個人サイトの必要要素をそろえよう
その昔、僕らにとって個人サイト=テキストサイトだった。
そして、テキストサイトには次のメニューが必須項目として掲げられていた。
- アバウト
- 日記
- リンク
- 過去ログ
- BBS
ところが今では、ほとんどが運営にブログを使っているため、日記を更新するだけでもなりたってしまう。
プロフィールといえば、サイドバーにおざなりに2、3行書いてあるだけ。リンクはアンテナやブログパーツを取り込んだだけ。 (続きを読む…)
その昔、僕らにとって個人サイト=テキストサイトだった。
そして、テキストサイトには次のメニューが必須項目として掲げられていた。
ところが今では、ほとんどが運営にブログを使っているため、日記を更新するだけでもなりたってしまう。
プロフィールといえば、サイドバーにおざなりに2、3行書いてあるだけ。リンクはアンテナやブログパーツを取り込んだだけ。 (続きを読む…)
昨日ご紹介したテキストサイトアーカイブは、テキスト王 – ~A road of the king of the text~の工藤さんによるものでした。『テキスト王』も歴史のある、老舗テキストサイトの一つですね。僕の脳内ポジショニングマップでは、「隣の県の学校で、部活の地区大会の時に見かける強豪選手」くらいの距離感でした。
老舗である、というだけではなく、現在もサイト論などを盛り込んだブログを運営しつつ、Twitter小説企画を実行したりと、意欲的な運営をされていて、見習いたいものです。
最近の文章では、このエントリーは僕にとってタイムリーで、非常に考えさせられる部分がありました。
テキストサイトと言えば、こんなサイトを発見しました。
テキストサイトアーカイブ
Wikiを使って、テキストサイトの関連情報をまとめる。これはなかなか意義深いサイトなんじゃないかと思います。
開設の辞を読んでみましょう。
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今、過去ログのカテゴリー分け作業をやっているんですが、これがまた全然終わらない。
九十九式は、
という歴史を辿ってきたわけですが(期間はうろ覚え)、MovableTypeになるまでは実質上「カテゴリー」機能がなかった、というかそもそも世の中に、「日記をカテゴリー分けする」という概念自体がなかったのです。
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僕は総武線快速、山手線、と都内でも有数のラッシュ電車にのって通勤しています。階段近くの乗り口とか、毎日かなり大変なことになっています。おいおい、これ本当に乗れるのか、というような人がホームに待っていて、すでに満員状態の電車にぐいぐいと乗り込み、なんとか押し込まれて扉が閉まる。「満員電車は憲法違反」という主張もうなずける光景です。だって基本的に人として、四方八方を赤の他人に密着させて無言で立ってる状況っておかしいですよ。人を輸送するってレベルじゃねぇぞ!?
さて、今回の主題は満員電車をどうするか、ではなく、アウトプットに関する話題です。
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去る1月30日に、『祝!九十九式9周年 祭りだワッショイ新年会!ウキウキ♪ヤッター♪ホッホホーイ♪』が開催されました。
今回の参加者の方々は皆さんWeb日記界の10年選手。いずれ劣らぬ個性的な書き手が集まりました。
宮本(九十九式)
徳保さん(趣味のWebデザイン)
TKさん(モー神通信、えだは)
ifさん(if→itself)
ちょうど事前に徳保さんが書いた文章のように、「日記同人」が集まった格好になりました。
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九十九式においては、常に「自由」を合い言葉に掲げてきました。書くのも読むのも自由。更新頻度も自由。テーマも自由。とにかく自由。何でも自由。しかし、だからといって自由にのびのび日記が書けていたかと言えば、必ずしもそうではなかった気がします。自由を強調するあまり、それが自縄自縛となって何をして良いか分からなくなってしまう。人は本当の自由の中では生きられません。
