神社本庁が「A級戦犯の分祀は不可能」との見解を公式に発表した。(
YOMIURI ONLINE(読売新聞))
巷で交わされている「A級戦犯分祀」の議論は、2つの勘違いをはらんでいる。
まず、「A級」という言葉について。A級ライセンス、B級映画、C級グルメ、などのように、A級という言葉は、ランクの高低を示す言葉として知られている。
しかし、「A級戦犯」という言葉で使われているA級は、ランクの意味ではないのだ。
では何か。
ただの区分である。
かの悪名高き東京裁判において、
A「平和に対する罪」
B「通例の戦争犯罪」
C「人道に対する罪」
という3種類の戦争犯罪が設定された。つまりA級B級というのは、
単なる項目名でしかないのだ。
(ちなみに、日本はホロコーストのような人道に対する罪をはたらかなかったため、日本にはC級戦犯は存在しないが、名前だけ「BC級戦犯」として残っている。) ドイツでの戦後裁判は2項目ですんだが、日本に対しては、大東亜太平洋戦争があまりに大スケールであったためか、民族的敵視のためか、戦争を起こしたこと自体に対する罪がA項ででっちあげられた。これは歴史上に類を見ない事例である。そもそも戦争というのは、外交上の一手段でしかなく、戦争自体をさばく法など地球上のどこにも存在しない。唯一の例外がこの野蛮なリンチ裁判だ。
次に「分祀」の問題。神社本庁も言っているとおり、「分祀」の意味が誤解されている。神道における「分祀」というは、祭神をよその新しい神社にまつることだ。しかしこれは、別れて引っ越すのではなく、元の神社にもその祭神は変わらずまつられ続ける。分祀とは分離独立ではないのだ。ろうそくの火を継ぎ足すように、祭神が増えていく。中国や河野洋平がどうしてもそうしたいってんなら、別に止めないけど……。
そして、今でも「新たに無宗教の追悼施設を」とか言ってる人がいると聞いて、驚きを禁じえない。こんな短いセンテンスの中に、よくもこんなに矛盾をはらめるものだ。「死者の魂を追悼する」という
行為自体が既に宗教なのだから、無宗教なんだったら追悼施設なんていらないではないか。死体はただの肉の塊、魂なんて存在しない。問題はそんなところじゃない。