【九十九式映画評】ランボー2 怒りの脱出

2020年11月22日 日曜日

最近、また移動中にタブレットで動画を観てるんだけど、どこかに多少なりとも感想でも書き留めておかないと、何も残らずただの暇潰しで終わってしまうので、ここに書くことにする。インプットとアウトプットのバランスを取るというか。こういうのって普通はAmazonレビューなりYahoo映画レビューなりに投稿したりするのかも知れないが、俺は普通じゃないのでここに書く。

前作の(多分)一年後。採掘場で囚人労働に従事していたランボーが、トラウトマン大佐に召し出されて再びベトナムに潜入し、北ベトナム兵やソ連兵相手にドンパチの大立ち回りを繰り広げる、という話。

赤い敵共をなぎ倒せ!

前作が興行的に失敗した訳ではない(続編が作られるくらいだから成功したのだろう)が、行き場を失ったベトナム帰還兵のアメリカ人が、自らを排斥する同国人に対して、復讐の牙を向く、という筋立てがややもすると陰鬱なところがあるので、今作はその反省として娯楽要素を強めたものと思われる。敵は同じアメリカ人ではなく、心おきなくやれるアジア人やにっくき露助などにしておいて、のっけからバッタバッタカマキリと殺りまくり。

途中、取って付けたような短いロマンス(そしてお約束の悲劇)や、やはりお約束の「黒幕が実は…」的な展開もあるが、とにかく終始アクションの連続で、飽きさせない。全盛期のスタローンの鍛え上げられた肉体は、熱帯のジャングルで常に半裸で汗ばんでテカテカと光っていて、眼光は常にギラギラと光っている。

当時はVFX技術などないので、アクションは常に体当たりだ。ランボーがダガーやボウで敵を射るシーンでは、常に画面の切り替えで「ううっ!」と刺さっていることにする演出だ。あれ、でも最近ではそういうシーンってどういう演出になってるっけ。爆発はかなり派手に火薬を使用していて、クライマックスではベトナムの地形が変わっちゃうんじゃないかな?と心配になった。

80年代の社会情勢とアメリカの負った深いトラウマ

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個人的には、雑魚モブキャラとして大量に殺られるベトナム人や、蛇蝎の如く描かれているソ連人らはこれを見てどう思うだろう、とかそれぞれの国でちゃんと封切られたのだろうか、とかちょっと心配になったけど、日本人が『ドラゴン怒りの鉄拳』を見るような感じか、と考えると理解できた気になれた。

でもやっぱり最終的に一番のクソ野郎は同国アメリカ人だったりするわけで、敗戦、撤兵から10年経っても、ベトナム戦争のトラウマというのはアメリカ人の心理と社会に大きな影を落としていたのだなぁ、とつくづく思う。

まあそんな細かい事は考えずに、ランボーのテカテカと光る肉体の躍動と、ジャングルの中での戦闘術、ランボーに対するトラウトマン大佐の信頼と愛情とを堪能するだけで楽しめる映画だ。でも前作の方が好きかな。

評価:★★★★☆

映画で英会話勉強のコーナー

「I am expendables(俺は消耗品だ)」 途中の短いラブロマンスシーンのあたりで、ランボーが「I am expendables(俺は消耗品だ)」と吐き捨てるシーンがある。ああ、これがあって、例の『エクスペンダブルズ』があるわけですね。それなりに印象、味わい深いシーンではあるけれど、25年後にこれがメインタイトルの映画ができるなんて当時のスタローンが知ったらびっくりするだろうな。


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