強いて言えば、「毎日更新する」というのが縛りではあったかも知れない。しかしそれは行動上の規定であって、内容までは規定されない。しかし実は規定すべきは更新頻度ではなくて、内容であったか、と言うことに最近ようやく本当に気づきました。
例えばゲームの世界で、よく「自由度が高い」というのが褒め言葉として使われていますが、あれも本当に自由なわけではない。あくまでもゲームのルール上の制約があって、そのなかでプレイの許される幅が大きいからこそ、自由感を楽しむことができるわけです。右も左もなく、ルールもなかったら、それはゲームとして成立しません。
サイト運営も、これと同じことが言える。「このサイトでは何を書いても良い」と言われたら、逆に書きづらくなります。例えば就職面接でも、「では自由に自己PRをしてください」と言われるよりも、「これまでで一番うまくいった仕事について教えてください」とか聞かれた方が応えやすいですよね。
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さて先月、5周年&300万ヒットを達成した九十九式なわけですが、ネット上を見渡してみるとこのくらいの数字は普通なんですよね。
最古の日記ランキング、『津田日記リンクス』なんて10年前からあるわけだし、1ヶ月で300万ヒットを達成するサイトもないわけじゃない。
かと言って、別に九十九式の足跡を否定するわけでも卑下するわけでもなくて、これはこれで誰にでも作れるサイトではなかっただろうと思うのですが、まぁ、人生を考えざるを得ない。
日記サイトごときで人生を考える、というのが大げさだとしたら、日記を考えざるを得ない。日記について、もっと考えなくてはならない。端的に言えば、日記は自分に資するところがあるのか。何のために日記を書くのか。日記と俺達はいつだって2人でひとつだった。日記界隈じゃ負け知らず。そうだろう?
しばらくその辺について個人的に考えてみます。—–
「文章がうまく書けるようになりたい」というのは、多くの人に共通する願いではないだろうか。昨今のテキストサイトの隆盛やブログブームなどで、その時代的要請はますます強まっている。かくいう僕も、サイト運営の目的は文章力向上なのだが、これはなかなか強まらない。
さて、サイトを開設した多くの人がまず題材とするのは、日常系日記、いわゆる日常エッセイなのではないだろうか。しかしひとくちに日常エッセイと言っても、人に読ませる文章にするためには、ただ漫然と1日の行動を記せば良いというものではない。気を配らなければいけない点は沢山ある。中でも抑えておきたいポイントは、次に挙げる5点だ。
まず、情景が解りやすく描写されているかどうか。
日常とは自分の中であまりに当たり前の光景のため、つい省略してしまいがちだが、読み手を自分の文章に引き込むためにまず一番大事なのはここである。「いつもの店に行って、昨日と同じものを頼んだ」では読み手に何も伝わらない。しかし、意外とこうやって書いている人は多い。買い物に行ったのなら店の内装、人が出てくるならその服装、特徴、表情など、場面と登場人物を描写するだけで、文章の表情がいきいきとしてくる。
次に日常の中のトラブルを描くこと。
例えば、道を歩いていて火事を見かけたら? ケンカが起こったら? 大抵の人は足を止めてみてしまうことだろう。自分以外の身に起こるトラブルは好奇心をそそられる。人間誰しも野次馬なのだ。日常日記でも、日常の中に何らかの事件が発生すれば、面白い読み物になる可能性が高い。別に殺人事件や強盗事件が発生しなくても良い。恋人とのケンカでも、うっかり落し物でも、何か普段と違う出来事があれば良いのだ。
トラブルでなく普通のイベントでもいいが、人間には野次馬根性があるので、トラブルの方が注意を引くことができる。
そして会話文を効果的に使う。
地の文がずっと続くと、改行も減るし文章が重たくなる。適度に会話文を取り入れたり、説明を会話で代用したりするのは、文章のリズム感を良くするのに効果的だ。かといって全部を会話文にすると、妄想日記文体になってしまうので、やりすぎには注意したい。
