合気道についてもう少し考えてみた

2011年9月26日 月曜日

昨日、「TVで醜態をさらしている柳龍拳は、「自称・合気道10段」のうさんくさい人物であり、合気道がインチキなわけではない」という話を書き、その証拠の一つとして、塩田剛三の動画などを紹介した。

塩田剛三が披露しているのは、柳龍拳がやっている「手を触れずに人を吹き飛ばす」というようなものではなくて、小さい体に似合わぬ剛力と、物理の作用力を併せ持った合理的な技だった。

合気道と言えば「手を触れずに倒す」?

しかし、実は「手を触れずに人を投げ飛ばす」っていうのは、晩年の植芝盛平がまさに披露していた技でもあるのであった。
植芝盛平とは、かの塩田剛三が柔道少年だった時代に、「本気で蹴り飛ばそうとしたら投げ飛ばされ」て、入門を決意したという、合気道の創始者・植芝盛平その人である。

Youtubeでも、探せば見つかるんだけど、晩年の植芝盛平は、まさに手を触れずに門下生を圧倒する、という「神業」を見せている。
門下生だからわざと吹っ飛ぶんでいるのではないか、と思う人もいるだろう。でもそれは、半分当たりで半分外れなんじゃないかと思うのだ。
合気道の元となった柔術の技の一つ一つは、武士達が磨き上げてきた、人体の仕組みや物理的法則を利用した「科学的」な身体操作術である。しかし、手を触れずに投げ飛ばすというのは、そういう近代的合理性の埒外の業だ。

合気はある種の催眠術

植芝盛平は、当時すでに「生ける伝説」である。その人が直々に稽古を付けてくれるあの現場というのは、一種の集団催眠状態になっているのではないか。そうなると、植芝翁が手を振れば、大きな力を感じて飛ばされてしまう。この状態も、まさに「合気」であると言えなくもない。

あの柳龍拳の道場にも、なぜか結構な人数の門下生がいて、柳がヒラヒラと猫騙しのような手をすると釣られてパタリと倒れたりしている。なんであんなペテン師にみんなだまされてあげてるのかなー、と思ったけど、きっとあれはあれで新興宗教の教祖的なポジションで、それに巻き込まれて心酔している人達もいる、ということなのだろう。実際、柳の道場では「除霊」が基本メニューとして掲げられているわけで、あれは道場主、武道家というよりカルト宗教家としてみた方が話が早いだろう。

オカルトかつ本物だった植芝盛平

しかし植芝盛平も、実は大本教の出口王仁三郎と厚い親交があり、修行中「突如黄金の光に包まれ宇宙と一体化する」体験をして精神的理念に開眼したり、モンゴルに渡って宗教国家を建設しようとしたり(!)と、かなりオカルト的な方向性を持った人だったのだ。

そういう意味では、合気道も元々宗教がかっている、と言えなくもないわけで、ここに「合気道は合理的で真っ当な武道である」と言い切れないもやもや感がある。(植芝盛平の逝去は合気会では「昇神」と言う)(日本武道と宗教との関係は切っても切れぬものだが、中でも合気道は宗教への接近の度合いが強いという話)
戦後、日本人の再起と、一般日本兵の強さの幻影におびえたGHQによって「武道禁止令」が敷かれたが、そのときも「これは武道じゃなくて宗教ですから」という体でもって、合気道はいち早く再開を許されたらしいとも聞く。(伝聞)

伝統と、自らの磨き上げた武、そこに宗教的神秘体験をミックスさせることによって伝説になった植芝盛平。表面的な動きだけ「伝説」を真似したカルト宗教の教祖、柳龍拳。
「達人」というイコンは同じでも、中身には天と地ほどの隔たりがある。

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植芝翁の「呼吸投げ」


植芝盛平は最小限の動きしかしていないが、体捌きや足腰の運用には確かなものが感じられる。

柳龍拳による物真似パフォーマンス


おじいちゃんがひょいひょい手を動かしているだけに見える。

強い人は強い

では、武道界や格闘技界で多数の人が「あの人は本物」「ガチで強い」と賞賛する、植芝盛平の愛弟子、最後の達人塩田剛三とは何だったのか。
彼は、元々、16歳の頃に講道館柔道で3段になるほどの才能で、腕力も敏捷性も格闘センスもずば抜けていたという。これは予想だが、「塩田剛三の合気道が強かった」のではなくて、塩田剛三自身がナチュラルに「強い」人だったのじゃないだろうか。きっと柔道なら柔道で、空手なら空手で、どの道に進んでも「達人」と言われるようになっていたんじゃないだろうか。そんな気がする。


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