反社会的日記
お。今日は家に帰れた! 絶対に帰れないことを予想して、着替えやシャンプーや歯磨きセットをずっしりと持っていったのに、嬉しい肩透かし。
さて、ひ孫引きのようになってしまうんだけど、『日記をつける』という素敵タイトルの本から、活字中毒が引用したものを冷麺が紹介していた、のをここで僕がまた紹介する(わかりづらい)。 この文中で、著者である荒川洋治氏が文章を書く際に心がけている分量を、原稿用紙換算で説明している。なかなか興味深い。
四〇〇字詰原稿用紙で「何枚」というとき、次のようなことをこころがけるのだ。
1枚→どう書いても、何も書けない。(週刊誌の一口書評など)
2枚→何も書けないつもりで書くといいものが書ける。(新聞の書評など)
3枚→一話しか入らないのですっきり。起承転結で書く。二枚半あたりで疲れが出るので休憩をとる。(短いエッセイなど)
4枚→一話ではもたないので、終わり近くにもうひとつ話を添える。(エッセイなど)
5枚→読む気になった読者は、全文読む枚数。見開きで組まれることが多く、作品の内容が一望できるので、内容がなかったりしたら、はずかしい。原稿に内容があるときはぴったりだが、内容がないときは書かないほうがよい。「書くべきか、書かないべきか」が五枚。
6枚→読者をひっぱるには、いくつかの転調と、何度かの休息が必要(同前)。
7枚→短編小説のような長さである。ひとつの世界をつくるので、いくつかの視点が必要。(総合誌のエッセイ、論文など)広告
ふーむ、なるほど。参考になる。ぼくも以前日記上で字数について考察したことがある(5月23日)けど、当時こだわっていたのは800字だから、原稿用紙2枚分ということになる。そういえば一昨日はたくさん書いたなあ。10枚分かな?あれ、この分類は7枚までしか…ムッ?
(つづき)
7枚以上になると、書くほうもつらいが読者もつらい。読者は読んだ後に「読まなければよかった」と思うことも多い。
な、なんて非道いことを言うんだこいつは。九十九式の9月6日は、4096文字。原稿用紙10枚オーバー。そうか、みんな「読まなければよかった」と腹を立てているのか……? まぁぼくだって人の長文は「この文章は面白いはず」という予感がなければ読まないもんなぁ。
さらに氏は続ける。
7枚ともなると「責任」が発生する、いわば社会的なものになるのである。7枚をこえて、たとえば10枚以上にもなると、読者は「飛ばし読み」をするから、意外に書くのは楽である。
なァんだ、じゃあ安心だ……。
まぁ確かにあんだけ長いと読む前に覚悟がいる。しかし安心しろ、その覚悟と費やす時間はちゃんと報われる! ぼくが報われる。
反社会的ですみません。
文章力向上委員会
こんな新企画サイトがある。なかなか興味をそそられるんだけど、一つ引っかかった点が。企画趣旨の説明の中で、 少ない字数の中でいかに世界を構築するかという挑戦なので、日記や詩やエッセイではあまり字数制限の意味がありません。
とある。こう言い切られてしまうと、やっぱり日記が好き、日記無頼派であるぼくとしては、ちょっと立つ瀬がない。たとえば800字の日記の中で3ないし4段落の起承転結をつける、というのもまさに文章力によるしわざだと思うのだが。「発想力の鍛錬が目的」ということなので、実態としては文章力というより、言うなれば“小説力”の向上を目指しているということだろう。でも「文章力」という言葉は実にキャッチーなので、使い方としては正しいと思う。
参加するほどではないのですが、意図にはそこそこ賛同できるので紹介させていただきます。盛り上がるといいですね。