テキストサイト論とは

2002年4月28日 日曜日

 ネット言及は危険物である。それはいつ発火するかわからない危険な爆発物。その危険を避けるための最上の方法は、最初から全く近付かず一切手を触れない事である。しかし、万が一それでもあえて扱わざるを得ない場合は、この規則を参考にするべきである。

 読み終えたなら、次へ進もう。さてネット言及をする人は、多くの場合それが自己言及である事に気付いていない。実はそれら全てが自身の個人的なネット体験の蓄積による私的な感情論の垂れ流しであり、私の「サイト論」は、「『私のサイト』論」なのだ。

「最近のテキストサイトの動向は…」と述べたとしても、それはあくまで彼の見ている狭い範囲での出来事に過ぎない。(しかしこれをもって「テキストサイト 界なんて存在しない」と言う事は出来ない。存在しないのではなく、巨大過ぎて捉え切れないだけだ。BlackAshのテキストサイト界近況(初出)が多く の失笑を持って流されたのも、アルヲメモが広範な支持を勝ち得たのも、ひとえに言及対象の範囲と言及者自身の視野との広狭の差である。)

 そのような私的文章であるはずのテキストサイト論が耳目を集め、しばしば議論の的となるのは、サイトを運営していれば、誰しも自分の中に『私のサイト 論』を形成してしまうからであろう。100人いれば100通りのテキストサイトが存在する以上、そこにはすべからく100通りのテキストサイト論が存在す るべきなのだ。すると僕らはそこに存在するサイト論と自分に内在するサイト論との類似点に共感しあるいは差異に反発する。
 あくまでサイト論は「僕はこう考えてますよ」の粋を越えないのだ。するとサイト論はつまるところ自己言及であり、かねてからの僕の主張はここでリピートされる。テキストサイトはやはり冗長にして壮大、かつ終わりの無い自己紹介なのだ。

…と僕は思うよ。という自己紹介。(自己紹介はやはり照れ臭いなぁ)

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