カンガルー日和
15年ぶりに行った動物園には、動物がたくさんいた。
陽射しも穏やかな昼下がり、僕は入り口の近くの鳥コーナーから「ほほぅ、これがキジか。」とおもむろに頷きながら、ゆっくり見て回った。
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僕が最後に行った動物園の記憶といえば、コンクリートの打ちっぱなし、臭くて狭いオリに動物たちが閉じ込められている、というものだった。
しかし最近では、空間的な広さや植生などを、その動物の生息環境に近付ける努力をしているようである。
例えば虎やゴリラのそれは、森が再現されており、鉄格子の代わりに透明な壁で囲まれていた。(おそらく、衝撃に強いポリカーボネート製)
しかし、ぞうはオリの中にいた。狭くて臭かった。
僕は、昔と変わらぬその臭さに昔を思い出し、なんだか少し懐かしい気持ちになった。
あるぞうは、後肢に太い鎖を付けられていた。
その姿はなぜか「シベリア虜囚」を思い起こさせ、その連想は僕を少し暗い気分にした。
僕は、その僕と同い年のぞうが、サバンナの夕陽を背景にして悠然と歩いている姿を想像してみた。
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ぞうをまだ小さい内から鎖でつないでおくと、その鎖を余裕でひきちぎれるくらいにまで成長しても、逃げ出さないという。
幼い頃にさんざん「この鎖は、どんなに頑張ってもちぎれない」という観念を固定付けられてしまっているから、決して挑戦しないのだ。
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何かをやる前から「どうせできないよ」と笑って流すのは実にたやすいし、失敗もしないから恥はかかない。利口なやり方だ。
だけど、ひょっとしたら「それ」は簡単にできることかもしれない。「それ」を不可能にしているのは、自分の実力不足ではなく、「ぞうの鎖」なのかもしれない。
なぁんて…。
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みんなの人気者・パンダはメキシコ出張中のため不在だった。「繁殖」すら義務というのもナンギな話である。
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