子供に無償の愛と労働を捧げるほど気持ちのいいものはない

2018年9月16日 日曜日

いまだにポケモンGOやってるんですよ。ポケゴー。モンゴ。で今日もンゴンゴ言いながらやってきたンゴけど、最近のグローバルチャレンジだとかカントー地方大量発生とかのイベントのおかげで、街で見かけるプレイ人口もひところよりだいぶ増えている気がする。

俺も実は一時期、ゲームのあまりの単調さにちょっと飽きていた時期があったけど、最近あるプレイ要素が俺をゲーム世界にどっぷり引き戻した。(余談だが、田尻智さんはポケモンGOを評して当初「ゲーム性が単純過ぎる」と批判したらしいけど、結果的に「その単純さが良かったのだろう」という評価になったようだ)

とうとう、子供(小1)に古いAndroidスマホを渡して、一緒にポケモンGOをやり始めたのである。中古でSIMが入っていないとはいえ小1でスマホ、携帯ゲームデビューというのはちょっと早すぎるような気もしてだいぶ迷ったんだけど、アニメを見ていて毎年ポケモンスタンプラリーに行っている、ポケモンの大ファンである子供に黙って自分だけポケモンのゲームをこそこそやっている罪悪感に俺が耐えきれなくなったのもある。

もともとは、息子とポケモンの話を合わせるため、ちょっとはポケモンを覚えようと思って片手間に始めたものだったんだけどね。

親子で駆け回る日々

で、一緒にやってみたらこれが親子でめっちゃ楽しくなってズッパマりしてしまった。「あ、あそこの公園にミニリュウがいる!」「よし、今すぐ行くぞ!」とか言って走ったり、力を合わせてジムバトルしたりしてると、あっという間に3時間くらい経っている。

最近ではそれなりに息子のポケモンも揃ってきて、二人で伝説レイドバトルに挑んだりもできるようになった。この間は、期間限定であの伝説のポケモン「ホウオウ」が一週間だけ降臨する、ってんで駅前でチャレンジしてみたら、20人近くのポケモントレーナーが集まったことも合って、息子も生還できた。が、最後の最後でネットワークエラーになってゲットできなかったんだよね。息子だけ。俺はゲットできてしまった。

そのときの息子のしょげようと言ったらなくて、「また明日やろうな」と慰めようにも、イベント期間は1週間しかないので、次の週末にはもう終わっている。平日は俺も仕事があるので2人で遊ぶことは出来ない。

ホウオウを探し求める孤独な旅が始まった

そこで次の日から、こっそり息子用のスマホを懐に忍ばせて都内を東奔西走して、ホウオウの降臨場所を毎日追いかけた。

イベント最終日。長引いた仕事を終わらせてスマホチェックをすると、会社から歩いて15分位のところで、あと10分で終わるレイドバトルが始まっているではないか。会社ビルの窓ガラスを突き破る勢いで走って、開始前1分で間に合った。しかし参加者は10人で、かなりギリギリの戦い。
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息子の弱々しいポケモンでなんとか死線をくぐり抜け、ゲットチャンスまでたどり着いた! しかしなぜかゲット運が悪く、何回エクセレントスローを当てても出てきてしまう。与えられた10個のボールが残り1個になったところで、来た!

「やったー!ホウオウをゲットした」

思わず「っしゃ!」と天を仰いでガッツポーズしたね。思えば、自分用の伝説レイドで、ここまで本気になったことも、ここまで喜んだこともなかった。

最近どっかで読んだビジネス書だったと思うんだけど、起業した後の仕事の成功についてこんなことが書いてあった気がする。

「最初は自分が成功するため、自分のお金儲けのためにやっていたとしても、真の喜びは人のための仕事をしたときに得られる」

読んだときは「ふーん、そんなもんかね」と思っていたんだけど、ホウオウをゲットした興奮冷めやらぬ帰り道、ふとこのことを思い出して「ああ、こういうことかも!」と思った。いや別にポケモントレーナーは仕事ではないけれども。

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家に帰ってからの息子の喜びようももちろん嬉しかったけど、「息子のためにポケモンゲット活動をしている」行動そのものの充足感と、ゲットできた時の達成感というのは、ちょっと近年感じたことがないようなレベルのものだった。全体的に驚異的で、芸術的。この点において、驚いているよ。


この記事は31分33秒で書きました。

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