オリンピック柔道選手がだらしない

2004年8月24日 火曜日

 特にここで触れてはいませんが、オリンピックは結構見ているんです。特に注目しているのは柔道と体操(ゆか)。前者は純粋に一対一の勝負で決着がつくところや武道なところが面白く、後者は単純に人間の身体が持つ能力の極限、運動のダイナミズムのようなものが感じられるところが面白い。

 しかし一点気になるのは、柔道の試合中の道着。(特に外人選手)帯から完全にはみだして、上着がだらーんとしてるのに少しも直す気配が無い。審判も放置している。おそらくルールで明文化されていないんだろうけど、あれじゃあ投げづらいんじゃないだろうか。はみだしたモン勝ちになる。柴田恭平になる。

 勿論、見た目にもだらしない。柔道もまたスポーツである以前に武道であるからして、畳の上ではすべからく佇まいを美しくすべきではないかと思うのだが。そこへいくと、日本人選手はこまめに直しているのでそこまで見苦しくはだけることはあまりない。外国人選手にとってドウギはあくまでもユニフォームだが、日本人には“道”を体現する道着なのだ。

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 柔道は海外に輸出されたが、その精神まではなかなか伝わっていないのか。だが逆に、そこが日本柔道が“お家芸”たるゆえんなのかもしれない。競技人口ならフランスが、体格ならオランダが勝っているのに、結果として日本柔道の優位は揺るがない。ユニフォームを着て、テクニックでポイントを重ねて勝とうとする外人に、一本勝負の柔道家は負けない。心技体、全てが備わったものしか栄冠はつかめないのだ。(どんな競技でもそうだけどね)

 それにしても道着。昔からああだったろうか? 武道を修める身としては、どうしても気になる。のだが、最近始めた身なので、まだひとりで帯をしめたり袴を着たりできません……。(3ヶ月目)ひとりでできないもん……。

 ちなみに僕が始めたのは“神道夢想流”という流派で、バガボンドに出てくる夢想権之助が開祖という古流武道です。内容は剣術と杖術と鎖鎌です。400年前から連綿と受け継がれているところが実にファンタジーです。


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