「差別用語」を使わなければ安心、という思考停止

2011年6月26日 日曜日

Twitterで「カタワ」を自称した乙武氏に、「差別用語を使ったらイカン」、と反応してしまった人がいました。
「アホの坂田……じゃぼくはカタワの乙武(笑)」「なんて言葉を使うんですか!」「何で?」「え…だって差別用語…」「じゃ障害者が差別用語になったら使わないの?」「……。」
という流れ。

Togetter – 「乙武洋匡「僕は、カタワです」」

それにしても“差別用語”って本当に思考停止用語以外の何者でもありませんね。
「差別用語だからこの言葉は使わない」なんて言ってたら、日本語の語彙はどんどん貧しくなるし、その人はどんどん阿呆になることでしょう。

そもそも「差別用語」なんて存在しません。あるのは「放送禁止用語」です。
その「用語」だって、メディアが勝手に決めたものです。
各種団体の抗議や表現側(メディア)の“自主規制”によって、「面倒な言葉リスト」が「自主規制擁護」となってタブー化され、たまにテレビやラジオで出演者が口にしようものなら、司会者が慌てて謝罪する始末。これで、「メディア自主規制語を使う人=差別主義者=人でなし」というよく分からん図式が社会的に固定化してしまった、それだけのものです。
カタワって、そもそもは牛車や手押し車などの車輪が片方取れて「片輪」、そこから転じて四肢欠落の状態を直喩したものでしょう。風流な表現じゃないですか。

だいたい、「日本の古い言葉=×」「漢語=△」「漢語のひらがな表記=○」「カタカナ語=◎」っていう言い換えは、本当に発想が貧困というか何というか。
一聴して、本来の意味が分かりにくい言葉ならOK、という手法は、子供だましと言ってもいい。それならいっそのこと、記号とかにしてしまえばいいんじゃないでしょうか。

メディアの人達は、自分自身には差別的意図も責任もないのに、目の敵にされ、差別され抹殺される言葉たちのことを、かわいそうだとは思わないんでしょうか。

僕が自身の障害をマイナスに捉えていれば、これまでの数々のツイートも“自虐”になるのかもしれない。でも、僕は自身の障害をただの“特徴”に過ぎないと考えている。だから、自分を貶めているという感覚はまったくない。ただ、自分の特徴をネタに、笑いを取ろうとしている。そういう感覚なのです。

Togetter – 「乙武洋匡「障害ネタは、“自虐”なのか」」

と言いきれる乙武氏は、本当に言葉に対する感覚が鋭敏で自「覚」的なのだろうな、と思う。

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