空襲と原爆の評価@九十九式系

2005年3月15日 火曜日

 先週3月10日は、東京大空襲記念日だった。60年前のこの日、一夜にして東京は灰燼と化し、無辜の市民が10万人虐殺された。そんな記念日を目前にした3月9日に、かのブッシュ大統領は「プリオン肉買えー買えー」と小泉に電話をかけてきたそうな。

 さて九十九式では、“東京大虐殺”という呼称を使った。これはまぁ言葉遊びだったんだけど、割と昔からある表現で、しかも今年になって使う人が増えていたらしい。ARTIFACT@ハテナ系で取り上げられていた。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050313#tokyogenocide

 しかしそこでは、東京大虐殺の呼称問題としてリンクがなされていながら、話題は呼称ではなく、米軍の大量虐殺作戦の是非について語られていた。これがちょっと随分アレなので、少々思うところを。

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 ARTIFACT@加能瀬氏は、空襲や原爆について

「一つの戦闘として見れば、人道的に許されない軍事作戦なのだが、歴史の大きな流れでみて、それによって救われた人たちも多いのだろうと考え始めると、空襲や原爆の評価が難しくなる。」

 としている。……評価?
 実際に本土上陸作戦が実行されたとして、双方にどのくらいの犠牲が出たかは分からない。しかしここで一つ明確にしておきたいのは、「東京を焼き払い、核攻撃をしたほうが少ない犠牲で戦争を終えられた」というのは、それを証明する方法がない上に、あくまでもアメリカの論理であるということ。しかもここでの比較は米兵の犠牲の数の多寡であって、日本側の犠牲者数ではない。当たり前だ。いくら上陸作戦が決行されたからといって、民間人が50万人も死ぬものか。(そもそも軍人と民間人の犠牲は別問題。)

 「歴史の大きな流れ」を見て、原爆や空襲を「評価」できるのは、神の視座か、あくまで無関係な第三国人にできることであって、我々当事者の態度ではない。それは別に冷静さを欠いた思考というわけではなく、“戦争の悲惨さ”“アングロサクソンの野蛮さ”を後世に語り継がねばならない日本人としての責任ある態度の問題だ。それを氏は、アメリカ兵が死なないためには、日本人が数十万人虫けらのように焼き払われてもいい、と言っているのである。

また結論として

「アメリカが人道的に許されない軍事作戦を実行したことは当然批判すべきなんだけど、当時の日本もまた、そんな圧倒的な軍事力の差を見せられても、まだ戦争を止めようとしなかった。そういう判断のできない国だったんだから。」

 とあるが、戦争を止めなかったからどうだというのか。これは結局、「なぜ圧倒的物量差があるのに戦争をしたのか」という開戦責任に話が戻ってしまっているだけで、東京大虐殺および原爆投下の口実にはならない。それに「圧倒的な軍事力の差」が東京大空襲や原爆だとすると、順番もおかしい。
「アメリカが人道的に許されない軍事作戦を実行したこと」は単純に「批判すべき」ことであり、いかなるエクスキューズをもってしても相対化されうる性質の問題ではない。日本が戦闘を継続したから市民を大量虐殺した。何だそりゃ。これもまた結局、「日本が戦争を起こしたから悪い」の派生形でしかない。こういう意見を自然に抱いてしまう加能瀬氏もまた、アメリカの占領政策と戦後教育の犠牲者と言えよう。—–


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うーん…いまいち…ふつうですかなり良い素晴らしい (まだ評価されていません)
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コメント / トラックバック 8 件

  1. 匿名 Says:

    連中はまず結論ありきなのでそもそもの視点が違うのではないでしょうか?
    結論→(結論を無理やり導くための考察)→理由
    であって、通常の
    事象→考察→結論
    と全然違うので話にならないのもしょうがないんじゃないかと。

    上のAnonymous氏も正当化するために、交渉できなけりゃ何してもいいという結論に至っているようですし。

    交渉できなければ何をすればいいのか?
    戦争状態なのだから戦闘員同士での戦いを続けるしかないでしょう。
    自国の兵士の犠牲を少しでも少なくするために敵国のほぼ民間人のみを何十万と虐殺してよし、とはどの時代の軍人も考えないでしょう。いや、軍人どころか民間人も考えないと思いますが。
    連合軍や中韓、洗脳された日本人を除く。

  2. 匿名 Says:

    ハ?
    総力戦だろ?
    つーか民間人って何?
    敵国の為に働き税金を納めてる時点で民間人じゃない。
    総力戦では敵国民全てが標的だ。
    甘ったれるな。

  3. 匿名 Says:

    ↑じゃ、ジュネーブ条約いらないんじゃ?
     ルールがあるから、戦争は犯罪とはちがうんじゃ?
     あほくさ。

  4. 匿名 Says:

    軍ヲタであります。

    > アメリカの占領政策と戦後教育の犠牲者と言えよう
    ってあたり、対話の意志を萎えさせるに十分な締め言葉。どんな議論もこれで終わりと言うか。いろんな所に使えて便利な。

    > 東京大虐殺および原爆投下の口実にはならない。
    東京の民間人を標的とした1945年1月からの無差別戦略爆撃は大量の犠牲者を出したが、日本政府および日本軍は停戦や和平を目的とした連合国との対話を行わず。ドイツのヒトラー暗殺計画みたいな動きもなし。たしか民間人殺戮に対する抗議もなし。
    7月26日のポツダム宣言も黙殺。8月6日に広島、9日に長崎へ原爆が投下されてやっと10日に降伏すると回答、政府内でごたごたした後、15日に正式に降伏。

    虐殺は悪であり非難されるべき。しかし戦争状態にあり、かつ交渉を拒否し抵抗を続ける国に対しどのような選択肢が取れるのか。

    「占領政策と戦後教育の被害者」だからこう考えるのか。軍人なら戦前でも明治でもこう考えるのでは。

  5. 宮本 Says:

    >>1
    ミヤモト大尉であります。
    「戦争状態にあり、かつ交渉を拒否し抵抗を続ける国」に対して取れる選択肢は、普通に考えれば戦闘の続行だと思うのですがいかがでしょうか。
    原爆も、日本が降伏しなかったから落としたというより、核実験のようなものであります。

    >>2
    ようするに“あちら”の論理というのは、UN側の自己を正当化するためだけの理屈ですからね。

    >>3
    敵国!税金!総力戦!
    何とも見上げたリアリストぶり、感服いたしました!

