記録的豪雨

2002年10月16日 水曜日

 関東地方の夜は、尋常ならざる雷雨にみまわれました。
 今回もやりそびれた。
 いつか、暴風雨の最中に裸(ら)で外に踊り出て、全身に雨風を浴びてみる、というのを実行してみたいと思ってるのですが。
 次こそ。次こそは。(でもそろそろ寒くなってきたなあ)

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 日本のプロ野球における本塁打記録の更新はなりませんでした。
 56号が不発に終わった西武のカブレラさんは、記録を意識し始めた頃から調子を崩したという。
 この話は、「手段の目的化」から来る弊害を示す教訓として受けとめる事ができる。
 
 あくまで、彼の仕事(=目的)は「打撃でチームの勝利に貢献する事」であり、まぁそれが「ホームランを打つ事」であっても構わないが、「ホームラン記録を樹立する事」であってはならないはずだ。
 しかし、ある手段を長く続けていれば続けているほど、目的が遠ければ遠いほど、視野は狭まり嗅覚は鈍化し、そこに至る手段だったものが目的にすりかわる。これって、多かれ少なかれ、誰しも経験している事なんじゃないだろうか。

 例えば、DQIIIで、ゾーマを倒す事が目的だったはずが、その前に魔法を使える武闘家や全魔法を使える戦士を育てるのが楽しくなって、最強のパーティーを作るのが目的になってしまったり。(Lv93になってから始めて邂逅したゾーマは、弱かった。)
 あるいは、どこかのサイト者のように、「書きたい事があるから、アクセス維持・向上の為、文章修行の為」といった理由から毎日更新していたところ、その記録自体が目的にすりかわっていたり。(ホムーランと違ってこの記録は誰も誉めないし注目もされない。(ろじぱらの記録は何日だろう。どうせなら最長記録を打ち立ててから…)
 かつは、美味しいカクテルを作って人に喜んでもらう、おいしいと言ってもらう事が目的だったはずが、カクテルの調合そのものへの追求に傾いてしまったり、客単価をあげることを目的にしてしまったり。
 …いや、どうだろう。どれもそれはそれで大事なような目標のような…。と、ことほど左様に、手段と目的の独立性を意識しつづけるのは難しい。
 小泉内閣も、景気回復の為に改革をしたいのか、改革自体が目的なのか、財政だか金融だか景気だか、とにかく目的も手段もごちゃごちゃになってよくわからない。
 北朝鮮問題だって、拉致問題解決が目的なのか、国交樹立はその手段なのか。あるいはその逆なのか。

 まあ実際は目的と手段なんてそんな二元論で峻別しきれるものでもなくて。例えば仕事をするにあたってやりがいも欲しいけど金も欲しいし、休暇は欲しいけど暇過ぎると倦むし、結構混ざり合ってるんだけどね

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 あとは、目的の為に手段は選ばなくてもいいけど、手段によって目的を選択したりしないようにも気を付けたい。
(ラムコークが飲みたい→コーラを開けよう)
(コーラが開いてる→ラムコークを飲もう)

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