父親としての黄金時代は5~6年しかない

2017年9月9日 土曜日

休日に子供を連れて近所の公園とか行楽地、はたまた特撮映画とかに行くと、最近では結構お父さんと一緒に来ている子供を見かけるようになった。男女共同参画とかイクメンとかそういう社会的風潮のせいかもしれない。いや、オレがそういうのに注意を払うようになったから目に付くようになっただけかな。

まあどちらでもいい。オレが気になるのは、そうした父親が少なからずとても退屈そうにしていることだ。半分くらいは一心不乱にスマホに目を落としているし、2割位は目を閉じて居眠りしている。そんな光景を見て「仕事に疲れているのに子供の相手をしていて偉いな」「おつかれさま」なんて思う人も中にはいるかもしれない。オレはただそいつらを見て「正気か?」と思う。

子供が、「おとーさん、遊んで遊んで」なんてまとわりついてくる期間なんて、4歳から10歳くらいの僅かな期間しかない。子供によってはもっと短いだろう。求められている今、父親としての使命を全うしなくてどうするのだ? お前ら、自分に関係ない会議に出席しているのとはワケが違うんだぞ?

かくいうオレも、息子が2~3歳の頃は、あまりに求められるのがちょっとうるさくて、公園の砂場で遊ばせながらスマホをいじって、たまに会う同年代の親に「子供同士で遊べる年齢にでも慣れば、もうちょっとラクなんですけどね~」なんて馬鹿なことを嘯いていた。

そんなオレの子育てスタンスを根底から変えたのがこの本との出会いだった。
父親が子どもとがっつり遊べる時期はそう何年もない。

いや、この言葉(書名)と言ったほうがいいかもしれない。

「父親が子どもとがっつり遊べる時期はそう何年もない」

まさに至言だ。そうなのだ。男児なんて、小学校4年生ともなれば、友だちと遊ぶほうが楽しくなって、親になんか見向きもしなくなる。さらに大きくなると「うぜーな」とか言って寄り付きもしなくなり、はては対立までするようになる。本当に、今しかないんだよね。

この本の前書きの中にこんな一節がある。

“子どもとがっつり遊べる時期は、そう何年もない。”

このサイトが生まれたのは、そのことに気づいたことが発端でした。
子どもと同じ目線で競い合ったり、
遊びの中で「パパすごい!」と思われたり
今度の休みもお父さんと遊びたいと思ってくれたり、
子どもと、そんな関係になり始めるのが、
だいたい幼稚園の年中さん頃からじゃないでしょうか。

でも、目一杯この関係でいられるのが、多くは小学校の3・4年生くらいまで。

つまり、5~6年ほどしかないわけですね。
子どもからすれば、それはもう長い長い年月なのですが、
大人になると、あっという間に感じてしまう程の短い期間です。
“あぁ、いつの間にか5年経ってしまったなあ・・・”なんて。

たった5~6年のこのような子どもとの時間を、
だらだらと過ごしてしまうのはもったいない。
この時期は、いってみれば、父としての青春期。

子どもに教えてあげる。
子どもと競い合う。
子どもと一緒に始めてみる。
子どもと何度も何度も練習する。
とにかく子どもと笑い合う。

そんな機会をひとつでも多く作れる、
そのきっかけとなるような、
お父さんのためのサイト。

本の元となったサイトに上記の文章が載っている(はじめての方へ | oton+to(オトント) 家族が幸せになる、お父さんスタイル)ので、「サイト」という表現になっている。サイトの方では「この時期は、いってみれば、父としての青春期。」という一文が割愛されているんだけど、これも結構来たなあ。正直、本の内容は著者が息子と遊びに行ったり考えたりしたことを綴った単なるエッセイ集なので、特に言うことはないんだけど、この書名と前書きの文章だけで、1300円の価値は余裕であったと思う。

じゃあ、子供とポケモンごっこしてくるんで、また。

広告


さっきあげた日記の後半部分が下書きのままだったので、先ほど追記公開した。
実は先々月は毎日ブログ更新していた-九十九式


この記事は42分18秒で書きました。

この記事の評価は:

うーん…いまいち…ふつうですかなり良い素晴らしい (2 投票, 平均値/最大値: 5.00 / 5)
読み込み中...

コメント / トラックバック 1 件

  1. nori Says:

    まあ、と ”思う” のも後からなんですけどね。
    男親なんて、そうやって本や他人に押されないと親になれないもんです。

    だから孫が可愛かったり。

コメントをどうぞ

コメント
Follow me on Twitter