僕のプチ被災日記

2011年3月20日 日曜日

このたびの、東日本大地震により被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。
皆様の安全と、被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

さて、あの地震から一週間が経ちました。僕もブログで、公的な見解なり、私的な想いなり、何かしら書こうと思いました。

「被災」してみると…

しかし、なかなかうまく記事が書けないんです。
実は、僕の住んでいる地域にも若干の被害が出ていまして、未だに水、ガスなどのライフラインが復旧せず、日常生活レベルではそれなりの支障をきたしています。(入浴、洗濯不能、調理不能、火災防止のため灯油も使用不可、等)

まぁ被害と言っても、岩手、宮城、福島や長野のような、深刻な大被害に比べれば大したことないんですが、いざ自分の身に影響や不安があると、日本全体の問題や、被災地の状況に思いを馳せることができない。
テレビを見るとしても、東北の被災地の悲惨な状況や原発の状況よりも、ローカル局で流れる、地元エリアの復旧予定や給水のスケジュールの方を見てしまう。
ネットを見れば、被害のなかった地域の人たちが被災地の様子をテレビで見て語り合い、被災地へのボランティアや、寄付について話している。一方僕は、倒壊した自分の家周りや家具を直すためには一体どのくらいかかるのだろう、と途方に暮れている。
そもそも、家周りの復旧作業をしなければいけないので、テレビを見ている時間もネットをやる時間もあまりないのでした。

考える余裕が必要

この1週間で自分の小ささを実感しました。普段偉そうに天下国家を論じていても、いざ自分の身に何かがあるとそれで手一杯になってしまうのだなぁ、と。

国会に、裕福に育った二世議員が多いのも頷けます。衣食足りて礼節を知る、と言いますが、自分の身の回りでや金銭で困っていない人間でないと、天下国家を本気で考えることは難しいのかもしれません。国会議員なんて、落選したら無職無収入ですし。

そういうわけで、この一週間はもっぱら情報のインプットに勤しんでいたわけですが、ようやくこうして語られる言葉が浮かんで来ました。と言っても別に我が街の被害状況が改善したわけでは全くないので、精神的キャパシティが若干増えたのかもしれません。(単に状況に慣れただけ、とも考えられますが。)

広告


この記事の評価は:

うーん…いまいち…ふつうですかなり良い素晴らしい (4 投票, 平均値/最大値: 5.00 / 5)
読み込み中...

コメントをどうぞ

コメント
Follow me on Twitter