天国への階段

 いつものように彼女を散歩に連れ出そうと思って部屋をのぞきこむと、丸くなってすやすや寝ている。
 こんなに近くまで近付いても目がさめない。そう考えると、彼女も随分歳をとったのだな、と改めて実感してしまう。若い頃は、そうとう忍び足で近付いても途中でふっと気づかれてしまったのに。
「おい。散歩いくぞ。」
 そっと腿のあたりに手を触れてみる。反応が無い。

 僕の心臓は一瞬にして凍りついた。

 マロン?
 マロン!?
 2、3回揺さぶると、マロンはようやくぼんやりと頭をもたげた。

 多分、親にとっての子がそうであるように、犬と云うのは僕の目から見るといつまで経っても可愛い子犬なんだ。(特に犬の場合見た目が変わらない)
しかし、こうして改めて「老い」というものをまざまざと認識させられてしまうと、どうしても考えなければならない。
死。
 先刻、僕は一瞬 死んでしまっていると思った。時間にして見れば2、3秒程度の事だったが、僕の脳は『東京大学物語』の村上君よろしく、高速回転で色々な事(現状認識から自己心理分析、走馬灯の想い出から事後処理まで)を考えてしまった。

 考えてみると、彼女はもう15年間生き抜いて来たんだ。いつ何があってもおかしくない。おかしくない、のに。

 誰しも、話に聞く不幸はあくまで「話」として客体的に捉えていて、その時が来るまで自分の身近に降って来るものだとは思ってない。
だけど、死の瞬間は、地球上のあらゆる生命に対して平等に訪れる。

 彼女が今まで僕に与え続けてくれたものは、あまりに大きくあまりに尊い。
それに対して僕は一体どれだけの事をしてやれたんだろうか。

 僕はこれから彼女に何をしてやれるんだろうか。
 そして、僕はその時が来たらどうするんだろうか。 2001年 6月15日(金)
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