2002年4月某日 ぼくとわたしのリンク論

2003年2月1日 土曜日

●リンクの定義、テキスト系におけるリンクの特色

 あらゆるインターネットサイトを語る上で、避けては通れないのがリンクの問題である。
 サイトは、ただサイトとしてそこに存在するだけでは、南海の孤島か辺境の一軒家も同然。そこでWEB上に存在するサイト群は、リンクによって相互に繋がり、結果としてコミュニティを形成している。
 ここまでは一般的、どんなウェブサイトにも共通する話。しかし、ことテキストサイトに話を限ると、そこには一風変わった独特の文化が存在する。
 紙媒体でもWEB媒体でも、「HPの作り方」というようなものを見れば、そこには必ず「同じ趣味のHPと相互リンクをしよう!」と書いてあるし、実際それを実行する人も多いだろう。
 しかし、テキストサイト界隈では「相互リンク」は元来タブーに近いものだった。相互リンク依頼メールなど言語道断、掲示板への宣伝書きこみは削除される場合すらあった。これは、不文律とも言うべき特殊なルールだ。
 リンクは、あくまで「結果」として相互リンク状態になるもので、張られたリンクに対して張り返すかどうかはそれぞれの管理人の判断にまかされていた。これが伝統的なテキストサイトのリンク観である。どこかに明文化されているわけでもないし、教えてくれる人がいるわけでもない。しかしほとんどの人がこの「暗黙の了解」を一応は理解していたし、またそれが文化というものであろう。そして1年前まではこの文化はかたくなに守られていたのだ。1年前までは。
 前章の「侍魂現象」以降、その伝統的なリンク文化は崩壊を見せ始めている。急激な人工増加は、右も左もわからぬ管理人を増やしたし、彼らは普通のHP感覚しか持ち合わせていなかった。また、そんな新興サイト達が、メガヒットサイトにリンクを張られることによって一夜にして「大手サイト」になってしまうという「掘り出し現象」も混乱に拍車をかけた。

 しかし、伝統は死に絶えはしなかった。保守的テキストサイトにとって、混乱はあくまで対岸の火事だったのだ。
 人口爆発に伴って増えた、大量の新興サイト群は、『侍魂』あるいは『ろじっくぱらだいす』を頂点とするリンクピラミッドの中に完全に収まり、保守層との交流はほとんど見られなかったからだ。

●国境で区切られた文化圏。

お互いその存在を認識しながらも、保守サイトは新興サイトの勢いとアクセス数に嫉妬しながらも見下し、新興サイトは保守サイトに対してアクセス数の優越感を持つとともに、歴史の深みに怖れを抱いた。
この関係は、例えるならばヨーロッパとアメリカの関係に似ている。
新興国アメリカの勢いは世界を席巻したが、ヨーロッパの伝統はこれを堅持している。お互いの優越感と劣等感がないまぜになった反目具合もそっくりではないだろうか。
そこには厳然たる国境、目に見えないボーダーラインがあって、互いの交流は断たれている。時としてその壁を越えようとする動きがあると、言語を共有していない難民の流入によって、思わぬトラブルが起こったりもする。
あるいは、最近の「中国脅威論」でいうと、日本と中国の関係に似ているとも言える。一時は世界を制した日本の経済力も、今や中国の勢いと潜在能力に凌駕されつつある。げに恐ろしきは、中華ロボットの破壊力か。

●ボーダーライン上のリンク
 メガヒットサイトが保守サイトにリンクをしたところ、「○○から来ました!面白いです!」「○○から来ました?。痛くて最高です!」といった書きこみに掲示板が埋め尽くされ、ついには掲示板が放置、撤去されるという事件がいくつかあった。
 私はこれを「リンク公害」と呼んだ。人口爆発には、テキストサイト界の活性化という正の側面だけでなく、難民問題という負の側面も大きかったのだ。
 こういった摩擦は、新興サイトから保守サイトへのリンクを一層しづらいものにして、両者の相互不干渉の姿勢はますます高まり、ジェリコの壁はますます厚くなった。

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●EUへの道はまだ遠い

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 と、最終段落が投げっぱなしになったままこの文章は終わっています。EUのようなボーダレス社会の建設は難しい、というまとめを考えていたのだと思います。
 お察しの通り、これは昨年の4月に「テキストサイト大全用に書いた文章です。
 途中経過として編集人のKぼうちさんにこれを見せたら、「何言ってるかわからん。アメリカ言われてもねえ。」とボツにされ、全書きなおしを食らった為に未完に終わっている苦い文章です。「もっとこう、さむらいしか読まないOLさんにもわかるようにかいて!」と。
 あらためて読み返して見ると、確かに何言ってるかわかりません。この手の文章の賞味期間はもともと短いですが、当時のテキストサイト界における言論状況よりも、むしろ僕の精神状態を顕著に反映した文章だなぁ、と思いました。こりゃボツだわな。「ジェリコの壁」とか言っちゃうあたりが、おれたちエヴァンゲリオン世代です。恥ずかしい。

ここで、僕がふだん決して使わない「論」という表現をあえて用いたのは、その方が「わかりやすい」と思ったからです。


その結果書きなおしたオリジナルはこちら
たのしいリンク論


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