100万ヒットの日記野郎

2005年3月23日 水曜日

 ソーシャル・ネットワーキングサイトの最大手であるmixiは、現在では完全に“会員制日記サイト”と化している。最初にmixiが「日記サービス」とやらを始めたときには、「サイトがあって、メモだのはてなDだのあって、この上だれが日記書くってんだ」と思ったものだ。しかし書いてみると、そこに顔見知りの登録者たちが、日記の感想や好意的なコメントを残していく。これはまるで、古きよき日記サイト時代、自分のサイトがまだ100hit程度だった99年~00年の空気にそっくりだ。(そして僕もmixiをやっているが、登録者数はちょうど100人程度。)これはこれで確かに楽しい。

 そこでmixiにひきこもるサイト作者がいるのは当たり前、という意見がある。

浅野教授も結局、土下座しなければリスペクトの言葉をくれない読者に愛想を尽かして mixi 三昧。
ある種の管理人が mixi などに活動の場を移していくのは、資本主義的に正しい。(略)管理人はラブの稼げるところで活動するのであって、適切な対価を支払わない読者がコンテンツの供給を止められるのは当然です。(趣味のWebデザイン

 しかしこれは、作者が閲覧者とのコミュニケーションに何を求めているか、によるのではないか。
 九十九式の場合はどうだろう。そのあたり、id:cosmo_sophyによる分類を参照して考えてみよう。項目名だけ抜粋してみると

リアル直結コミュニティ型
mixiに代表されるようなSNS的ネットコミュニティ型
儀礼的無関心を求めるマイペース型
一般的コミュニティ型
トータルアクセス&ユニークアクセス重視型
議論促進コミュニティ型
理想的コミュニティ型
気ままな唯我独尊型

とある。

 僕は議論促進型と理想的型の中間、もしくは両方の意識を持っていると思う。
 というのも九十九式の話題の振れ幅から来るものなんだけど、ここには時事、思想からハロプロから単なる日記まで、色々なものが提示される。すると、例えば普通に「○○が美味しかった」と日記を書いているのに「あなたの認識は間違っている!○○はまずい!」とか突っかかられても困る。しかし歴史認識の話を書いて、そこに違う観点からの反論があったり、僕が知らなかった資料を提示してもらったりしてもらうのは非常に有意義なわけだ。ずっとべったり好意的でも困るけど、そんなに議論ばっかりしてもいられない。

 九十九式のコメント欄は、システム的にも雰囲気的にも、匿名で簡単にポストできるようになった。そのおかげで、例えば読書感想文に推薦者からのコメントがついたり、日記に同意のつぶやきが入ったり、近現代史ネタで議論が戦わされたりする。匿名の有用性も危険性も、2ちゃんねるのはるか前からさんざん議論されていることではあるが、現在の九十九式にとっては理想的な環境と言えるかもしれない。

 また、これはあくまで作者が閲覧者とのコミュニケーションにおいて何をどの程度求めるか、という話題である。mixiはコミュニケーション主体だが、WEBサイト運営はそれだけではない。
 閲覧者に求めるもの、サイト運営で得られるもの、ひいては日記を書くという行為に見い出す意味まで含めて考えると、僕はmixiのコミュニケーションではまったく満足できない。よってmixiによって九十九式の更新がおろそかになることはないと断言できるのだ。生まれながらのサガで、断末魔のときさえサイトを更新する男。戦うか?この俺と!君は!
 でもラブは欲しいよね、ってことで、らぶ・らぶ!(可愛く顔の横でニイニイピース)

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コメント / トラックバック 2 件

  1. 黒猫。 Says:

    今日の話の持っていきかたは非常に上手い!

    ということで、とりあえず「ラブ」置いていきますね。 コトッ

  2. 宮本 Says:

    いえーい、あーとうざいまーす!!
    こういうコミュニケーションもいいものです。

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