will

2003年1月7日 火曜日

 あけましておめでとうございます。あ、昨日も書いたか。しかし!しかしですね。今、こうして休みも終わり、日常生活が始まってからが本当の新年なのです!心機一転、がんばって参りましょおぉ!ちぇすとぉぉぉぉ!

 …なぁんて、むやみやたらと力が入っている奴はうっとうしいものです。でも、新年早々だらけきった奴もそばにいて欲しくないですね。
 剣の極意も「脱力」にあると聞きます。スタミナ切れしない程度に肩の力を抜いて、剣が握れる程度に脱力しつつしなやかにいきたいものです。適度に。

 今年は一体、どんな年になるのでしょう。
 僕はまず、経済からハロプロからテキストサイト界、国際関係からスポーツ界から個人の生活まで、昨年に引き続き破壊と再生、分解と再構築の嵐が吹き荒れる事になるのではないかと考えています。百家争鳴、下克上、野望渦巻く戦乱の世。一億総戦国時代です!
 去年サイトを閉鎖しちゃった人や、復帰したものの更新スタイルを決めあぐねている人や、つんく♂や内閣などはそれを示す好例で、最早バンドエイドを貼っておくような小手先の対応、口先だけの変化や苦し紛れの奇手等じゃもうやっていけないと言うことに気付いているのでしょう。変化の一年と言えると思います。昨年から「改革」に取り組んできた結果が表面化する時期なのです。

 もうひとつのキイワードは「意思」だと思います。
 というのはつまり、…。
 んー、まぁいいや。
 それにしてもミキティかー。ほぇー。

01/09/2003 09:09:09 AM

現在の私は、何よりも私自身と自身を取り巻く環境との変革を望んでいる。
ここしばらく、当サイト上において何度と無く変化、変革について書き綴ってきたのだが、それらはとりもなおさず自己愛と自己言及、自己暗示と願望の投影に他ならないのではないか、との疑念が拭えない。無論実際に現実世界や他の個人サイト上に散見される変化の意思は、それらが実際に顕現しているものである、と私は信じて疑わないのであるが、ひょっとすると変革を志す自我による無意識のフィルタリングが、目にする情報の中から自分に都合の良い断片を選び取っているだけかもしれない、という疑念に起因する不安を感じているのが今の私なのである。

01/10/2003 09:09:09 AM

年が明ければ誰しも抱負や目標を心に抱き、表明する。ご多分にもれず平凡人であるぼくもまた心に平平凡凡と何事かを抱き決意新たに新年を迎え、3通しか来なかった年賀状を意気盛んに本のしおりに挟んだのであった。

さりとて今ぼくがやりたい事、やろうとしている事は、どれもこれも現在の自分の能力を僅かに上回っている気がする。公私、ネッ現、共にである。

しかしながら、おそらく常に少しずつでも限界に挑戦するくらいの意識を持つ者でないと、成長も成功も手にすることは叶わないのだろうなと思う。そう、まずは無理して背伸びからだ。
(と思いながら今日もただただ酒をかっくらって寝るのである。明日から。明日こそ!)

目標を立てることの最大の効能は、達成した後の自己を夢想できることにある。そして、多くの場合人はそれだけである程度満足できてしまうのだ。

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背伸びでも脚立でも、とにかくそこにかじりついてしまえば。

01/11/2003 09:09:09 AM

アイデアはある。書きたいテーマ、挑戦してみたいネタも幾つかある。しかしそのどれもが時間も労力も大いに使う仕事になりそう、という予感がある。というのが前回までのあらすじ。
ここで面倒くさいと考えて放り投げたり後回しにしたりしないで、アイデアを実行に移せる人こそが世に言う成功者と言われる人種なのだろうなー、と勝率がK-1ムサシと同程度のぼくは考えるのであった。足を使って判定に持ち込むぜ! これも前回までのあらすじ。

それにしてもなんだか最近、更新頻度が落ちているような気がする。いや「気がする」じゃなくて、実際明らかに落ちている。どうも今まで勝手に感じていた「記録の重圧」から勝手に開放された今、更新エンジンのかかり方が鈍くなっているようだ。これじゃいかん、と勝手に自省したぼくは、今日からろじぱらのごとく「ベストエフォート毎日」で更新していこう、と勝手に決意した次第である。それに伴い、サイト名も「ベストエフォート毎日」に変更します。しません。貴女の為に!(懐かしのape調)

思えば、99式の更新スタイルは、自他ともに認める自由奔放で勝手気ままなものと思われていたが、その実「毎日更新」というのは「自由」に次ぐ重大な「制約」であった。かつて森下は「縛りがあったほうが燃える」と謳った。どっこいぼくを縛る足かせも相当なものだったのだ。何故か。今のぼくを見よ。せめてどこかに一つ以上の自己規制がないと、人間はこうして駄目になるのだ。君子じゃないから。

01/13/2003 09:09:09 AM

そうそう、「意思」についてだった。
ぼくが毎日更新の旗印を降ろしてからはや2ヶ月。すっかり普通の日記サイト的更新頻度になった。
と同時に、やはり全体としての読者数も減ったようだ。正確には判らないが、2~300くらいは減ったんじゃないかと思う。

ぼくは、読んでくれる人なら性別や動機の如何や頭の出来不出来に関わらず、多ければ嬉しいと感じるタイプの人間なので、これは決して歓迎すべき事象ではない。
それでも、こうやって離れた人というのは、恐らく惰性でアクセスしていた人たちなのだろう。惰性で書かれた文章を、惰性で読む。考えうる限り最悪のテキスト状況だ。それが回避されるのなら、良いことだと捉えたい。

アクセスしてらうだけでも嬉しいが、どうせなら読んで欲しいし、読んだことによって読み手に多少なりとも何らかの変化(疑問・納得・共感・反感・感動・感情etc)があって欲しい。思考の媒介、つまり読み手が何かを思ったり考えたりするきっかけになってくれれば一番嬉しい。(メールをくれるともっと嬉しい)
…ぼくの考えはこうだ。もっとも、これは人に読まれることを前提として文章を書く場合、誰しもが大なり小なり抱く希望だと思っている。日記でも恋文でも企画書でも履歴書でも。

さて数日休んでから更新しようとすると、文章を書くのに苦労する。自分がいかに今まで慣性に頼っていたかに気付かされる。
意思のある更新に、意思のあるアクセス。これで行きたいものである。
皆さん、いい更新、いい巡回、してますか。

更新を1日休むと、アクセスが減る。3日休むと、読者が離れる。10日休むと、ウォッチャーも離れる。

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