    >>4
    人間が2人以上集まってする活動には必ず何らかのルールが発生するってことですね。いわんや国同士の外交の一手段である戦争においておや。

  6. 匿名 Says:

    > 自国の兵士の犠牲を少しでも少なくするために敵国のほぼ民間人のみを何十万と虐殺してよし、とはどの時代の軍人も考えないでしょう。

    無差別戦略爆撃は明らかにハーグ陸戦規定違反。しかし第2次世界大戦において英米日独の全てが行ったのも事実。日本軍による重慶爆撃、ドイツ軍によるコベントリーやロンドンの爆撃、イギリス軍によるドレスデン爆撃、アメリカ軍による東京や広島の爆撃、これらは全て現代人から見れば非難されるべき行為。英米の戦果が際立って大きいのは彼らの能力が優れていたからであり、日独が四発重爆を開発生産できなかったからに過ぎない。

    > 原爆も、日本が降伏しなかったから落としたというより、核実験のようなものであります。

    アメリカに核実験の意図があったことは間違いない。しかし「降伏しなかったから落とした」という主張を否定する証拠もない。逆にポツダム宣言を黙殺していた日本政府が原爆により大きく動揺したことは、日本政府内部の記録や証言がある。
    日本陸軍が数年をかけて本土決戦に準備していた沿岸陣地と砲台の情報、硫黄島や沖縄での経験から、日本本土に上陸し占領せねばならない場合、チャーチルはイギリス軍50万人、アメリカ軍100万人の被害が出ると予想していた。当然、日本人にはそれ以上の被害が出ただろう。竹槍と手榴弾で武装した民間人が襲いかかってくる(そしてそれを機関銃でなぎ倒す)ような戦闘を沖縄だけで済ませられたのは両国にとってむしろ幸いではなかったか。

    私が上記のように考えるのは占領政策によるものか。戦後教育によるものか。むしろ前提知識の差から来るものだと思うのだが。

  7. 匿名 Says:

    > 自国の兵士の犠牲を少しでも少なくするために敵国のほぼ民間人のみを何十万と虐殺してよし、とはどの時代の軍人も考えないでしょう。

    無差別戦略爆撃は明らかにハーグ陸戦規定違反。しかし第2次世界大戦において英米日独の全てが行ったのも事実。日本軍による重慶爆撃、ドイツ軍によるコベントリーやロンドンの爆撃、イギリス軍によるドレスデン爆撃、アメリカ軍による東京や広島の爆撃、これらは全て現代人から見れば非難されるべき行為。英米の戦果が際立って大きいのは彼らの能力が優れていたからであり、日独が四発重爆を開発生産できなかったからに過ぎない。

    > 原爆も、日本が降伏しなかったから落としたというより、核実験のようなものであります。

    アメリカに核実験の意図があったことは間違いない。しかし「降伏しなかったから落とした」という主張を否定する証拠もない。逆にポツダム宣言を黙殺していた日本政府が原爆により大きく動揺したことは、日本政府内部の記録や証言がある。
    日本陸軍が数年をかけて本土決戦に準備していた沿岸陣地と砲台の情報、硫黄島や沖縄での経験から、日本本土に上陸し占領せねばならない場合、チャーチルはイギリス軍50万人、アメリカ軍100万人の被害が出ると予想していた。当然、日本人にはそれ以上の被害が出ただろう。竹槍と手榴弾で武装した民間人が襲いかかってくる(そしてそれを機関銃でなぎ倒す)ような戦闘を沖縄だけで済ませられたのは両国にとってむしろ幸いではなかったか。

    私が上記のように考えるのは占領政策によるものか。戦後教育によるものか。むしろ前提知識の差から来るものだと思うのだが。

  8. 宮本 Says:

    確かに、兵力の差が“戦果”に直結するのは事実です。また戦史上初の戦略爆撃と言われている重慶爆撃についてはもっと調べ、考える必要性を感じています。
    昨年、重慶でサッカーの日本代表戦があったときも、試合はブーイングの嵐、街は反日一色という状況でしたが、日本には支那事変の経緯や重慶爆撃について知らない若者も多かったようです。

    私が言いたかったのは、「やられた事を忘れるな」というシンプルな精神論かもしれません。現代日本は、加害意識にばかり凝り固まって、「過ちは繰り返しませんから」精神、行き過ぎた贖罪主義に引きこもりすぎる傾向があります。かといって中朝のように“加害”意識を全く失って被害者面しよう、というわけではありません。あくまでバランスの問題です。

    すると「やられた事もやった事も忘れるな」となりますが、真偽の程も定かではない南京に関して不毛な水をかけ合うよりは、重慶こそもっと問題にされるべきでしょう。(南京は純粋に政治問題ですが)
    しかし本土決戦があった場合のシミュレーションは、根拠や動機に大きく左右されるため、何とも申しがたく思います。

    いずれにせよ、情報や知識の豊富な方からの指摘や批判は常に勉強になります。ぜひ今後とも折りに触れ忌憚なきご意見をお聞かせください。

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