命のダブルスタンダード

2016年10月5日 水曜日

息子が幼稚園で虫を殺してしまったとか。詳しく話を聞いてみると、男児らがよってたかって虫をいじっていて、最後に息子が触って死んでしまったらしい。でも半ば息子が殺した扱いになっていて、幼稚園の先生からは「もっと命の大切さを教えてあげてください」とか妻が指導されたそうな。

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「いのちのたいせつさ」…? そんなことは常日頃から口を酸っぱくして教えているし、息子は毎週『ダーウィンが来た!』を見ているし、人並み以上には小さな命に親しんでいるし、人並み程度には小さな命の死を悲しむ情緒は持っている。しかし、虫の命が大切、一寸の虫にも五分の魂、というのはどうやって教えたものか、これは難しい。人は、自分から類が遠くなればなるほど、その生き物に対して親近感を覚えなくなるからだ。例えば、人が人を殺すのは絶対的な禁忌だ。場合によっては死罪になる。犬や猫などの哺乳類を殺すのも明らかにヤバい。鳥類も無理だ。しかし爬虫類になると、殺す場面を見ても「残酷な…」と目をひそめる程度で終わってしまうかもしれない。これが魚類になると、むしろ「3枚におろすと美味しそうだ」に見えてしまう。サンマなどは、泳いでいる状態でも塩焼きの図が頭に浮かんでしまう。そして、昆虫だ。

冒頭の話があったその日、家にゴキブリが出現した。妻の悲鳴で駆け付けた僕は、妻子を退避させて、ゴキジェットとビニール袋を片手に退治に乗り出した。この家で唯一のテラフォマーズたる僕は、家族を守らなくてはならない。ここは寝室なので、ゴキジェットを撒き散らすわけにもいかないので、ティッシュ+ビニール袋で素手で捕獲、しかる後に殲滅だ。

さて、捕獲したところではたと気づいた。昼間「虫といえども命を奪ってはいけない」と教えた父が、その舌の根も乾かぬうちに夜に殺生を行なうのか?

ビニール袋ごしにゴキブリを掴んだまま、しばし逡巡していると、息子が退避部屋から出てきた。「おとーさん!どう?」

廊下でゴキブリをつまんで佇む父。ゴキブリを初めて間近で見た息子は、目を丸くして、「カッコイイ…」と感嘆の声を漏らした。

ゴキブリを手で捕まえる父がカッコイイと思ったのか、ゴキブリの黒光りするフォルムをカッコイイと思ったのか、どちらかは分からない。しかし、一瞬油断して手が緩んだすきを突いて、ゴキブリはファサササ…と飛んで逃げた。

僕はそれを追いかけて捕まえ、外に出てから殺した。

じょうじ…


この記事は16分10秒で書きました。

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コメント / トラックバック 11 件

  1. lli Says:

    こっちが元ネタだったか

  2. ChieOsanai Says:

    園芸も農業もやったことないんだろうな。やれば害虫をバンバン殺さなきゃなんないから「命を大切に」なんてきれい事言えなくなる。

  3. oooooo4150 Says:

    気軽に増田をブクマできなくなるのはやだなぁ / via http://anond.hatelabo.jp/20161006231800

  4. pikopikopan Says:

    面白かったので本家をブクマしに来た

  5. pilpilpil Says:

    幼稚園の先生と哲学における命をとことん語り合う必要がある。禅問答でも良い。

  6. marmot1123 Says:

    元ネタをブクマ。

  7. otoan52 Says:

    「虫を殺してしまった」経験のない人の生命観って信じてない。

  8. shimooka Says:

    G文字注意 / 虫の場合は。。。難しいねぇ。畑だと「害虫」として殺生しまくってるし。「人の業」に含まれない(と言っちゃ語弊がある)命は軽いよね。人間は高等生物過ぎて身勝手。

  9. Mirunayo Says:

    増田から来ました

  10. deztecjp Says:

    はてな匿名ダイアリーって「本家はこちら」と記事中でリンクすると「宣伝かよ」とかいってスルーされる面倒くさい(しかし一定の合理性を認められる)文化があったりするんですよね……。

  11. suna_kago Says:

    子供が面白半分で虫等を殺すのは普通だと思う。成長すれば止まる。それは「命の大切さ」を学んだからというよりは、もっと面白い遊びができるようになるからだと思う。

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