キッド(超重要なネタバレあり、閲覧注意)

もっっったいない!!

あの終盤の展開が神懸かりなのは、それまで1年掛けてじっくりとサムライ達の関係性と成長、心の交流を描いてきたからであって、あそこだけ見てしまっては「ああ、こういうパターンなのか!面白いなぁ」という面白さで終わってしまうんじゃないだろうか? 殿の孤独とか、流之介の葛藤とか、「力づくだ」の含みとか、わからないじゃない! も、もったいない!
あの展開から見始めるというのは、キン肉マンで言えば、アタル兄さんが予言の書で消えかかっているところから読み始めるようなものである。バキで言うと「目ぇ開けろやチャンピオン」から、ベルセルクなら断罪篇から、といったところか。

いや、しかし…。と最近は思うのだ。

こうして、「最初から見なくては」というこだわりのせいで、結局手を出せないままの作品がどれくらいあるだろうか?

そう考えると、案外松本君のように、美味しいところをかぎ分けてつまみ食いできる嗅覚の持ち主の方が、世の中いろいろと成功を収めるのかも知れない、とも思うのだった。少なくとも、それに全く触れずに一生を終えるよりはずっといいはずだ。
翻って考えてみれば、僕の場合、美味しいところを最後に食べる前に満腹になってしまった経験、あとで食べようと思ってとっておいたお菓子を腐らせてしまった経験は、一度や二度ではない。

それに、このケースのように「朝起きれた時に見る程度」だった人にまで「面白い」「面白いらしい」という噂が伝わり、実際にそれを見る、というところまで盛り上がったという点も、シンケンジャームーブメントの勢いのうちとも言える。

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コメント / トラックバック 2 件

  1. Louis Says:

    これ、自分もよく経験します/ん?途中のハリケーンミキサー師匠のブログの引用、リンクが切れてる?

  2. asakura-t Says:

    分かるけど、途中から見ても面白いモノは面白いので、その理由で避けるのはもったいないとも思う/漫画だと雑誌で読んで面白かった時に1巻から買って読んだりするけど、映像作品を最初から見るのは時間的につらい

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