交流分析

2002年11月21日 木曜日

 E・バーンは、ものの見方や考え方、価値観が似ているほど、相手に魅力を感じるという説を唱え実験した。
 当然、何か言うたびに衝突したり、自分の話に相手が無関心だったりでは交流は生まれない。お互いが共有できるもの、共感できる部分が多ければ多いほどその人間関係は深まるのである。会話も弾むし、自分の発言に相手が共感してくれれば、精神的な快感を得られる。
 この効果を最も手早く得る方法は、悪口である。相手の嫌っている対象を自分も嫌って見せることによって連帯感が生まれ、秘密の共有は即席の結束を生む。
 攻撃の対象は、お隣りの奥さんでもいいし、グループ内の勘違い野郎でもいいし、ジャイアンツでもテロリストでもいい。
 ただ、こうして深化した交流は常に対象を求める。(アメリカ連合が常に攻撃対象を求めるように)
 また「自分も相手にどこかで悪し様に言われているのではないか」という疑念から完全に逃れる事は難しい。

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 ある少数の女性サイト管理者が、内輪のコミュニケーションの為に使っていた「裏掲示板」が人目に晒された。そこで語られていたのは、遠い人間の悪口と近い人間の雑言であった。
 大多数の方のために、あえてちょっと乱暴に例えて見ると、女子中学生のグループが、クラス内の他グループの噂話や悪口を交換日記ノートに書き綴って盛りあがっていたら、そのノートが学校の掲示板に全ページ晒されてしまったような形だ。
 こういった噂話はどこでも起こり得る。全国のトイレや給湯室やマクドナルドやメッセンジャーで語られていることと思う。ただ、今回はそれがログとして残ってしまい、さらに大勢の目に晒されたから表面化した。
 インターネットは、人間の悪意を容易く、純粋に表面化させるツールだ。言論自由の砦、私的生活の大砲。

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 一番「こわい」のは、参加者に悪意の自覚や罪の認識があまりに希薄な事。彼らがやっていたのは、人をナナメに見たり弄ったり晒したりする行為、いわゆるウォッチ。
 ウォッチは「ネガティブアクセス」という言葉にも象徴されるように、悪意である。2ちゃんなどでは、ただ面白がってやっている人も多いだろうが、それが他者を見下して充足感を得る悪意であることを自覚して遊んでいる人もいるだろう。
 しかし、閉鎖文を見る限り、彼らに悪意の自覚はない。秘密がバレてしまった結果よりも、秘密の内容が酷かったのが問題なのに。
 無自覚な悪意の構図は人種差別や階級差別にも似ている。人は自分より下の人間を規定する事や、上の人間が失墜する(相対的に自分より下に落ちたと感じる)のを見ることによって安心する。
しかもここでは、そのウォッチの対象が身近な人間や、同じく連帯交流を試みる人間にも向けられていたのだ。2ちゃんでのウォッチや叩きと違って、顔の見える悪意。黒く結晶化した無自覚な悪意、そこがグロテスクだ。
 でもこれをサイト上でやっていたらアクセス的には軽く大手になれてたかもしれない。

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 女性同士の会話から他人の噂話を抜き取ったら、半分も残らないのではないだろうか。そりゃ男もすなるものだけど。


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