日本の生きる道は『活人剣』

2011年7月28日 木曜日

剣術の世界に、「活人剣」という言葉がある。

居合道などで、たまに年配の修業者が
「居合は人を活かす道。適度な運動でいつまでも健康で健全に…」
などと言っているのを見聞きすることもあるが、まぁ、戯れ言の類と思って聞き流して良いだろう。

つい先日も、居合道場で同門の兄弟子が「活人剣とか言ってるけどさ、とどめまで指したら完全に死んでいるよね」などと話していた。(居合の技は、「抜き付け」「切る」「残心・とどめ」「納刀」で一セット)
彼らの場合は、「相手を殺さず、生かして勝つから活人剣」、という理解なのだろう。
もちろん最終的にはその境地を目指すべきだろう。しかし、“戦わずして勝つ”、“相手を生かして勝つ“という理想は、それは純粋に技を磨き上げて、敵の10倍、20倍の技量がなくては到達できない境地である。精神論だけでどうにかなる問題でもない。

殺人刀と活人剣

「活人剣」というこの言葉の本来の意味は、そういうものではなかったようだ。

江戸時代初期、柳生宗矩が『兵法家伝書』において、次のように禅とは異なる意味で使用した。

「一人の悪に依りて、萬人苦しむ事あり。しかるに、一人の悪をころして萬人をいかす、是等誠に、人をころす刀は人をいかすつるぎなるべきにや」、「人をころす刀、却而人をいかすつるぎ也とは、夫れ亂れたる世には、故なき者多く死する也。亂れたる世を治めむ爲に、殺人刀を用ゐて、已に治まる時は、殺人刀即ち活人劔ならずや。こゝを以て名付くる所也」

剣術 – Wikipedia

つまり、大勢の人を苦しめる悪人がいたとして、その悪人一人を殺すことによって多くの人が救われる、活かされるとしたら、それは活人剣と呼ぶべきものである、とこういう意味だったのだ。
(柳生新影流には、相手を先に動かして後の先をとることを活人剣、自分から仕掛ける剣を殺人刀と言ったらしい)

戦後の、GHQによる武道の弾圧の影響が残っているのかも知れないが、そもそも廃刀令から135年も経った今の時代に、わざわざ日本刀を帯びて、人を斬る技を修練するなんていう酔狂をして、「生涯スポーツでいきいき健康に」なんていう文脈で説明しようとするのが間違いなのだ。
これは、元々剣術自体が、江戸中期や明治初期など、平和な時代になるにしたがって「道」という精神性を重視せざるを得なくなったことに加えて、戦後日本社会全体が患っている、暴力アレルギー的な平和主義が影響しているような気がする。
軍隊的なものを自衛隊と言い換えて、日本に核ミサイルの照準を合わせている軍事派遣国家に対して「日中友好」とか媚びへつらったりするような去勢主義だ。

「戦わずして勝つ」ためには

“戦わずして勝つ“という文脈での活人剣は、孫子の兵法にある『戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり』の転用だろう。それもやはり、卓越した技量、相手の脅威になっておつりが来るくらいの軍備があって始めて可能になる道である。

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16世紀の頃、武力を持ってアステカ文明を根絶やしにし、世界各地に植民地を作っていたスペインは、日本にも目を付けた。
視察のために送り込まれた宣教師達は、日本には武士という職業的戦闘専門集団がいて、鉄砲が10万丁も普及しているという事実に驚き、「日本占領は諦めた方がいい」と本国に報告している。

近隣のならず者国家に、領土を少しずつ奪い取られ、核ミサイルの照準を合わせて脅され、自国民の拉致までされてなお、「友好が大事だからODAで援助する」と愛想笑いを浮かべる日本。いったいいつから日本はこんな去勢された情けない国家になってしまったのか。
日本人は今こそ、占領基本法の無効を確認し、サムライが国を守る国家に立ち返るべきだろう。

日本人の勇猛さには疑問の余地が無い。
自ら軍事国家と呼んでいるくらいで、幼少の頃から戦争道具を生きる道に選び、 刀と弓、この国固有の二つの武器の使用法を教えられる

日本刀を完璧に扱える日本人は、刀を抜いたその動作から一気に斬りつけ、相手がその動きを一瞬の間に気づいて避けない限り、敵の頭を二つに両断することができると言われている。
当然のことながらこの武器は極度に危険な物と見なされ、刀を抜きそうな素振りを見せた時にはその場で直ちにそのサムライを殺しても正当防衛と認められる。
一瞬でもためらえば、自分の方が犠牲になるのは明白だからである
「日本素描」 エドゥアルド・スエンソン

日本史における嘘⑤(会津粘着病患者お断り)


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