みんなで不幸になろう、という日本社会

2011年9月6日 火曜日

細野大臣が、「福島の痛みを日本全体で分かち合うため、放射能汚染物の最終処分は福島以外で」という趣旨の発言をして、波紋が広がっています。

4日の会見で細野大臣は、中間貯蔵施設について「具体的な場所や保管しておく期間については地元の理解がなくては進めることができない」と述べ、施設を設ける場所などについては今後、地元と十分話し合ったうえで決めたいという考えを示しました。

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また、最終処分場については中間貯蔵施設とは別だという認識を示した上で、「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている。福島を最終処分場にはしないということは方針としてできる限り貫きたい」と述べ、福島県以外に設けたいという考えを示しました。 痛いニュース(ノ∀`) : 細野大臣「汚染物の最終処分場は福島県外で」「痛みを日本全土で分かち合うことが国としての配慮」 – ライブドアブログ

日本的な提案ではある

多くの批判が集まっているようですが、これって実に「日本的」な考え方でもあるんですよね。よく言えば惻隠の情、とでも言うんでしょうか。日本には、「誰かが不都合な目に遭っているなら、自分も一緒にそれを我慢してあげなくては」と考えてしまうような、またそれが一種の美徳にもなるような同調圧力が存在します。

以前何かで読んだのですが、昔、ある外国人が、日本人が雨の中立ち話をしているのを見て驚いたそうです。
「なぜ片方の人は傘を持っているのに、ささずに2人で雨に濡れているのか」
日本人だったら何とな~く分かるんじゃないでしょうか、これ。さすがに現代で傘を差さずに一緒にぬれるかどうかは分かりませんが、電車に2人で乗ったときに、座席が一つしか空いていなかったら、座らずに諦めたりする経験は誰しもあると思います。

死ぬなら一人で死んでください

ついこの間、僕はこんな体験をしました。

僕の住んでいる地域は、震災の被害を結構受けた地域でして、ガス管が破損、その応急処置がされてました。ガス管の一部が地表に露出していて、これじゃちょっと不安だねえ、なんてなことを近所の人と立ち話していたんですが、その人(60代、女性)が驚くべき一言を発しました。
「どうせ死ぬときはみんな一緒なんだからいいわよね」
いや、そんな同意を求められても! 正直言って、僕はあなたよりも今後の人生がずっと長いし、やり残したことも沢山あるんです。死ぬなら一人で死んでください…! と思ったんですが、これも実に日本的「連帯」の精神です。

福島の小学生のために給食をガマン?

とある小学校では、「福島の小学生の気持ちを慮るため」なんていって、給食費を削って義援金に回したそうです。これまた正気の沙汰ではないような気がしますが、この流れで言えば、実に日本的情緒に満ちた発想だなぁ、と思います。

未だに根強く残っている、「つきあい残業」などの悪風習もそうですね。自分の仕事が終わっていても、残業する人が嫌な顔をするんじゃないか、と気になって、なんとなく早く帰れず、だらだらと残業をしてしまう、という。

こういう「惻隠の情的同調圧力」というのは、プラスに働けば国民全体の団結心として、大きな戦争や復興のときの原動力になるとは思うんですが、放射能廃棄物についてはちょっと話が別なんじゃないか、日本全体を守るためには、汚染地域は最小にしておくべきなんじゃないかと思います。


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コメント / トラックバック 2 件

  1. atyks Says:

    みんなで不幸になろう、という日本社会 | 九十九式

  2. kagurakanon Says:

    というよりそういう善意を利用して都合よくリスクだけ押し付けている気がするんデスケドネw @myen

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