しっかりと自己言及をすること。
情景描写がしっかりしていて、意外なトラブルが発生したとしても、ただそれを記述するだけでは新聞記事になってしまう。エッセイで大事なのは話者の視点だ。「この事件に際して自分はこう思った」といった自分なりの考察から、「彼の立派な行為に比べて自分はどうだ」といった反省まで。この手法を突き詰めたものが“自虐”である。
最後に、意外な展開を用意すること。
題材が日常的であるからこそ、展開や結末まで日常そのままでは、まったくつまらないチラシの裏日記になってしまう。
例えば、「デザートにケーキを頼んだ。きれいなケーキが出てきた。おいしかった」(普通・普通・普通)では普通すぎる。「ケーキを頼んだ。きれいなケーキだった。でもまずかった」(普通・普通・異常)や、「ケーキを頼んだ。刺身が出てきた」(普・異)など、崩しの展開が用意されていることが望ましい(ギャグでなくとも良い)。構成上、これがオチとして機能することも多い。
出来事でなく、意外な考え方を提示するのもとても有効な手だ。「年金は払わないといけないと思いました。」「事件の一日でも早い解決を祈っています」などの、よいこちゃん意見が許されるのは小学生の作文までである。やりすぎて偽悪的にならない程度に、自分の中の悪のスパイス、天邪鬼な部分を効かせてみよう。
さて、以上にあげたようなポイントを正しく抑えた高ポイントのエッセイを発見したので、模範作品として紹介させていただきたい。
らくだのひとりごと: 席を譲らなかった若者
電車の中の風景、立っている老人と座っている若者の対比など、情景描写が生きている。そして老人の聞こえよがしの暴言と、若者の暴論。適度な緊張感と、意外な展開、考えさせられる結末など、とてもよく出来た作品である。
(というかこれを読んでからこっちを書いたので、順序としては逆だったりもします。)
サイト批評サイトには、次の2つのパターンがある。
・募集型サイト
・選別型サイト
募集型は話題になったり人気を呼んだりすると、次第に量をさばききれなくなってしまう。また、応募してくるサイトはその半分以上は自信のないダメサイトか、売名目的のゴミサイトなので、批評が辛口になりすぎたり、阿呆らしくなって止めてしまったりする。
選別型は、批評者がサイトを選ぶため、一定以上の質が保たれるが、批評サイトのネタが尽きたり、飽きられたりする可能性が高い。
また、運営人数による分類も有効である。
A.批評人型運営
B.相互扶助型運営
C.複数型運営
Aは、個人が運営する批評サイトである。批評者個人の才覚によるところが大きく、募集型サイトだと量をさばききれず、選別型サイトだとネタが尽きて潰れてしまうことが多い。かつての『ヘイブル』や『WE』などがそれである。運営者のキャラクターが出るので、印象にも残りやすい。『趣味のWebデザイン』は潰れずにアドバイスを続けている稀有な例だ。
Bは、批評者が被批評者を兼ねる、会員型サービスの一形態。サイトを批評してもらいたい人は、他の人のサイトを批評してあげてね、ということだ。今だと徳保さんイチ推しの「HP評価コム」がそれである。ただこの場合、批評の量はある程度確保できる代わりに、批評者の質が一定しないのが難点だろう。
Cは、数人のレビュアーが、それぞれサイトを探してきたり、一つのサイトをクロスレビューしたりするタイプである。個人の負担は分散されるし、批評者のレベルは最初から想定できる。一見、もっとも安定した運営が出来そうに見える。しかし、見返りの発生する媒体ならばまだしも、複数運営だと、更新、批評意欲に差が出てくる。平たく言うと、怠けるメンバーが出てくる。運営方針で意見が食い違うこともある。というわけで、『テキ通』のようにあっさり潰れたりする。
『blog-gold』というサイトを見つけた。複数のライターが、それぞれ発掘してきたサイトを紹介する形式だ。サイト批評というより、「面白いHPを見つけたよ」的方向性か。評価、批評が発生しない分、内容がヌルくはなるが、余計な軋轢も生じない分、長く続くかもしれない。ブログというツールをうまく使った好例でもある。
なんか九十九式を褒めてくれてたので好意的に紹介しました。魚心あれば誤字もご愛嬌でござる。